幕間:誓いは胸に、夢は花開くように
今年もよろしくお願い致します。
――騎士とは、心に決めた人に最後まで尽くし守り抜く者である。
私、リルヒルテ・ガードナーは騎士とはそういうものだと教えられて育ちました。
代々、騎士として国に仕えていたガードナー侯爵家。その名誉を受け継ぐように父も兄たちも騎士となりました。
その後を追うように私が騎士になることを目指したのも必然だったのかもしれません。
キッカケは姫様たちと出会ったから。心から守りたいと思う人を見つけることが出来た日から私の夢は決まっていたのです。
しかし、夢を追う日々は順調と言えませんでした。
幼い頃からの従者であったレノアに比べて小柄な身体を疎んだ日がありました。
兄たちのように大剣を振り回すことが難しいことに涙を流したことがありました。
魔法の適性から、騎士ではなく魔法使いの道を勧められたことに悔しくて唇を噛んだ日がありました。
守りたいと思った人たちの前で無様に敗北してしまって、逆にその表情を曇らせた時は死んでしまいたいと思いました。
何を誇れば良いのかわからないまま、それでもガードナー侯爵家の名前は重たくて。
家の名に恥じない相応しい令嬢であるように心がけても、それが自分の目指した夢の形から遠ざかっていくことに少しずつ澱みが溜まっていくような日々。
――私は、何も守れないの?
大事なものを守れる人になりたかった。
大事な人の笑顔を守って、その笑顔が悲しみに染まるなら憂いを払いたかった。
寂しさに震えることがないように、ずっと側にいて、どんな脅威からも安心して頼って欲しかった。
夢も諦めなければならないのかと、頭を下げそうになっていました。
けれど、私は諦めを一瞬にして忘れそうになる程の出会いを果たした。
――カテナ・アイアンウィル。
身分は男爵令嬢と、決して高いとは言えない。
けれど、彼女は他の誰にも作り出すことが出来ないものを作り上げた。
その美しさにどうしようもなく惹かれてしまって、彼女に近づきたかった。
カテナさんは王族と諍いを起こしながらも、それでも自分を譲らず。
かといって、誰かを傷つけても良しとするような粗暴な人でもなく。
明るい笑顔を浮かべて、夢見ることの輝きをこれでもかと纏った人だった。
憧れて、近づきたくて、でも届かなくて。
それでまた俯いてしまいそうになる私に、そっと道標の灯りを灯してくれる。
カテナさんは、私にとってそんな人だった。
あの人の熱が、どうしようもなく羨ましい。
その熱を絶やさないだけの力と意志を持っているのが、いっそ妬ましい程で。
それでも、妬ましくても決して嫌いになれなくて。
――好き。貴方が、好きです。
羨望と嫉妬、正と負。どちらの感情もごちゃまぜにされて。
最後に残ったのは、ただ目を細めてしまいそうになる眩しさを彼女に見出す自分。
どうしようもなく好きなのだと気付いてしまった。
ただあの人が生きているだけで、あの人が私を見てくれるだけで、それだけで世界に光が満ちたと思ってしまう程に。
この感情は、名前を付けるとするなら愛なのでしょう。
でも、家族に感じる安らぎとも違う。姫様たちに感じた決意とも違う。
もっと激しくて、抱えている自分すらも傷つけてしまいそうなもの。
そこにあって嬉しいと思うのではなくて、もっとその先を望んでしまいたくなる。
カテナさんのようになりたい。もっとあの人に近づきたい。
その輝きが永遠に失われないように守り抜きたい。
そして、カテナさんに私を見て欲しい。もっと、もっと、もっと。
関心を向けて欲しい。私という存在を認めて欲しい。
私と同じぐらい、貴方にだって私という存在に焦がれて欲しい。
貴方の視界に映って、ずっと、ずっと、そこにいたい。
浅ましくて、身勝手で、醜悪とすら思うのに止められない。
私の中に、こんな自分がいたなんて驚きすら覚えました。
今まで品行方正で、人と揉めることもなくやってこられた穏やかな気性だと自分のことを考えていたのに。
こんなに他人に執着して、自分ですら自分がままならなくなる程に振り回されるなんて考えたこともなくて。
これが人を好きになるということなら、私はそんなにお上品なお嬢様ではなかったようで。
この苦しさがなくなるなら、もう何も投げ捨てても良いと、そんな考えが過ってしまいます。
どんなに捨てたくなくても、きっと、私は優先順位をつけ始めたら最後。きっと、捨てることに躊躇いがなくなってしまう。
