17:二人の神の代理人
「……うわぁ」
私を呼びに来たメイドに案内されて、再び訪れた庭園。
昼の時とは違って、そこは幻想的な光が淡く灯る別世界のような景色に変わっていた。
暗くはない。けれど、明るいとも言い切れない。それでいて視界ははっきりしているのだから幻想的だと称するのが一番当て嵌まる。
そんな景色の中を歩いていくと、月を水面に映した池の前で立っているテティス女王がいた。
私の気配に気付いたのか、テティス女王はゆっくりと私の方へと振り返る。軽く手で合図をすると、私を案内していたメイドが一礼をして去っていった。
「夜分に呼び出してすまないな、カテナよ」
「いえ、構いません」
「そうか。……どう思う? 夜の庭園は昼とはまた違うであろう。美しさだけで言えば夜の方が良いとも言う者も多い」
テティス女王が私から視線を逸らして、庭園の中を見渡すようにしながら言った。
私も自然と庭園の景色へと視線を移す。目で楽しむのは勿論だけれど、僅かに吹き込む風が葉を揺らす音や、自然の気配が香るこの空間は癒しに満ちていると心から思えた。
「良い場所だと思います。……ただ、少しだけ造り物のような気もして、落ち着かないですね」
「造り物か。ふふ、確かにその通りである。ここはただ居心地の良さを、ここにいることが苦にならぬように誰もが力を注いでいる。ゆっくりと気付かぬ内に少しずつ景観を変えるように庭師たちが心血注いでいる程だ」
テティス女王の言葉に、私はどんな表情を浮かべれば良いのかわからなかった。
王族の血と使命を受け継ぎ、次代に繋げるためにこの箱庭のような場所で生き続けなければならないアイオライト王国の女王。
私よりも年下なのに、その運命を受け入れた彼女の心境なんてまったく想像が出来ない。
「アネーシャ姉様から聞いたな? 我が国の王族の仕来りを」
「……はい」
「そんな顔をすることもない。ここにいれば衣食住は困らぬし、出入りを許される者も優れたものたちばかりだ。歌に物語、習い事に吟遊、常に楽しめる場だと思えばこれほどの贅沢もあるまい? 民は汗水流して日々の糧を得ようと働くのが当たり前であろう?」
まったく影もなく、テティス女王は笑っている。本当に心の底からそう思っているのだと感じさせる笑顔だ。
「ここから出られぬことなど、ここで過ごすことと引き換えにはならぬのだよ。少なくとも妾にとってはな」
「……つまりは引き籠もりってことですか」
「そういう事だな? さて、立ち話もなんだ。ガセボへと移ろう」
くくっ、と喉を鳴らすようにしてテティス女王は笑った。そして促されるようにしてガセボに向かって、向き合うように席に座った。
お茶とお茶菓子が既に用意されていて、テティス女王が摘まむのを見てから私も口に運んだ。
「カテナとは一対一で話がしたかったのでな、ご足労を頂いた訳だ」
「はぁ……」
「あぁ、今は妾たちだけなのだから敬語など使わんでも良い。あくまで妾たちは対等な友人ということにしよう。……ダメか?」
「ダメって言われたらダメでしょう。貴方は女王なのですから」
「その女王とまったく同じ事を、いや、それ以上の事が出来るだろうカテナは一体何者となるのだ?」
「……私は私ですし、買いかぶりですよ」
「流石に妾とて、この地を離れれば神の声を聞くことも難しいのであるがな。この庭園が人の出入りを制限している理由も、カテナなら理解が出来るであろう?」
「……神気を庭園に満たすため、ですよね?」
私が確認するように問いかけると、正解だと言わんばかりにテティス女王が笑みを浮かべた。
「なんだ、やはりわかっているではないか。妾はここでしか己の役目を果たすことが出来ぬ。しかし、カテナは自らの力のみで神域を整えることが出来る。妾の女王としての価値を上回る者をどうして格下として扱えようか?」
「えーと、それは世間体というものがありましてですね……」
「妾たちの他に誰もいないが?」
「護衛とか普通はいませんか?」
「並の護衛より妾の方が強い」
えへん、と胸を張ってみせるテティス女王に思わず頭痛を覚えてしまった。やっぱり自由だな、この子。
「それに妾は友と呼べる者がおらぬ。妾と共感してくれそうな相手など、それこそ母上ぐらいのものだった。だから妾は嬉しいのだよ、カテナ。お前となら友になれると、そう思っていた」
「友って……」
