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28:憂い、恐れるもの

 私は思い悩んで答えが出ない時や、嫌なことから目を背けたいと思った時には刀の手入れに没頭してしまう癖がある。

 刀の手入れをしている時は何も考えずにいられるから。


 図書館の見学が終わって自由時間を貰った私は、一人で刀の手入れに没頭することを決めた。

 ただ無心に刀の状態を確かめながら手を動かす。いつもだったらそれで何も考えずに没頭することが出来た筈だった。


 けれど、今は逆に駄目だった。

 刀の手入れに没頭しようとすればする程、レノアの言葉が脳裏に蘇ってしまう。


「……諦めないでください、か」


 諦め。口にすると、その言葉が胸の中で重みを増していくようだった。

 何が諦めという言葉を重くしているのか。その理由には見当が付いている。だからこそ振り払えず、大好きな刀の手入れにさえ没頭出来ずにいる。


「カテナさん?」


 ふと、顔を上げるのと同時に声をかけられた。座ったまま振り返ると、そこにはリルヒルテがいた。

 私がいるのは、私たちが自由に移動が許された区画の中でも人気の少ない中庭の隅だった。わざわざここまで私を探しに来たのだろうか?


「リルヒルテ、どうかした?」

「いえ、カテナさんの姿が見えなかったので……ちょっと気になりまして」

「刀の手入れをしたかっただけだよ。部屋でやっても良かったんだけど、一人になりたくて」

「……何かありましたか?」


 私の悩み、憂いに気付いているかのようにリルヒルテは少しだけ眉を寄せて心配そうに問いかけてきた。


「……ちょっと悩みが出来て。どうすればいいのか、どうしたいのか、どうにも自分でもハッキリしなくて」

「悩み……ですか?」

「うん。この悩みはどうにかしないといけないと思ってるんだけど、何をどうすれば良いのかまだ自分でも曖昧なままというか……」

「私で良ければ相談に乗りますよ」


 リルヒルテは微笑を浮かべて、私の隣に腰を下ろした。

 相談、か。リルヒルテの顔を見ているとレノアのことを思い出してしまうけれど、軽く頭を振ってレノアと話した内容は横に置いておく。


「……立場について悩んでる、のかな」

「立場ですか?」

「ちょっとキッカケがあって気付くことがあったんだけど……まず私にはどうしても叶えたい夢がある。私はこれからも刀鍛冶として刀を打っていきたい。刀を打つことに生涯をかけても惜しくないと思ってる」


 手入れの道具を片付けて、鞘に収める前に刀を見つめながら自分の思いを言葉にしていく。


「私にとって刀鍛冶になるという夢は何においても優先されるものなんだ。でも、私は神子に選ばれたからただ刀を打っていれば良いって訳にはいかなくなった」

「そうですね……」

「神子という立場になったからには自分の身を守れるぐらい強くならなきゃいけなかった。神器を作り出せるのだから、その責任に自覚も持つことも必要だった。それは仕方ないことだ」


 鞘に収めた刀を握り締めながら、私は一度目を伏せる。ゆっくりと呼吸を確かめるように黙ってから、再度口を開く。


「夢も立場も捨てられるものじゃないから、ずっと抱えていかなきゃいけない。でも抱えるものがいっぱいで……私は、周りの人を大事に出来ないかもしれないって思っちゃって」

「……そんな事はないのではありませんか? カテナさんは周囲の人を思いやることが出来る人です」

「うん。……でも、そこまでだとしたら?」

「……そこまで、とは?」

「今以上に、私は誰かと仲良くなりたいと思ってる訳じゃないんじゃないかって。そう思ってしまったんだよね」


 リルヒルテが僅かに息を呑んで、私を食い入るように見つめて来た。

 言葉にしていくと、私が抱いている思いの輪郭に触れたような気がした。だからもっと鮮明に理解が進む。


「もう誰とも仲良くなりたくないと思っている訳じゃないんだ。ただ……怖いんだと思う」

「怖い、ですか?」

「私に巻き込まれたり、私のせいで誰かが辛い目に遭ったり、最悪の場合で死んでしまったらなんて考えちゃうんだ」


 魔神、そして魔族の脅威は恐ろしいものだ。私が神子であり続ける限り、向き合い続けなければいけない災禍そのものだ。

 その災禍には悪辣な意志が存在している。時には狡猾とさえ言える手段さえ使ってくる。人の心の闇をついて、人を魔族に堕とすなんて最たるものだろう。


「私は神子だから。勿論、立場だけが理由じゃないけどね。そもそも魔神は私とは相容れない存在だから戦わなければならないことには納得してる。でも……その戦いに誰かを巻き込んでしまうのは、嫌なのかもしれない」

