33:決意
誰もが驚きに目を見開き固まる中、真っ先に硬直を解いたのはベリアス殿下だった。
彼は浮かせていた腰を下ろし、机に両肘をついて組んだ手に額を預ける。
「……俺は、これまでグランアゲート王国の王子として、どんな苦難にも負けじと努力を続けてきた。――だが」
「……だが?」
「流石に今回ばかりは……心が折れそうだ」
「な、なんで!?」
「なんで、だと……?」
ゆらりと顔を上げたベリアス殿下の瞳には、最早殺気にも似た感情が渦巻いていた。
あまりの気迫に私は仰け反ってしまう。えっ、何、なんでこうなったの!?
「カテナさん」
「……シエラ?」
「確認しますが、その方法を使えば神器の継承を誰にでもさせることが出来るということですよね?」
「え、う、うん……」
「ところで、どうしてカテナさんはラトナラジュ王国に行ったんでしたっけ?」
「あっ」
真顔になったシエラからの問いかけ。それに思わず心の底から間抜けだと思える声が飛び出てきてしまった。
「……神器の継承は王位継承権に絡む重大な儀式じゃからな。引き継げないから王族にあらず、と言うのは簡単じゃが、引き継げなければどうなったかという末路はラトナラジュ王国が教訓を示してくれたからのう」
テティスが黄昏れたように遠くに目線をやりながらぽつりと呟いた。その呟きを聞きながら私はダラダラと冷や汗を流してしまう。
「……よりによって、今か。今、それが判明するのか」
「あ、あはは、ははは……」
私は誤魔化すように乾いた笑いを零すけれど、その場の空気はまるで葬式のように重たい沈黙に満たされてしまった。
「……有用なのは事実だ。そして同時に頭が痛い問題でもあるな」
「えっと……やっぱり不味い?」
「どれだけ不味いかと言うと、知ってしまった以上はカテナの立場について色々と考えなければならん程だ」
「そうだな……」
テティスとベリアス殿下が沈痛な面持ちで呟きながら腕を組んでいる。国のトップに関わるこの二人がそこまで頭を抱えてしまっている事態に私も頭痛がしてきた。
「私も不味いな、とは思うんだけど、もう少し具体的に解説をお願いしても?」
「神器を確実に継承させられる、というのはどの王家でも喉から手が出る程に確保したい人材だろう。だが、それは同時に実権を握りたい勢力からすればお前を大義名分に出来てしまうということだ」
「大義名分って……私が神器を継承させた人が正統な王だとか言うつもり?」
「そうじゃな。つまりは反乱を起こそうと思えば、お前の協力があれば出来てしまえる程の力だ」
「いやいや。神器を継承出来たとしても、そんな強奪みたいな方法で神様たちが納得する訳……」
「神器を〝ただの武器〟として扱うだけなら、それでも十分と考える者もいるだろう。神は人の理、営みには介入しないからだ。アーリエ様の一件もそうだったろうが。子である我らが神との縁を絶とうとも、神はその報復などしない。ただ見限るだけだ」
「……それは、そうだけど」
「それも含めて、我ら人は神によって試されていると言えるのじゃ。カテナよ、妾とて役割を捨ててその気になれば、他の王国を攻め入るのにアトランティアを使うことも出来るのだぞ?」
ベリアス殿下とテティスに告げられた内容に私は思わず唇を噛んでしまった。
確かに……そうだ。ヴィズリル様だってそうだし、他の神々もきっとそうだ。人が神を見限るなら、神々はそこまでと諦めるだろう。
だからこそ私が神器を継承させる人を選べるというのは問題だ、という話に戻ってしまう。
「神器は扱いを間違えれば他国を侵略する力にもなり得る。魔族という共通の敵がいる以上、人同士で争うのは馬鹿らしい話ではあるが……それでも可能性が無くなる訳ではない」
「最近で言えば、ラトナラジュ王国がアイオライト王国と婚姻を結び、あわよくば内側から干渉しようとした例もあるぞ」
「グランアゲート王国もラトナラジュ王国の内政に干渉していたと言える訳だしな」
「なんだか、本当に申し訳ありません……」
まるで問題児みたいに扱われるラトラナジュ王国にシエラの目のハイライトは消えかかっていた。
気を取り直すようにわざとらしい咳払いをした後、ベリアス殿下は私を睨んできた。
「カテナ、お前は何故事ある毎に政治バランスを傾けようとするのだ?」
「傾けたくて傾かせてるんじゃないし!」
「それはそうなんだが……悪用されなければこれ程までに有用なこともないんだが……」
ベリアス殿下はこめかみに指を添えて揉みながら溜め息を吐いている。
会話に入ってこないで沈黙している他の人たちも心が無の表情で事の成り行きを見守っているようだ。
「その、私もまだ出来るかもしれないって話であって、しかも条件だってそんな楽なものじゃ……」
