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04 愚かな王太子



 何故だ。

 何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故、こんなことになった!?

 目の前には、錯乱してナイフを振り回す愛しい女性。

 目は血走り、悪魔のような形相で私を罵りナイフを振るうその姿は、とても恐ろしい。

 何故、こんなことになった!




◆◇◆◇◆◇◆◇




 事の起こりは一週間前。

 私の元婚約者を罪人として処刑した。結果、神の怒りに触れたかのような天災に見舞われた。


 最初は、元婚約者の処刑を実行した処刑人が死んだ。火のないところで突然火に飲まれ、生きたまま焼け死んだ。

 次に、まるで雨のように(いかずち)が降り注ぎ、国を破壊した。そして、合わせるように水が押し寄せ、既に半壊していた街を飲み込んだ。



 恐ろしかった。

 うねる濁流が、あっという間に全てを壊し、飲み込み、あれでは下にいた者は助からない。初めて水の脅威を見る私にも、それは即座に理解ができた。しかし、我が国は地上に大きな水源はなく、水害には縁のない国だったはず。なぜ、あのようなことが起きた?

 いずこかで地下水が地上に噴き出したのだとしてもありえない。


 雨が降り出し、押し寄せた濁流がカサを増し、処刑場に三日も軟禁された。


 そこからだった。

 彼女が、マリアがおかしくなり始めたのは。


 初めて見る罪人の処刑に、怯えていた彼女。自分が告発したことで失われる命に、罪悪感を覚えるほど優しい女性が、水に飲まれた民を憂うことなく、ただ自分が濡れたことに嫌悪感を見せていた。

 そこに違和感を覚えた。覚えてしまった。


 元婚約者は、本当に罪を犯していたのだろうか?


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 もしかしたら、彼女は無実だったのだろうか? マリアは、何かを勘違いしてしまっただけなのではないのだろうか?

 思い返せば、元婚約者ほど清廉潔白な女性は、私の人生においていなかった気がする。

 一輪で咲き誇る花のように美しく、まさに淑女の鑑といわれる美しい所作。高位貴族の娘でありながら、民を慮る心にあふれ、私にいつだって民を思う王子たれ、と説いた。

 私は、彼女のような婚約者を得て、幸せ者だと思っていた。たとえ、本当はあの婚約が策略で、後ろ暗い噂の多い彼女の実家の実態を探るためだったのだとしても。彼女だけは、私が守ろうと決めていたはず。


 私は、どこで間違えたのだ?


 彼女に失望したのはいつだったか。


 マリアと出会ったのが、十五歳のデビュタントの時。といっても、彼女は男爵令嬢。私が彼女と接点を持つことはなかった。

 私がマリアと初めて会話したのは、十七歳の時。とある夜会だった。


 本来は高位貴族しか参加しない夜会だったが、彼女は私の側近たちの友人枠で参加していた。

 デビュタントの時に見た、初々しいカーテシーではなく、元婚約者のように洗礼された美しいカーテシーを披露した彼女の成長に、とても驚いたものだ。男爵令嬢ではなく、どこかの高位貴族の令嬢のようだと思った。

 彼女はデビュタント後、精力的にあちこちの茶会や夜会等々に参加し、男女問わず交友関係を結んで行った。

 通常、貴族の交友関係と言うものは、互いの利があって初めて成り立つ。彼女は男爵と言う、貴族と称するには後ろ指を指される低位の爵位ながらも、他貴族たちに彼女と付き合う利を見せたのだ。

 彼女の噂は私の耳にも届いていた。側近たちを通してのものが一番多かったが、それでも、王家として無視できないほどの伝手を持ち始めていたのは間違いない。場合によっては私の愛妾として囲い、その伝手を王家の物にするのも視野に入れるほどだった。

 王命により、彼女と接触せねばならなかったときの気持ちと言ったら。


 私には愛する婚約者がいた。王家とは、貴族とは、そういうものだとはいえ、それは婚約者への裏切り。思うところがないわけではない。それでも、私はこの国の次期王。ならば、国にとっての最善を選ぶべき。

 そう思って彼女に近づいた。


 初めは側近の伝手で。それを数回繰り返し、それなりに親しくなった後、お茶会に誘った。


 彼女は己の身分を理解し、しっかりとわきまえていた。

 自分からは一切口を開かず、私が求めて初めて答える。しかしそれさえも、全てをただただ肯定するのではなく、失礼にならない言い回しで私の考えの穴を指摘する。女ながらに政治への着眼点は良く、彼女との会話はとても有意義なものだった。そう、まるで元婚約者と会話しているかのように。


 民を思いやる女性。


 だんだんと惹かれていく自分がいた。

 当時私は元婚約者を愛していた。勤めとして彼女を囲ったとしても、心は元婚約者に全て捧げようと決めていた。しかし、それさえもだんだんと霞んでいった。


 不意に、元婚約者に湧いた悪い噂。

 何を馬鹿な事を、と一蹴していたが、やがてそれはマリアの口からももたらされるようになる。


 マリアと会話をするようになって一年経たない頃だった。

 マリアはけして愚かな娘ではない。他者を不条理に乏しめ、その座をかすめ取らんとするハイエナのような他貴族の令嬢とは違う。

 だから混乱した。

 愛しい婚約者に付きまとう黒い噂。

 やがてマリアがその裏付けをするような証拠を持ってきた。彼女の広い交友関係の中から、偶然入手したものだという。


 私の心は決まった。

 既にマリアに傾倒し始めていたのは認める。それでも、非のない相手を切り捨てるような非道な人間になるつもりはなかった。だが、目の前に確かな非がある。迷うことはない。私は、元婚約者を断罪した。


