09 閑話4 理不尽な神様
延々と、愛し子へ怨嗟の言葉を吐き続ける男の姿を、視界から消す。
何ともくだらぬ男よ。
この調子だと、自身が渇いて死んでなお、気づかぬだろうな。己の妻が地下で乾いて死ぬことに。
果たしてこの男に番への愛情は、あったのだろうか。
人というモノはよくわからんな。
まぁ良い。
愛し子だ、愛し子。
水を飲んだ後、また眠ってしまった。
仕方ない。
まだ愛し子の魂は疲れておるし、我の力も馴染んでいない。本来ならもっと後に目覚める予定だったのだから。どうやら愛し子の魂は、我が思う以上に頑強なようだ。でなければこんなに早く目覚めたりせぬ。
それにしても愛いな。
起きて、動いて、喋っていても愛らしいというのに、こうして眠っていてなお愛らしいとは、愛し子は最早神の創造物に違いない!
……当たり前だな。我の創造物なのだから。
ふふふ。しかし、自分の才能が憎いぞ。こうも愛らしい愛し子を創れるのは、万の神の中でも我くらいのものではないか?
「ん……」
む!?
また目覚めるか?
じっと見ていると、愛し子の瞼がゆっくりと持ち上がった。
揺り籠の中で二度三度、寝返りをうち、その場で伸びをすると、もぞもぞと起き出す。
「うむ。目が覚めたか?」
「あ……守護神様、おはようございます」
まだ少し寝ぼけておるな。
とろんと半分寝ぼけた眼に我を映し、かくん、と頭を下げた。
ふふふ。この気の抜けた感じも良いではないか。
人の世にあったころは、毎日毎日気を張っておったからな。
「調子はどうだ? 何か欲しいものはあるか?」
「えっと、まだここから出ちゃいけないんですか?」
「うむ。もう少しだな。なに、そう時間もかかるまい」
「じゃぁえっと……お水、を、もらえますか?」
「勿論だ。そら、飲むがよい」
愛し子が寝ている間に新しく用意したグラスに水を注ぎ、手渡す。愛し子は受け取ると、早速口をつけた。
反った喉がこくり、と上下する。
うむうむ。その調子で我の力をもっと取り込むが良い。
見たところ、人間の時間であと二、三日、といったところか? いや、もう少し早いかもな。それまでに下の世界の仕込みを終わらさねばな。愛し子が下界を覗く術はないが、気にしてはなるまい。
下で活動させている分身体へと力を送る。
「えっと、守護神様……」
「む? どうした? もう一度水か?」
空のグラスを片手に、所在なさげに見上げてくる愛し子。
完全に目が覚めたようだ。しっかりとした眼差しで我を見ておる。
うむ。可愛らしいな。
愛し子はふるふると小さく、首を左右に振った。
「あ、ありがとうございます。水はもう大丈夫です」
「では何か食すか? それとも着替えか?」
「えーっと、それも大丈夫です」
「そうか」
うむ、事足りているようだ。些か残念である。折角愛し子の世話をやけるチャンスだというのに。
空のグラスを受け取り、机に置く。
「あの、ここはどこですか?」
「我の領域だ」
「すごく、綺麗なんですね」
きょろきょろと辺りを見渡し、にこりと笑う愛し子。
そうか! 綺麗か!
ふふふ、そうか、そうか!
