29:楔に縁、打って、結んで
「私はガードナー侯爵家の娘として生まれて、父も、母も、兄たちも可愛がってくれました。たくさんの愛を注いで貰って、本当に幸せに育ちました」
リルヒルテは目を伏せながら、自分の胸に手を当てている。そして胸の内にある思いを言葉として紡いでいく。
「家も裕福で、不自由など何一つありませんでした。だから私も誰かに幸せを分けられるような人になりたかった。そして、私が出会ったのが姫様たちでした」
「クララ殿下とカルル殿下?」
「はい。遊び相手として顔合わせをしてから、私は姫様たちの力になりたいと思ったのです。当時はベリアス殿下にも避けられていて、二人の心情も複雑なものでしたから」
表情を苦笑へと変えながらリルヒルテはそう言った。開いた瞳には確かな愛情を感じられて、リルヒルテが姫様たちのことをどれだけ思っているのかが伝わってくる。
「笑顔を浮かべながらも、その裏で思い悩み、寂しさに耐えようとする姿を私は見てきました。だから私は近衛騎士になりたかったのです。誰よりも姫様たちの側にいて、その御身も、心も守れる力と立場が欲しかった」
「……そうだったんだ」
「はい。私は家族から、そして家臣や領民からも慕われて守られてきました。だから自分がどれだけ幸福なのかを知っています。たくさんの幸せを貰ったから、私も誰かに分けてあげたかったんです。特に最近になるまで家族に対して複雑な思いを抱いていた姫様たちだったからこそ、それでも弱音を吐こうともせずに王族として責任を果たそうとする姿に胸を打たれたのです」
「それがリルヒルテの動機なんだね」
私の問いにリルヒルテは小さく頷いた。そして視線を下げて、自分の掌を見つめる。
「姫様たちは今でも私にとって特別な人たちです。敬愛すべき小さな主たちですから。だから、どんなに別の道を勧められても私は頷けませんでした」
そう呟くリルヒルテの表情は、日が陰ったのも重なってとても暗いものに見えてしまった。
「騎士よりもガードナー侯爵家の令嬢として、または魔法使いに専念する道だって皆から勧められました。側にいることだけが守り方じゃないと。……自分でも、その方が良いのかも知れないと思う時がありました。でも、そう思う度にどうしても諦めきれなくて、時には死にたくなる程に落ち込みました」
「……それだけ騎士になりたいの?」
リルヒルテはゆっくりと息を吸って、俯かせていた顔を上げた。
そこには先程に見た陰りはなくて、どこまでも遠いその先を見つめるような目には狂おしいまでの光があった。
「騎士の家に生まれて、騎士である父や兄に守られて、それで教えて貰った幸せなんです。それが私の思う幸福の象徴なんです。私は誰かの心に寄り添って、何の不安もなく過ごしてもらって、そんな日々に幸せを感じて貰える日々を守れる人になりたいんです。それが私の思う騎士の在り方で、私の目標とする夢そのものですから」
静かに、けれど触れれば火傷してしまいそうな程の熱を込めた言葉だった。
目を細めてしまったのは、リルヒルテの中に見出した輝きが眩しかったから。
その熱量に、その在り方に、私はどうしても自分の中に響くものがあることを感じ取ってしまう。
「それがリルヒルテの夢なんだね」
胸の内側で燃ゆる夢は、自分すらも焼いてしまうものだ。
楽しくて、嬉しくて、同時に辛くて、悲しくなってしまう時だってある。
熱を原動力に進むことが出来れば何よりの幸福だ。同時に、その熱の行き場を失った時が何よりの不幸だ。
私は知っている。私も夢に憧れ、その熱に胸を焦がすものだから。
目標は違う。願いを抱いた経緯だって、夢の形そのものだって違う。
それでも、夢に注ぐこの情熱だけはそっくりなんだ。
「……実は、ちょっと挫けかけてたんです」
ぽつりと、リルヒルテは胸を掴むように抑えながら呟いた。
「姫様たちに求婚したアシュガル王子にも負けて、やっぱり騎士に、それも姫様たちの側にいようだなんて思い上がりだったんじゃないかって。いっそ、諦めることが出来れば楽になるかもしれないって……でも、カテナを見た時にもしかしたら、なんて思ってしまったんです」
――まだ道はあるのかもしれない、と。
だからリルヒルテは私と縁を結んだ。打算もあっただろうし、ラッセル様から頼まれたという理由もあるだろう。
でも、きっと彼女の中で一番大事だったのは夢を諦めないことだったんだろう。私だったらそう考える。だから、きっとリルヒルテもそうだった。
「――カテナさんは、私にとって憧れなんです」
まるで宝物を自慢するかのように、胸の内に収めきれなかった感情を涙として零しながら。
リルヒルテは、心からの笑みを浮かべていた。
「貴方の姿が、貴方の行いが、貴方が作り出した物が、貴方が私に見せてくれた全てが、私の夢を生き存えさせてくれた。もっと熱くなっていいと、もっと憧れて良いと、もっと夢を見ていいのだと、そう私に思わせてくれた」
