24:書物の海
「……あの、女王陛下と大公がご迷惑をおかけしなかったでしょうか?」
テティスとキュルケ大公との会合が終わった後、アイオライト王国が誇る図書館を見学するということで案内役としてアネーシャ様がやってきた。
そこで疲労困憊といった様子のベリアス殿下を見て、不安げな表情を浮かべて問いかけてくる。それに対してベリアス殿下はすぐに表情を取り繕う。
「いや、そんな事はない。それよりも案内をよろしく頼む、アネーシャ殿」
「……わかりました。では、こちらへどうぞ」
アネーシャ様の先導で私たちは移動する。何度見ても城としか思えない外観の図書館は王城と渡り廊下で繋がっていて、その移動の途中に見える中庭も見事なものだった。
グランアゲート王国は大地を司る国と言われるだけあって、園芸には力を入れている。花などの彩りは流石にグランアゲート王国の方が鮮やかだと思うけれど、アイオライト王国は造形にこそ力を入れているように見える。
自然の彩りを中心に見栄えを組み立てるグランアゲート王国と、庭を飾る置物を引き立てるように配置しているアイオライト王国の違いのように思えて、ちょっと楽しい。
「セイレンはもっと華やかだったけれど、アトランティアはもっと落ち着いた上品さがあるって感じかな……」
「気に入って頂けたなら幸いです。セイレンが華やかというのはその通りかと。アトランティアでは、あまり華やかさというのは求められていないので。ふと目を向ければ穏やかな気持ちになれる。そんな風景がよく好まれているのです」
「成る程ね……」
セイレンが観光地として発展した町だとするなら、アトランティアは隠れ里とか秘境といった違いと言えるだろうか。
同じ国でも違いを感じる風景を楽しみつつ、やってきた図書館。近くまで来ると、その建物の大きさと重厚さに圧倒されそうになる。
こうして見ると王城の方はまだ飾りっ気があるように思えた。どこまでも堅牢で無骨な雰囲気を漂わせているアイオライト王国の図書館。思わずごくりと喉が鳴ってしまう。
「……何と言うか、凄まじいな」
「威圧感があるでしょう?」
ベリアス殿下が私と似たような感想を零すと、アネーシャ様がクスクスと笑った。
「威圧感があるのは意図的だそうですよ。ここに入る者は、決して知識と歴史の重みを忘れるなかれ。ここは女王陛下に並ぶ程、この国では守り通さなければならない場所ですので」
「……確かに重みを感じるな」
ベリアス殿下の漏らした一言にアネーシャ様が笑みを浮かべたまま、中へと案内していく。
図書館の入り口に入ったものの、そこに本の姿はなかった。まず、最初に目に入ったのはお洒落なカフェのようなスペースだった。
そこでは様々な人が本を読んでいたり、まったりと会話に興じているようだった。
「ここは図書館を訪れた人が読書や休憩をするための場所となっております。本はこの奥に収められています。一般の方々はあそこの受付で身分証明をしてから入館となります」
アネーシャ様が指し示した先には受付のカウンターがあり、本が収められている場所へと続く門の前には警備と思われる兵士が立っている。
そして、その門がこれまた厳つい。人の身長の三倍はあろうかとも思えるような扉だ。
「……厳重だな」
「我が国の心臓部と言えますからね。これでもまだ警備が薄いところなんですよ。入り口ですからね」
「文化の違いを感じます……」
ぽつりとリルヒルテが小さく呟いていた。その隣ではレノアも同意するように頷いていた。
そしてアネーシャ様が受付と警備の人たちに声をかけて、重厚すぎる扉がゆっくりと開いて中へと足を踏み入れる。
日の光とは違う柔らかな明かりに照らされた中は、本の香りで満ち溢れていた。
窓が一切なく、光源となるのはランプのような明かりのみ。静謐に満ちた空間は、まるで扉を隔てて異世界へと続いていたかのような錯覚すら感じさせる。
本、本、本、見渡す限りの本だ。最早数え切れない無数の本がそこに収められている。グランアゲート王国にも図書館はあるけれど、比べてしまえば規模が違いすぎる。
「……言葉を無くしてしまいますね、これは」
眼鏡を指で押し上げながら、どこか弾んだ声でラッセル様が呟いた。
シエラなんてぽかん、と口を開けてしまっている。それだけこの光景は圧巻だった。
「ここはまだ浅い区画なので、一般的に広められる知識や物語など置いてあります」
「浅い……ですか?」
「えぇ、これでもまだ一部です。全体の三割ほどでしょうか?」
「……これで三割か。ここだけでもグランアゲート王国の図書館をも圧倒しているというのに」
アネーシャ様が三割だという空間は、もう大広間と言うだけのスペースがあるし、一部はロフトのように部屋の中で二階があり、そこにもぎっしりと本が詰められている。
ここにある本を読み尽くすとなると、一体どれだけの時間が必要なんだろうか。そんな事を考えてしまいたくなる程の蔵書量だ。
「驚いて頂いたなら何よりです。もしお時間があるのであれば、読みたい本などご紹介出来るかと思いますが……」
「……アネーシャ殿は一体どれだけの本を読んだのだ?」
「えっと、この区画にある本なら全部読みました」
「全部!?」
「あっ、でも整理したり、再編纂したものがありますから全部とは言えませんね。あくまで一通り、といった方が正しかったです」
この目の前に広がる本の山を? いや、どちらかと言えば本の海と言った方が正確かもしれないけれど。
それだけアネーシャ様は知識を詰め込んでるってことなんだろうか。それは、なんというかもう感心するしかない。
「女王陛下も私と同じ程度の読書量ですよ」
「テティス女王も?」
「女王候補だった時は競い合うように本を読んでいましたので。アトランティアでは娯楽と言えば釣りや舞や芸の鑑賞、それから読書ですから」
「うーん、聞いていると優雅な生活にも思えてくる……」
私は思わず文化人的だな、なんて思ってしまう。華やかなセイレンとはまた違ったけれど、アトランティアにも風情と言うべきものがあるような気がする。
ベリアス殿下も感心しきっているし、そんな様子を見ているアネーシャ様もどこか嬉しそうだ。自国の文化を褒められれば悪い気はしないんだろうし。
「でも、本で知識は得られても体験までは得られませんから」
謙遜するような、そして隠しきれない憧れを滲ませたようにアネーシャ様は呟いた。
本棚を見つめる彼女の表情を、ベリアス殿下が目を奪われたように凝視している。
「どんなに本を読んでも、私たちが実際に体験出来るものは多くなくて。憧れを抱いても、憧れのままで終わってしまうのは……ちょっとだけ、寂しいと思います」
「……アネーシャ殿」
「……申し訳ありません。余計な言葉を挟みました。それでは区画について説明しながらご案内していきますね」
にっこりと笑みを浮かべて、アネーシャ様が私たちを先導するように歩き出す。
そんなアネーシャ様の背中を見つめた後、ベリアス殿下は彼女の隣に並ぶように早足に進んで行く。
「……経緯も、育った環境も違いますけど、わからなくはないですね」
「シエラ?」
「どこにも自由に行けないと、諦めるのには時間がかかりますから。そして、その諦めを振り払うことも……ずっと諦めていた人には難しいことですよ」
ぽつりと呟いたシエラの言葉に、私たちは何も言えずにアネーシャ様の背を見ることしか出来なかった。