……思えば、今まで他人との関係に優先順位なんてつけたことがなかったと振り返ると、つまりはそういうことなのでしょうね。
それでも捨てたくないと思うのは、カテナさんが私の夢を応援してくれたから。
なら、捨てられない。もし一つでも捨ててカテナさんに見限られたら……あぁ、きっと私の息は止まってしまう。
あんなに家族に誇れる自分になりたいと、姫様たちを守れる騎士になりたいと思っていたのに。
カテナさんに振り向いて欲しいからと捨てて、それで見限られたなら。そんなの、何の意味もない。
理想に届かない悔しさも、弱音を吐きたい嘆きも、もうどんなに苦しくなっても捨てたくない、捨てることなんて出来ない。
「――あぁ、なんて……面倒な恋をしてしまったんでしょうか」
恋、と。そう口にすると不確かだった自分の気持ちが定まったような気がしました。
ベリアス殿下のことを何も笑えない、と苦笑すら零れてしまいます。こんなにもままならない感情に人は振り回されなければならないのかと、悲観してしまいそうなのに心地よさすら覚えてしまう。
苦しいけれど、嬉しい。悲しいけれど、楽しい。ままならないけれど、消してしまいたいとは思わない。
もどかしくても、どこか心地好い。そんな自分の感情に戸惑いながらも受け入れていく。その感情を自分の一部なのだと認めてしまう。
「……自覚したら自覚したで面倒な人ですね」
そんな事を考えながら、夜空に浮かぶ月を見上げていると後ろから声が聞こえました。振り返れば、そこにはシエラさんが立っていました。
最近、なんだか私に当たりが強いような気がして苦笑が浮かんでしまいます。
「……人の呟きを盗み聞きするのはどうかと思いますが?」
「無自覚なまま自分の恋心に振り回されてやらかすのよりはマシかと」
「……シエラさん、意外と毒舌ですか?」
「人を選んでるだけです」
「……確かに思うところがあるので、言われても怒りませんけど」
「なら、ちゃんとしてくださいね。好きになるな、とは私も言えませんから」
そんなシエラさんの言葉を聞いて、元から思っていたことが現実味を帯びたように感じました。
「……あの、シエラさん。怒ってますか?」
「何をですか?」
「……シエラさんも、その」
「私もカテナさんが好きですけど、何か?」
恥じることもなく、悪びれることもなく、シエラさんは堂々と言い放ちました。
あまりにも真っ直ぐな言葉を叩き付けられたので、私は肩を小さく狭めてしまいます。
「人が自覚してる横で、もだもだと無自覚のまま半端なことをされたら、それは確かに気にはなりますけどね?」
「申し訳ありません……」
「別に好きという気持ちを抑えろとも、私に遠慮する必要もないですが……カテナさんを振り回すのだけは止めてくださいね」
「それは、はい……」
「だから、自分でもどうしようもなくて困ったらせめて私に相談してください。同じ気持ちを抱く以上、他の人よりも理解は出来ると思いますから」
私は思わずシエラさんをジッと見つめてしまいます。私の視線に気付いたのか、シエラさんは私を見返しながら小首を傾げました。
「何か?」
「……その、シエラさんもカテナさんが好きなんですよね? その、私と同じで恋愛感情という意味で……?」
「はい」
「……良いんですか?」
「それは、何の確認なのですか?」
「えぇっと……」
逆に問われて、私はぐるぐる目を回してしまいそうになります。
結局、言葉を見つけられないままでいると、シエラさんが深く溜め息を吐きました。
「私はリルヒルテ様ほど、自分を見て欲しいとは思ってないので」
「うっ……」
「勿論振り向いて欲しいという気持ちはありますけれど、それよりもカテナさんが過ごしやすく日々を生きて貰えることの方が重要ですので」
「うぅ……」
シエラさんの言葉を聞いていると、自分がただ身勝手なだけなのではないかと突きつけられるようで呻き声が零れてしまいます。
「……リルヒルテ様はそのままで良いんですよ」
「え?」
「私はカテナさんの唯一になりたいのではなくて、彼女に側にいて欲しい存在だと思われたいので。ただの友人でもいいですし、望んでも都合の良い女でしょうか。二番目だろうと三番目だろうと、それで良いんです」
「あ、あの……?」
「私一人ではカテナさんを支えきれるかわかりませんから。それなら気心が知れて、同じ人を好きでいても許してくれる人がいるのは都合が良いのです。その人が積極的に振り向いて欲しいと努力するなら、手助けもします」
何の気負いもなく言い切るシエラさんに私は目を丸くしてしまいました。
