26:レノア・ポーター
ベリアス殿下とアネーシャ様の逢瀬をそっと見守った後、私たちはその場を離れた。
ラッセル様だけは一足先にベリアス殿下と合流するために離れていき、今はレノアと適当に図書館を巡っている。
出歯亀をしていたことをベリアス殿下に悟られないためのちょっとしたアリバイ工作だ。
「いや、あのベリアス殿下には驚いたけれどもアネーシャ様がこのまま婚約者になってくれたら安心出来るんじゃないかな?」
「良い御方ですからね」
「うんうん、グランアゲート王国の未来も明るいね。アネーシャ様もベリアス殿下のことを意識しているみたいだし、これでアネーシャ様がベリアス殿下を好きになって結ばれてくれたら言うことはなしだよ」
アイオライト王国に来る前までは政略結婚する気満々だったからね、ベリアス殿下は。
それがアネーシャ様と出会ってあぁなるのだから人生ってわからないものだなぁ。
「……カテナ様は」
「ん?」
ふと、レノアが足を止めた。
私も足を止めてレノアへと振り返ると、レノアは私を真っ直ぐに見つめていた。
「もしも、カテナ様にも貴方を恋い慕う人がいたらどうするのですか?」
「……なんでまた、そんな質問を?」
「単に気になっただけです。カテナ様はご自身の結婚、ひいては恋愛そのものを諦めているように見えましたので。それなのに他人の幸せを尊べるのですか?」
「えぇ……」
なんとも答えにくい質問を投げかけてくるものだと、思わずそう思ってしまった。
「私は、ほら、立場が難しいからね」
「立場を理由に諦めるのですか?」
「うーん……元からそんなに前向きじゃないからね、恋愛に対して」
「それは、どうしてか聞いても?」
「夢があるから。私は夢を叶えることが何よりの一番だからね」
そっと腰に下げた天照に触れる。この世界に転生して、カテナ・アイアンウィルとして生を受けた。
この世界では前世で諦めきれなかった夢に手を伸ばせることを知ってしまった。それが私の始まり。
「私は刀匠になりたい。心から満足するまで刀を作っていたいんだ。幼い頃からずっとその夢を追いかけて生きてきたし、これからもそうして生きていくつもりなんだ。はっきり言って私にとって神子の責務とか、魔族や魔神とかは刀作りのための障害でしかない。今の立場になってしまった以上、色々な厄介事が起きるのは仕方ないけれど……望んでもない厄介事で振り回されるのははっきり言って面倒臭いんだよ」
「言い切りましたね……」
「最初は自分を自由な立場にしてくれる人のところに嫁げればなんて考えもしたけどね、もう無理でしょ? 自分にどれだけの価値がついてるのかわからない程、無頓着なつもりはないよ」
私は苦笑しながらそう言った。そんな私をレノアはただ見つめている。
そして私から視線を外し、少し俯くように顔を下げてから呟いた。
「それならカテナ様の夢を応援して、厄介事を引き受けてくれる人だったら受け入れられますか?」
「へ?」
「そこまでしてくれる人が出て来ないとも言い切れませんよね?」
「……えー、うーん……どうかなぁ」
「それでも受け入れられませんか?」
「うーん……」
思わず何度も唸ってしまう。答えあぐねていると、レノアが少しだけ据わったような目付きで私を見た。
思わず首筋の裏にひやりとしたものを感じてしまう。何かレノアの気に障ってしまったのだろうかと不安になる。
「立場は仕方ありません。人に慕われようとも、それを受け入れるかどうか決めるのもカテナ様の自由です。貴方がどのような選択をしようと私がとやかく言うことはでないとわかっています。ですが……少しだけ思ってしまったのです」
「……何を?」
「……いつか、貴方は私たちすらも置いてどこかに消えてしまいそうだと」
レノアの言葉に私は一瞬、何も言えなかった。
そんなことない。そう言えなかったのは、少しでも可能性があると思っているから。
そんな可能性がないと思っていたなら、テティスがアイオライト王国に来ても良いという誘いに心動かされなかっただろう。
「カテナ様の力を知れば野心を擽られる人もいるでしょう。実際、そういう人たちを私はお嬢様と一緒に見てきました。それは否定出来ません。貴方にとってはただ迷惑なのもわかっています」
「……レノア」
「私たちだって、ある意味で無理に押しかけた身です。それでも貴方は私たちを友人として受け入れてくれました。お嬢様も、私も、カテナ様の優しさに救われた身です。……だから貴方を慕っているのです」
どこか苦しげにレノアは呟く。そんなレノアに私はどんな言葉をかければ良いのかわからない。
「わかっているんです、この思いは自分勝手だとも。それでも貴方の助けになりたいと、貴方の夢に私は道を示して貰えたからそう思ってしまうのです。貴方と私では立場が違うのもわかっていても、その立場の違いがいつか貴方をどこか遠くへ連れて行ってしまいそうで……そう思ったら、嫌な気持ちになるのです。貴方もいつか、そうなるかもしれないと思っていると知ってしまったから尚更です」