そんな大層なものじゃない、と咄嗟に口に出してしまいそうになった。
だって、それはリルヒルテが抱き続けてきた夢であり、想いそのものだ。決して私が与えたものじゃない。
でも、そういう話でもないことは私だってわかっている。そう、リルヒルテはただ――。
「貴方が、眩しいです」
彼女は、私を光として見てくれていた。
まるで道に迷った末に、それでも辿るための光を見つけたように。
「――好きです。貴方が好きなんです、カテナさん」
だから、と。呼吸を震わせながらリルヒルテは言葉を紡ぐ。
「好きだから、貴方も、貴方の夢も守りたいんです。どんなに力及ばなくても、そう思うことをどうしても止められないんです」
リルヒルテは震えていた。笑みを浮かべながらも、その想いを晒してしまうことが怖いと言うように。
それはあまりにも無防備だ。ありのままで、それでいて剥き出しの想い。それ故に、どこまでも儚くて。
あぁ、と。私の口から吐息が零れ落ちていく。
リルヒルテの震えは、私の心までも震わせる。
それは共鳴だったのかもしれない。どこまでも似ていて、似ているからこそ響くもの。
だからこそ、私の夢はリルヒルテの夢と繋がっているのだと確信してしまう。
――どうか、私たちを諦めないでください。
響く声が聞こえる。心に刻みつけられた想いが繰り返し、その存在を訴えるように。
乞い願い、祈りのようにも聞こえる声に、私は――。
「――リルヒルテは、諦めないでいてくれる?」
ぽつりと、私はそう問いかけていた。
諦めないで、と言うなら。なら、私も同じ言葉を乞い願っても良いのだろうか?
私は普通の人と違う。
ここではない世界で生きた記憶があって。
この世界では存在しなかったものを作り上げて。
神にすら認められて神子になって、その価値は膨れあがるばかり。
皆と同じにはなれない。それは別に構わない。
叶えたい夢があるから、その夢を形に出来るのは自分しかいないから。どれだけ人と違っても構わない。
そう思うからこそ、他人に同じものを求めてはいけないと諦めた自分がいる。
仕方ないことだ。だって、私の夢は私だけのもの。私しか形に出来ないものだから。
私の夢が邪魔されないなら、多少の苦労も苦難も飲み込む覚悟は出来ている。
私の夢に協力してくれるなら、その人に力になっても構わないと思っている。
私は夢を叶えることが第一で、そのためになら諦められるものが多くて。
それを捨て始めたら歯止めが利かなくなることも自覚しているから。
出来れば、まだ捨てたくない。だから誰からも疎まれたくない。私が誰かを切り捨ててしまわないように。
だって、他人との関係は一方通行の思いだけでは縁は結べないから。
心のどこかで、いつか疎まれる日が来るのじゃないかと、または私を疎んだ誰かが私の大事な人たちを傷つけてしまうのじゃないかと想像してしまう。
そんな想像をしてしまえば諦めが心に根付いてしまう。たかが想像だとしても振り払えず、何度も思い返してしまう。
今はその時ではないからと見ない振りをしてきた。そんな日が来なければいいと思いながら、このまま普通の日々に寄り添えることを祈っていた。
「リルヒルテは私という人がいてくれることを、望んでくれる?」
私は刀鍛治になることが夢で、その夢を叶えるためにやりすぎて神に認められて神子になってしまう子だけれど。
その価値のせいで、魔神や魔族から狙われるかもしれない。いつか私のせいで傷ついてしまうかもしれなくても。
とても普通の女の子とは言えない、そんな自分を嫌いにもなれないし、夢を諦めることも出来なくて、他人よりも夢を優先してしまう私でも。
「――ここに、いていいのかな?」
ここではなくても、きっと私は大丈夫だけれど。
それでも、ここに残る努力をして良いというならここがいい。
愛してくれる家族が、領民がいて、更にもっと多くの繋がりを望んで良いのなら。
「――私は、貴方と一緒にもっと夢を追いかけていたいです」
私の両手を包み込むように、リルヒルテの手が伸びる。
その指のぬくもりを、その掌にある剣ダコの感触を直に確かめてしまう。
頬を伝うリルヒルテの涙の雫が、宝石の粒のようにすら見えた。
笑って、私が夢を追いかけることを許してくれる。
あぁ、それはきっと――私にとっては楔であり、許しでもあった。
願った夢は違えども、その夢の熱は互いに温め合うことが出来る。
私の夢にリルヒルテが救われたように、リルヒルテの夢が私の背中を押して、私の夢も含めて守ってくれると言うのなら。
私は、貴方を諦めずにこの縁を結び続けるために努力するよ。
リルヒルテ、私の最初の友達。私の夢に並んで進んでくれる貴方。
その事実が胸に染み入れば、私の中で何かが少しずつ変わり始めた気がした。
「――ありがとう、リルヒルテ」
私は貴方に出会えて良かったと、ずっとこれからも誇り続けたいんだ。