そんな私の反応を見て、シエラさんは表情を緩めて肩を竦めてみせます。
「私はラトナラジュ王国の離宮で育ちましたから、こういった考え方の方が馴染んでるんですよ。言うなれば、私は側妻の立ち位置で良いんです。正妻の位置を奪い合うよりは、正妻でいてくれる人との折り合いがつけられる方を望みます」
「せ、正妻って……」
「カテナさんは立場上、王族に匹敵する権威を持っています。望むならテティス女王のように暮らすことを望んでもおかしくないんですよ。そんな人に唯一の人であることを望むなんて、そんな度胸はありませんよ。その器でもなければ、何より資格がありません」
「資格……?」
「私は一度、魔神に囚われています。カテナさんは魔神にとっての天敵、相容れることはないでしょう。ですので、魔神に囚われたことのある私がいつ足を引っ張るのかわからないのです」
「シエラさん、それは……」
「私はカテナさんに許されているからここにいるのであって、許される以上のことを望める程、強くなれません。というより、そういった強さを得るぐらいなら、私はただカテナさんに都合の良い状況が整う方が望ましいんです。そのついでに私も切り捨てられなければ、結果的にそれで良いのです」
だから、と。シエラさんはそう前置きをしてから、微笑を浮かべました。
「別に悲観してる訳でも、諦めた訳でもありません。ただ、それぐらい尽くさないとあの人は捕まえられないな、と悟っただけです。勿論、誰もあの人を狙わないなら、あの人を利用しようとする人ばかり集まるなら蹴散らすつもりでいますけど。まぁ、あり得ないでしょうね。カテナさんですし」
「……な、成る程?」
「リルヒルテ様はその点、都合が良いんですよ。実家は王家からの信頼も厚く、個人的にも姫様たちとの交友があり、将来的に本当に姫様の護衛として身を立てられるなら発言力も上がります。貴方の活躍が、いつかカテナさんの築く地盤を支える役目を負うことが出来るかもしれません。それに……」
「……それに?」
「助けるのも、競うのも、分かち合うのも。リルヒルテ様とであれば、きっと何も後悔する日は来ないだろうな、と思えますから。カテナさんの次くらいには、好意を抱いていますから」
くすくす笑うシエラさんは、とても蠱惑的で思わず見惚れてしまいそうになる程でした。
あぁ、こんな風に笑える人だったんだと、どこか儚げな今までの印象が掻き消えてしまいそうになる程です。
同時に怖くて、そして頼もしくも思う。そう思ったのはきっと、シエラさんとは敵対するような関係になることはないと確信したからなのでしょう。
「リルヒルテ様は、唯一になりたいですか?」
「……それ、聞きます?」
「はい」
「荷が重いです」
「でしょうね」
あのカテナさんの唯一? それは勿論、好きになったら同じ思いを返して欲しいですし、自分を特別な人として扱って欲しいと、人並みには思います。
でも、好きになってしまった人はとんでもない人です。私なんかよりも高貴な人が求めたっておかしくないのです。
そんな人に唯一であることを選んで欲しいだなんて、とてもではないけれど望めません。
「そもそも、あの人の第一は絶対に譲ってくれそうにないですし」
「それもそうですね」
鍛冶師でありたい。ただ、そう望むだけ。でも、それがカテナさんにとって最優先である唯一。
きっと、あの人を好きになるならそこだけは譲らせてはいけないのだろうと思うのです。
そして、そこまで情熱を注ぐ唯一は、いつか世界を変えてしまうかもしれない可能性を秘めています。
「夢に憧れてるカテナさんだから好きになってしまったんだと思うんです。だからカテナさんの夢も纏めて守りたいと思ってしまうのでしょうね」
そして、自分一人では守り切れないということはわかりきってしまっているから。
それでも諦めてしまえば、あの人は遠くどこかへ消え去ってしまいそうだから。
「……厄介な人に恋をしてしまいました」
「じゃあ、諦めますか?」
「わかってて聞いてますよね」
「はい」
「なら、とりあえずは共闘でお願いします」
カテナさんの抱える宿命は、とても重い。だからカテナさんだって夢を叶えることを優先してしまっている。
でも、もしも。その宿命から解放されて、ただ自由に夢を追えるようになったら。ただ夢を追うだけではなくて、周りを見る余裕が出来たなら。
その時は、もう一度。改めて心から振り向いて欲しいと思いながら、この思いを伝えたい。
――私は、貴方が好きです、と。