「……うん。ごめん、否定はしないよ。レノアが感じたことは全部その通りだ。私はいつもどこかでそうなるかもしれないって思ってるんだと思う」
それだけ神子という立場は重い。望んでいなくても背負わなければならない。
その責任を背負わなければ私はこの世界でこれ以上、夢を追いかけることが出来ないから。
私は刀をこの世界で生み出し、それが神器として認められてしまった。それは栄誉なことで、大事なものを守れるだけの力を与えられたことは結果的に良かったとは思っている。
「私は少し自惚れても良いと思える程度には強くなれたと思ってる。それでも私は一人しかいないし、苦手なことだってある。私のせいなのに、私が何も責任が取れないことで誰かが苦しんでしまうかもしれない。私はそれが凄く嫌なんだ。自分のせいで迷惑をかけるぐらいなら……姿を消すことを選ぶかもしれない」
それが私の本心だった。どうしてもこればかりは受け入れられないから。
まだイリディアム陛下が私の立場を保証して、今の生活を守ってくれているからグランアゲート王国で生活が出来ている。
もしも、イリディアム陛下が無理に私を利用しようとしていたら私は家族も国も捨てて一人になる道を選んでいたと思う。
「……それは仕方ないですね」
「……うん」
「カテナ様がそう考えてしまうのは仕方ないと、私もそう思ってしまいますから。あぁ、ある意味でただの八つ当たりですね、これは。聞いていると複雑な気持ちになってしまって……」
「レノアが……八つ当たり?」
「私も立場があるなら仕方ないと諦めましたから。そもそも立場以前の問題だったのかもしれませんが……」
レノアは溜め息を吐くと表情を緩めた。いつもは引き締めた表情を浮かべていることが多い彼女には珍しい年相応の表情だった。
「……自分で言うのも何ですが、私はあまり個人的なことをカテナ様と話したことはありませんでしたね」
「そう言われれば、そうかも?」
レノアは普段から自分のことはあまり喋らない。刀や鍛練に関することについてはよく話すけれども、レノア自身について聞いたことなんてそれこそ数える程だった。
普段はリルヒルテと一緒だし、リルヒルテの方が積極的に会話をしているから、レノアから口を開くことなんて今までそんなになかったんだと今更ながら思う。
「個人的なことは、あまり喋りたくないからというのもあるのですが」
「そうなの?」
「えぇ。……でも、カテナ様には話しておきたいと思ったので」
「なんでまた……」
「少し貴方に苛ついてしまって、それで当たってしまいましたから。八つ当たりしてしまったことは謝罪します」
「苛つくって、穏やかじゃないね……」
「えぇ、私もそう思います」
クスクスと、レノアはどこか吹っ切れたように笑った。レノアにしては珍しい表情でまじまじと見つめてしまう。
「レノアにとって、感情を晒してしまう程に何か思うことがあったんだね?」
「そうですね。本当に個人的な話でしかないのですが……私は昔、恋をしました。子供の頃のことなので、それを恋と呼ぶべきなのかは今でも悩んでいるのですが……」
「……レノアが、恋!?」
思ってもいなかった単語が飛び出たので、ちょっと変な声が出てしまった。
「何故、そんな意外そうな反応を……人を何だと思っているのですか?」
「だって普段のレノアって、こう従者の鑑というか、何と言うか……」
「仕事人間を装ってるだけですよ。それが一番楽なので」
「……もしかして、レノアって結構変な人?」
「だから自分からはあまり個人的なことは話さないんですよ、自覚があるので」
ふぅ、と溜め息を吐くレノア。気怠げな仕草は、普段は感じられない色気のようなものを感じてしまう程だ。
「いや、そっか。レノアも恋とかするんだね……」
「えぇ、諦めましたが。それこそ立場が違ったので」
「あー……それは、その、何と言うか私の話を聞いてたら苛つくよね?」
立場を理由に恋愛を遠ざけようとしている私は、立場を理由に恋を諦めてしまったレノアから見れば複雑な思いを抱いてしまっても仕方ないと思う。
するとレノアは苦笑を浮かべた。まるで反応に困る、とでも言いたげな態度だ。
「……まぁ、それだけが理由ではないのですが」
「?」
「色々と聞き出してしまった身ですので、私も自分の弱みを貴方に晒すべきだと思ったのです」
「弱みって……」
「それにこの話を誰かに話すのは初めてなので、聞いて欲しかったというのもありますが。カテナ様なら聞き流してくれそうなのと、もしもそれでカテナ様が私と距離を置かれるのなら、もうそれは仕方ないのだと思えますから」
今度はこちらが反応に困ることを言われてしまった。
なんというか、普段のレノアとは違って掴み所がないような気がする。これが実はレノアの素なのかもしれないと思えば、普段はどれだけ猫を被っているのだろうか?
「まぁ、聞いて欲しいなら聞くけど……」
「ありがとうございます。……改まって話そうと思うと、どこから話せば良いかと思うのですが……そうですね」
レノアは少し悩むように唇に指を当てた後、ゆっくりと口を開いた。
「――私の初恋の相手は、女性だったんですよ」