「共に神に近しい身だ。余人には話せぬことを知ることも多いであろう? 我らは神子なのだ。神々の血を引き、民の先導となる他の王族とも違う。神の代理人である我らは余人と隔絶されていなければならない。望まずとも、世の秘密を抱えることはあろう」
笑みを消して、とても真剣な表情でテティス女王は言った。
彼女の言葉を、私は否定出来なかった。確かに神子であるからこそ、人には語れない話だってある。
例えば、ヴィズリル様の使命のことだとか。時として、私は神の視点で世界を知ることになる。その中には伝えてはならない事だってある。
そう思えば、ミニリル様があまり私に秘密や核心に触れそうなことはまったく伝えてこないことは少しだけ納得出来る。
恐らくだけど、私が人の世から逸脱しすぎないように気を遣ってくれているのだろう。
「妾は孤独には耐えられるが、別に一人が良い訳でもないのだ」
「……テティス女王」
「テティスと呼んでくれないか? カテナの言う世間体の大切さは理解している。だが、このように二人だけの時はテティスと、ただ一人の人間として扱って欲しいのだ。この国で私をそのように扱えるものなど、おらぬのだからな」
淡く笑みを浮かべるテティス女王の顔を見つめてから、私はゆっくりと息を吐き出した。
心を定めるまで、目を閉じて呼吸を整える。決意を込めて目を開いて、私は彼女を真っ直ぐに見つめる。
「……わかったわ、テティス」
敬称を外して呼べば、テティスは花が綻ぶかのように笑みを浮かべてくれた。
年相応の笑みではない。ただ、ホッとして救われたような、そんな切実さを感じてしまう。
「ありがとう、カテナ」
「どういたしまして」
「あぁ。……色々と話したいことがあるのだがな、まずは何から話すべきか……」
どこか落ち着かないと言ったように身を揺すりながら、テティスは今にも鼻歌を歌い出しそうなほどに浮かれていた。
まだ十三歳なのに、向いてるからって言っても女王として在り続けなければならない彼女の苦労を少しだけ感じ取ってしまった。
「そうだな、まずはアネーシャ姉様のことを聞かせておくれ。ベリアス王子の反応は悪くないとは睨んでいたのじゃが? 婚姻まで持って行けそうか?」
「あー……そこから聞く?」
「当然じゃ! グランアゲート王国からベリアス王子が来ると聞いて、真っ先に企てた計画じゃぞ? して、どうなのだ?」
「待って。そもそも、なんでそんな計画を?」
「色々と理由はあるが……アネーシャ姉様はこのアトランティアとは水が合わぬと思っているからだ」
「水が合わない……」
「アネーシャ姉様はなろうと思えば何にだってなれる。妾の代わりに女王だって卒なくこなしたであろうし、将来は大公だって目指そうと思えば目指せただろう。図書館の司書長とて夢ではない。しかし、可能性に満ち溢れているがそれを自分で閉ざしているのだ」
「……アネーシャ様はテティスに押し付けてしまったんじゃないかと気に病んでたけど?」
「望んで選んだ道だ。それを気に病むなど、自ら道も定められていない癖に姉ぶるなと言いたい所だがな」
ふん、と鼻を鳴らしながらテティスは言った。確かに押し付けられてイヤイヤやってるようには見えないわよね。
「まぁ、それも仕方ない。アトランティアで育っていれば、アネーシャ姉様の方が明らかな異端であるからな」
「異端って……」
「アトランティアは使命を守り、繋ぐことを至上とする。その為に必要なら変化することも受け入れるが、そも変わる必要もそんなにないのだ。変化がない生活を守り続けるのが嫌ならセイレンに移ることも推奨している。その中でアネーシャ姉様はどっちつかずの半端者なのだ」
はぁ、と深く溜息を吐き出すテティスの顔には憂いの色が満ちていた。
「あの人は女王の才もある。更に言えば変革を齎す才能もな。しかし、それはアトランティアでは求められていない。いっそ、セイレンで過ごした方がまだ生きやすいだろう。それでもアネーシャ姉様がアトランティアから離れようとしないのは、それこそ妾への罪悪感故なのだろうな。こっちはまったく気にしていないというのに」
「だからベリアス殿下との婚姻を進めようと?」
私の疑問に、テティスは柔らかな笑みを浮かべた。
心の底から良かったと、安堵に胸を撫で下ろすような優しい笑顔。そんな笑顔を私に向けながら、テティスは言葉を続けた。
「それもあるが、何より……カテナ。お前が現れてくれたからだ」