「だが出来るんだろう? 今は無理でも、いずれ出来る可能性もあるし、実現が困難ではないといったのはお前だろう?」
「うっ……」
「つまり、最早言い逃れも出来んのだよ。馬鹿者めが」
「……じゃあ、その、いっそ見なかったことにするというのは……?」
「ははは、それこそ愚問であろう? この戯けめ」
馬鹿者だの、戯けだの、ベリアス殿下とテティスに揃って叱責を受けた私は重くなった肩を落としてしまう。
「あくまで最悪の事態を想定しているからであって、最善のために使えばお前がいるだけでどれだけ各国の王家が安心出来ることか」
「後継者問題は各国で様々な手法を試す程度には重要な問題じゃからのぅ。そこに確実性のある一手が打てるのはとてつもない魅力だ」
「加えて言うなら、神器の打ち直しで性能の向上も見込めるかもしれん。これを見なかったことにしないか、だと? 俺が国王であれば、そんな戯言を宣った瞬間に打ち首に処すかもしれんな……」
「流石に妾とて黙っているのは気が引ける話じゃな……幾らアイオライト王国の立ち位置が特殊でも、こればかりは黙っていた時の方の不利益の方が大きい」
「だから頭を抱えているんだ。わかるな? カテナ。無かったことには出来ないが、それ故にとてつもない難題の解決のために知恵を絞らなければならなくなったのだ」
「えーと……つまり仕事が増える?」
「はっはっはっ」
「ふふふふ……」
目が一切笑っていないベリアス殿下とテティスに萎縮する程の眼力で睨まれた。
流石に肩を窄めて小さくなってしまう私。うぅ、新しい方法なんて試すべきじゃなかったのかな? いや、でもこれは黙っていた方がこれ怒られる可能性があるってことだよね。
素直に話しても怒られるし、黙っていても怒られるってどうすれば良いのさ! 私が一体、どんな悪事を働いたって言うんだ!
「しかし、これは逆に好機とも言える」
「好機?」
「……カテナ」
ベリアス殿下が姿勢を正して私を真っ直ぐ見つめてくる。その仕草は今まで見て来たベリアス殿下の中でも、最も真剣に見えた。
「俺たちには、人類には魔神と魔族という共通の敵がいた。しかし、それでも俺たちの国は別れ、そして時には要らぬ諍いを起こしていた。それはどうしようもなかったのだと俺は思っている」
「……ベリアス殿下?」
「国の在り方が異なり、考え方も異なれば一つに纏まるのは難しい。それ故に俺たちは同じ敵を前にしてもなかなか一つに纏まることが出来なかった」
「グランアゲート王国はそれでも一番真摯であったとも言えよう。魔族と相対しているという点ではジェダイト王国も苛烈な程だが、かの国は主義主張の基準が良くも悪くも戦に偏っている。アイオライト王国は立場上、賛同はしても出来る援助には限りがある。ラトナラジュ王国に至っては国の内部が腐ってしまった」
「……何が言いたいの?」
唾を飲み込んでから、私はベリアス殿下とテティスに向けて問いかけた。
ベリアス殿下はゆっくりと息を吐いてから、一度目を閉じる。そして閉じていた目を開きながら告げる。
「お前ならこの状況を変えられると俺は確信した。実際、お前は滅びかけていたラトナラジュ王国を救った。お前の影響力は、俺が考えているよりも大きい。お前がいれば人類の意思統一も夢ではない。それはつまり一丸になって魔族に対抗するための一手になるということだ。神器の製造、継承、そして強化。お前は実績を上げ続けてきた」
「グランアゲート王国も、ラトナラジュ王国もカテナには恩があるのじゃろう? そして魔族に対抗するために一丸となるという目標に否は唱えない。そして、それは妾とて同じだ」
「四大王国の内、既にお前は三つの国と志を共に出来るということだ。そしてジェダイト王国は政治的な駆け引きなどあるようでない。あそこは力が全てを語るような国だからな。お前にとっても与しやすいだろうな」
「ちょっと待って。えっと、なに? つまり、二人が言いたいのは私を旗頭として掲げて国家の意思を統一しようって考えてるってこと!?」
驚きの余りに腰を浮かしてしまう。そんな私に対してベリアス殿下は大きく頷いた。
「そうだ。それに元々、その話をするためにアイオライト王国を訪問した訳だしな」
「いやいやいや!? それはあくまで国家が主導する同盟みたいな話であって、私を担ぎ上げるのとは話が違うんじゃないの!?」
「そっちの方が纏まる、という程の実績を出してしまったからな」
「うむ。その方が国の利益になるだろうしのう」
「テティス女王の同意が取れたのは嬉しく思う。父上も賛同してくれるだろう」
「ラトナラジュ王国も、カテナに受けた恩を考えれば断ることもあるまい」
「つまり、実質的に決定しているようなものだな」