「それは良かった。目覚めたとき、そなたが安らかであるように整えた甲斐がある」
「え!? ど、どういうことですか?」
「ここは本来何もない。ただただ白い空間だが、昔の愛し子に、こんな場所にいては気が狂いそうだと怒られてな。それから愛し子をここに迎えるとき、は必ずこうして整えることにしてある」
「あー……確かに。白いだけじゃ発狂するって、聞いたことがあるなぁ……」
ぶつぶつと愛し子が呟きながら、頷いておる。
発狂か。
我が創った愛し子が、そう簡単に狂うことはないだろうが、それは困る。やはり今後も愛し子を迎える際は、必ず場を整えることにしよう。
「あの、昔の愛し子って? 愛し子って沢山いるんですか?」
「いいや。愛し子とは、我が創った魂で、唯一だ」
「え? じゃぁ、愛し子って死ぬたびに創り直すか、転生するんですか?」
「創りなおすことはない。愛し子は幾度も転生を繰り返す。死ぬたびにここへやってきて、次の希望の転生先へと転生するのだが、魂が傷ついている時は、ここで癒してから、転生する。転生するもしないも、愛し子の意思に任せておるが、愛し子は皆、ある程度癒されると、転生を希望するな。ここは我以外何も居らんからな。愛し子も飽きるのだろう」
「えーっと、傷つく前に、助けたりってできないんですか?」
神様ですよね、と首を傾げる愛し子。
ぐっ。痛いところを。
我とて助けられるものなら助けたい。
「……昔、勝手に手を出したら愛し子に拒絶された。人の世にあるときは、自らの力で人生を切り開く。勝手な真似をするな、と。望んだとき以外に手を出すのは、人をダメにする行為だ、と。故に、我は愛し子が望まぬ限り、けして動けぬ」
「その愛し子ギルティ……」
む? 何か愛し子が呟いた気がする。
「いやいやいや、ええっと、こう、時と場合があるような気がするんですけど……」
「無理だな。我は愛し子との約束を違えぬ。そう、誓約してある」
「誓約?」
不思議そうにぱちぱちと瞬く。
そう、誓約。
我と愛し子の間に設けられた決まり。
我はそれに則って、愛し子を見守る。
どれ、久しぶりに愛し子に諳んじてやろうではないか。
一つ、我は愛し子の思考を勝手に読まぬ。
一つ、我は愛し子を見守る際、愛し子が認めた範囲でのみ、傍に侍る。
一つ、我は愛し子が下界にいる際、愛し子が望まぬ以上は手を出さぬ。
一つ、我は愛し子が転生する際、愛し子の望むとおりに転生させる。
一つ、我は愛し子が転生する際、愛し子の前世の記憶を抜く。
一つ、
「あ、ちょっと、ストップ、待ってください、待ってください!?」
む? どうした?
まだまだ愛し子との誓約は沢山あるというのに。
「どうした?」
「えーっと……どうしてそんな沢山縛りがあるんですか?」
「全て愛し子が望んだことだな」
「えぇぇぇ……」
何だ? 何だか不服そうだな?
何か問題があっただろうか?
歴代の愛し子は、これらを当然のこととして受け入れておったが。
「あー……うん、まぁ、いいや……うん。えーっと……どうしてそんなに愛し子のいう事をきくんですか? 守護神様は神様で、偉いんですよね?」
「我が愛し子を愛しておるからだ」
「あ! いっ……!」
愛し子の全身が、突然朱に染まった。
起きてから急に話したから熱でも出たか?
おかしいな。そんな軟な創りにはしなかったのだが……。
そっと寝かそうとすると、大丈夫、と返された。
大丈夫なら、何故そんなに赤いのだろうか?
「あー……んんっええっと……ど、どうして、神様は、その、愛し子のことを、その……ええと、そんなに、あの、愛、しているんですか……?」
愛の部分だけやたら小さな声で問う。
赤くなった顔を隠すように、もぞもぞと揺り籠の中にもぐりこみ、ちらちらとこちらを見る姿も愛らしい。
流石は我が愛し子だな。
「そう創ったからだ。神は、愛するために愛し子を創る。我々神は、人とは異なる次元に住み、寿命を持たぬ。気の遠くなるほど長い時間、白いだけのこの場から、己の守護範囲……人から見れば一国だな、を見守る運命。しかし、愛してもいない場所に労力を使うなど愚の骨頂。故に、愛し子を創る。そして、愛し子の為だけに加護を与える」
「はい!? え!? 国の加護って、愛し子の為だけに与えられたもの!?」
驚いたように顔を出し、目を丸くしておるな。
しかし、何故それほど驚くことがある?