「……巻き込んだせいで、自分のせいで誰かが傷ついてしまうかもしれないから? だからカテナさんは、今よりもっと人との関係を深めようと思えないんですか?」

「立場や、立場に絡む面倒事を理由にしてたんだけど……突き詰めればそういうことなんだなぁ、って自覚させられて」


 私がそう言うと、リルヒルテがまるで傷ついたような表情で俯いてしまった。

 そんな顔をさせてしまうのも仕方ないと思っている。自覚がないのだとしても、私の行動の大元にはそんな思いがあったのは事実なのだから。


「でも、理由があるからって諦めてるんだとしたら、それはとても失礼な話だし、自分にも馬鹿馬鹿しくなったんだよね」

「馬鹿馬鹿しい……ですか?」


 傷ついたような表情から一転して、顔を上げながらキョトンとした顔でリルヒルテは私を見た。

 そんなリルヒルテの反応に私は思わず笑ってしまった。


「うん。でも、馬鹿馬鹿しいと思いながらも振り払えなくてね。私もまだまだ怖がりなんだな、って。……怖いんだ、お前がいたからって、お前のせいだって言われるのはさ」

「……カテナさん?」

「私のせいで魔族に付け狙われるかもしれない。人だって私に対して恨みや妬みを持つ人だって出てくる。私が煩わせられるだけなら、まだ怒ったり無視したりするだけで済ませられる。でも、周りの人まで巻き込まれるのが一番嫌なんだ。それが一番怖い。もし、そうなった時……私は――人を傷つけずにはいられないかもしれない」


 私は自惚れてもいいなら強いと思う。上から数えても名前が挙がるのは早い方だろう。

 私自身が持つ価値の重さも、その価値に見合った力だって振るおうと思えば振るえる。

 守りたいものがあるなら、この力を振るうことに躊躇いはない。そこまではまだ許容出来る。

 でも、その先が怖いんだ。


「私は、自分が怒り狂ってしまうことが怖い。誰かを妬むことも、恨むことも、それは仕方ないことだと思う。人である以上、無縁ではいられない感情だ。だから魔が差して陰湿な手段に手を染める人もいる。全部、わかってる」


 わかっていても、実際に私の大事な人を傷つけられたら怒りを我慢出来るだろうか。

 多分、私は怒りを我慢することが出来ない。何せシエラを助けるためにラトナラジュ王国に乗り込んだ前例があるからだ。


「私が抱いた怒りが力に結びついて、自分でも制御出来なくなるのが……怖い。大事な人を作ってしまったら、今以上に大事に思ってしまったら、私はもっと我慢しなければならなくなるかもしれない。その我慢を出来る自信が持てない。それなら諦めてしまった方が良いって……」


 ある意味で、私が刀鍛治に執着するのも前世に対する怒りがあるからだと言うことも出来る。

 前世での無念、果たすことが出来なかった夢。諦めなければいけなかった問題と、乗り越えられなかった自分。

 それを嘆いていたという自覚はあるけれど、今ならもう少し違った見方が出来る。


「怒りと悲しみって、もの凄く近い場所にあって、互いにいつどっちに転じてもおかしくないと思うんだ。私はそう思うからこそ……自分が怒りを抱くようなものを減らしたかったんだろうなって」


 諦めないでくださいと、レノアは私に言った。

 その時に受けた衝撃は、私が無意識に諦めていたことを自覚したからだと今なら理解出来る。

 自覚したからこそ、私が恐れているものへの輪郭が見えてきてしまう。

 怒り狂った自分が、全てを切り伏せて滅ぼしてしまうかもしれない。私が恐れているのはそんな未来だ。


「……カテナさんは」


 僅かに沈黙の間を置いて、リルヒルテがゆっくりと口を開いた。


「以前、私に言いましたよね。自分を守ろうとしないでくれって」

「……言ったね」


 ラトナラジュ王国に旅立つ前の話だろう。確かに私はリルヒルテにそう言った覚えがある。

 それはリルヒルテに傷ついて欲しくないし、焦っても欲しくなかったから。それも私が理由になっているのだとしたら尚更だ。

 あの時からもう、私の無意識の恐れは現れていたんだな、と今更ながら思う。


「カテナさんが言いたいこと、貴方という人を知っているからわかります。貴方は優しくて、強くて、そして同じぐらい恐ろしい一面もあります」

「……うん」

「確かに怒り狂ってしまった貴方は誰にも手がつけられないかもしれないですね。それが出来る力があるから自分が怖くて、そうならないように遠ざけようとしてしまう気持ちも理解出来ます」


 リルヒルテは寂しげで、儚げな笑みを浮かべながら言った。


「それでも、私は今より貴方に近づきたいです」

「……リルヒルテ」

「一方的に守って、守られる関係じゃなくて助け合う。そんな関係になりたいと言ってくれたのはカテナさんですよ」


 リルヒルテの手が私の手に添えられる。一気に近づいた距離はリルヒルテの息遣いを感じられる程だ。


「貴方が誰かを悲しませる理不尽に怒りを抱くと言うのなら……その思いを預かりたい、私にも分けて欲しいと、そう思うのは迷惑ですか?」

「……」

「……困らせたら、ごめんなさい。でも、それでもやっぱり私、思ってしまうんです」

「……何を?」



「――私は、だからこそ貴方を守りたいって思うんです。カテナさん」



 困ったように眉を少し寄せて、泣き笑いのような表情でリルヒルテはそう言った。

 

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