打てば響くと言わんばかりに言葉を不敵な笑みを浮かべているベリアス殿下とテティス。
それに私は喉が渇く程の緊張を覚えながら拳を握り締める。
「……そんな簡単に進む話なの?」
「簡単ではない。だが、今まで誰もが夢見ながらも実現が難しいと思っていたことだ」
「魔族との争いは一進一退の現状維持が精一杯。その盤面を引っ繰り返すことが出来る可能性を持つのがカテナ、其方だ」
「なら、俺は一国の王子として、国を率いる者として責任を果たしたいと思う。だからお前が自由に動けるようにするのが俺の役割なのだろう」
ベリアス殿下は真っ直ぐに私を見つめながらそう言った。私はそこで自分の掌を見つめるように視線を下げた。
不意に、ふと腑に落ちた。今までずっと、魔神も魔族の問題も面倒だと思っていた。降りかかる火の粉は払いたいし、いつかは解決しなきゃいけないことだと考えてはいた。
――だけど、私一人で何が出来るというのか。
ゴールが見えない先行き、どんな風に歩けば良いのかもわからない。
歩みたかった道ではない。そもそも私は刀鍛治として生きたかっただけで、世界の命運なんてものを背負いたかった訳ではない。
それでも、その道の先にしか私の望む未来がないと言うのなら進むしかない。それでも割り切れなかったのは、進んだ先に何があるのかわからなかったから。
でも、わからなかったのは一人だったからだ。私は、一人で解決しなければならないとどこかで思い込んでいた。
私はヴィズリル様に直接選ばれて、この世界で特別な物を作り出せる力を持っていて。人よりも世界の仕組みの秘密に触れることが出来た。
(――自分で思ってたより、私は自分の特別を持て余していたんだ)
間合いのわからない刃は振り回せない。何を傷つけ、何を引き裂くのかもわからない。そんなの子供でも当たり前にわかる話だ。
でも、今は違う。私は掌を見つめていた視線を上げて、そこにいる人たちの顔を見た。
わからないなら、頼れば良い。
出来ないのなら、任せれば良い。
知らないのなら、教えて貰えば良い。
他人には出来ても、自分がそうして欲しいと思えなかったのは自分が求めていなかったから。
刀匠になりたいと夢には手が届きかけていたから。それしか望んでいなかったから、求めるものがないと思っていた。
(だって、一人で出来るんだ。他に人がいて煩わしくなるぐらいなら、他の人なんて要らない)
そんな考えは私の根底に潜んでいる。夢のためなら、望みのためなら躊躇いなく切り捨てられる。
そんな考えを飲み込めなくなったのは、少しずつ大事な人が増えていったから。心地好く愛されて、それが嫌だと思えなかったから。
だからこそ、自分のせいで大事なものが傷ついてしまうのが怖かった。責任を負えば負う程、その責任が重くなれば危険も増すだろう。そして大事な人を巻き込んでしまうかもしれない。
その果てに、私と出会わなければ良かったなんて言われたら。そんな想像をしただけで、実際には味わいたくないなと思ってしまう。だから自分で決断することを遠ざけてしまっていたのだと改めて思う。
私は、自分が幸せになるために夢を諦めるつもりはない。夢を追うことこそが何よりの原動力だから。
そこにもう一つ、加えても良いのだろうか。私の側にいる人たちが幸せであるようにと願うことを。
結局、その為には魔神と魔族の問題は解決しなければならない。解決までの道が同じなのであれば、私は。
「……重い、なぁ」
乗せられた責任が、寄せられる期待が、かけられた未来が、どうしようもなく重い。
それでも、その重さに負けないようにと開いていた手を強く握り締める。
「私一人に何でも任せられたら、流石に怒るけど。当然、協力してくれるんでしょ?」
「お前に一人に任せるだと? 冗談でも想像したくないな。次から次へと問題を起こす未来しか見えん」
ベリアス殿下が肩を竦めながらそう言ったのを聞いて、私は笑ってしまった。
確かにそうかもしれない。だから、そうならないように誰かを頼れば良い。今まで誰かに頼る気にならなかったのは、変えてしまう物事の責任が途方もない重さだったから。
一人では抱えきれないなら、手を貸して貰っても良い。私も自分がそうしたいからと誰かに差し出してきた。
なら、私も皆から差し出された手を取るべきなんだ。その手を信じることが出来るのなら、信じたいと思うのなら。
「――いいよ。その話、鍛冶師としての腕前で納得させれば良いんでしょ?」
私は、刀匠だ。これからもずっと。
でも、そのついでにヴィズリル様の神子だ。
神子に与えられた責務が、この世界を守り抜くことなら。
夢を叶えるついでに、世界を救うつもりで生きてみようか。