当たり前の話ではないか。愛しいものがあるからこそ、それが恙無く、健やかに過ごせるよう、加護を与えるものだ。国が富み、幸福に満たされ、愛し子に優しくするからこそ、どうでも良い存在達に、存在することを許す。
……だからこそ、あやつらは滅びることが決定されたのだ。
「え? あの、じゃぁ、愛し子を不幸にしたら……」
「滅ぼす。我が力にて」
「あの、じゃぁ、今、国は……」
「滅びに向かって順調に進んでいる」
「順調!? 滅ぶことに順調って何!?」
愛し子が頭を抱えた。
「あの、えと、助かる人は……?」
「居らぬ。此度、あの者達は不遜にも我が愛し子を傷つけた。全て滅ぼし、一から創り直す」
死にざまは、罪の重さによって変わる。
罪が軽い者、これは水害で死んだ。それ以上の苦しみを負う事はない。
罪が重い者、これは日照りで、飢えと渇きに苦しみながら、じわじわと死んでいく。けして発狂することなく、自死も認めない。国境を越え、他国へと逃げようとしたら、水に飲まれ、日照りで死ぬ予定だったその日まで水の中で苦しみ、もがくこととなる。尤も、自国にて神の罰を受けた者を、他国の神が受け入れることはない。入る前に他国の神からの神罰を受ける事となるだろう。しかしそれでは、我が他国の神に迷惑をかけたことになる。やはり近所付き合いと言うものは大切だからな。自分の手できっちり処分せねば。
そして、我が定めた特別枠。これは、己の罪をまざまざと見せつけられ、後悔しながら死んでいくはずだったのだが……既に三名、己の罪を認められぬ者があらわれておるな。
愚か者の傍に一人と愛し子の両親。
あの者達は、あの愚か者同様、死後魂が消滅するまで魂の監獄行きだな。そのためにも、愛し子にそのことがバレぬようにせねば。愛し子は優しいからな。話を聞けば許してしまう可能性がある。
ああ、しかし、我は神として、問わねばならない。
「愛し子よ。主はあやつらを救いたいか?」
「え? うーん……あの、こんなこと言ったらいけないんでしょうけど、ごめんなさい。今、気持ち的に許せません。だって、アーロン……王太子も、国民も、国王達も、みんなみんな、嘘を信じて、いえ、信じてなくても、そちらが都合が良かったから、それを受け入れて、私を殺しました。私の今までの努力も、何もかも踏みにじったんです。許したくないんです」
素晴らしい!
ふふふ、愛し子よ。我とそなたは同じ気持ちではないか。これで、心行くまでアレらには苦しみぬいてもらえるな! そして、愛し子の中から、少しずつアレらの記憶を抜き取ろう。そうすれば、愛し子がアレらを思い出し、我に問い、救済の嘆願をすることはなくなるだろう。
「かまわぬとも。あの国は一度滅ぼし、創り直す」
「……守護神様は、こんなこという愛し子でも良いんですか?」
「何か問題があるか? 我にとっては愛し子が全て。それ以外はどうでも良い」
そう。どうでも良いのだ。
そもそもその他の人という存在は、愛し子が望んだから存在できるもの。愛し子が望まねば存在できぬような木端よ。その程度の存在が、神の愛し子に手を出したのだ。あやつらとて、覚悟の上だろうて。
己が上位と思って下位へ手を出し、より上位の者から踏みにじられる。
己がしたことだ。謹んで受け入れるのが当然と言うもの。我とて、その覚悟をもっておる。
今更知らぬ存ぜぬは通用せぬ。
我は人を創るとき、必ず通達する。
この世には神がおり、神は愛し子がいるからこそ、国に加護を与える。もしも愛し子を踏みにじるようなことがあれば、神は国の全てを滅ぼす。
そう、全てのものに伝えておる。
長い時を経て、それらを伝えなくなり、忘れたのは人の罪。我が慈悲を与える事ではない。
自らの愚かさを嘆き、精々愛し子に誠心誠意詫びながら滅びれば良いのだ。
愛し子は、我の考えを知らぬまま、安堵に頬を緩めた。
よいよい。
そうして安らかに微笑んでおれ。
愛し子よ。そなたを煩わすものなど、我が力を以て、全て排除してやる。その後、そなたが望む世界を創り直そうぞ。
何、今までもしてきたことだ。大したことではない。
我が力は、愛し子の幸せの為にあるのだ。存分に我に甘えるが良い。