 今まで一度たりとも無様を晒したことのない女。

 隙もなく、完璧だった。

 だから、余計に怪しく感じたのかもしれない。


 自分は無実だ、と口にしていたが、証拠は私の手の中にある。逃れようのない証拠が。その事実に気づいていないから、平然と罪から逃れようとしている。そう思ったら、僅かに残っていた情も消え失せ、とても冷たい感情に支配された。


 側近たちの婚約者達と結託して行っていた罪。

 人身売買に麻薬の販売。新薬のための人体実験。他国と近接する他領にて、他国との軋轢を生み、戦争の火種を生み出す。

 全てがこの国を滅ぼさんとする悪しき行い。


 聖女、と呼ばれていた元婚約者は、その醜い裏を全て暴露され、悪女、魔女、と誹られた。

 彼女の実家は自分たちに火の粉がかからぬよう、即座に彼女を切り捨てた。

 罪があまりに重く、側近たちの婚約者達と共に断頭台行きが決まってなお、彼女は凛と立っていた。自ら断頭台へと歩いていく潔さ。その立ち振る舞いは、王族である私よりもはるかに気高く、まさに王の姿。


 その姿に、嫉妬した。


 同じ立場になった時、私はあのように振る舞える自信がない。それをあっさりとこなす彼女の姿に、暗い想いを抱えた。

 最早、八つ当たりに近い想い。それを理解しながら、私は処刑を告げた。せめてもの情けに、元婚約者である私から、決別を言い渡したのだ。





 そして、未曽有の大災害に襲われた。




 水害の後は、日照り。

 たった数日で全てが腐り、干からびるほどの強い日差し。

 あれだけ恐れ、消えてくれと願った水を、神に祈るほど渇望する。


 僅かに生き残った者達が、元婚約者達は無実で、マリアこそ、私の婚約者の座に収まるために冤罪をかけた魔女だと口にし始めた。

 聖女を殺した無能、と私の事を影で貶める。

 無実の罪で聖女を殺したから、神が怒ったと恐れる。


 そうかもしれない。

 そうでなければ説明がつかない。

 我が国で、あのような水害など、起きるはずがないのだから。


 この国に伝わる伝説は、真実なのかもしれない、と初めて思った。

 この国には神がいて、神の愛し子を王家が保護し、慈しむから、神はこの国を守護し、水場が近くなくとも肥沃な土地を授けた。もしも人々が神の慈悲を忘れ、背を向けるようなことすれば、たちまちに神は見放すだろう。

 そんな伝説、迷信だと思っていた。

 我が国が豊かなのは、先人たちが切り開いたから。私たちの努力のたまものなのだ!

 神など存在しない。人の世は、人の手が切り開いて行くもの。

 そう、思っていた私が間違いだったのかもしれない。いや、そんなこと、思ってはならない。


 私は、元婚約者を裏切り、マリアを愛した。

 今だって愛している。

 今更、彼女を疑うことなど、してはならない。

 でも、もしかしたらマリアは勘違いしたのかもしれない。もしくは、勘違いするように嵌められたのかもしれない。

 元婚約者を裏切った私は、マリアだけは守らなくてはならない。だから、彼女の潔白を示すため、再度彼女に話を聞こうと思った。

 そこから、マリアを嵌めた者が割り出せるかもしれない、そう思って。




 それなのにああ、何を間違えたのだろう。

 マリアは、私に責められている、と思ってしまった。




 元婚約者を殺したのは私であって、自分ではない、と喚きたてる。

 ああ、そのとおりだ。

 私が、彼女を殺した。

 彼女の処刑を宣言したのは、私だ。

 マリアは私の腕の中で怯えていただけ。

 何故、とマリアが責める。

 マリアがしたのは罪の証拠を提示しただけ。そのあとは、私達や、国民が選んだ。彼女の処刑を望んだのは、私達なのに、何故、マリアが責められねばならないのか。

 嘆くマリアに、それでも私は話を聞こうとした。




 そして、マリアが壊れた。




 ナイフを手に、切りかかってくる。

 咄嗟によけたものの、僅かに腕を切られた。

 私の声に、側近たちが飛び込んでくる。

 こちらは男五人――双子の従者の片割れは兵を呼びに行った――普通に考え、マリアのように細身の女性一人、取り押さえるのは容易い。そう思っていたのに、悪魔のような形相で暴れるマリアにより多大な被害を受けた。

 宰相の息子カミールは指を落とされた。

 次期騎士団長と名高かったバーナードは利き手の腱を切られた。

 双子の片割れであるダニエルは右目を抉られた。

 私は、腕のかすり傷のほかに、腹部にナイフを突き立てられた。

 残った双子の片方、兵士を呼びに行ったダニーだけが無傷。けれども、自分だけが無傷で助かったという事実に、守るべき主である私の怪我に、心に大きな傷を負った。


 マリアは、いかに錯乱していたとはいえ、王太子である私に怪我を負わせた。私がどれだけ言い募ろうと、誰も聞かず、牢へと押し込まれる。

 きっと、誰もが機会を窺っていたのだろう。

 彼女を断罪し、神に慈悲を請う。

 彼女は、その為の生贄。


 神よ、本当にいるというのなら、彼女を助けてほしい。

 彼女は、マリアは、悪事の証拠を提示しただけなんだ! 私が、私たちがエスカリーテを殺したのだ! マリアは悪くない!

 それに、エスカリーテは本当に悪事を働いていないのか!? それならばなぜ、彼女を示す証拠が存在した!

 火のないところに煙は立たない!

 エスカリーテこそが悪ではないのか!

 なぜ我々がこのような不遇に遭わねばならないのだ!


『それは、そなたらが愚かだからだ』


 自室にひきこもり、嘆く私の頭に直接声が響いた。

 慌てて顔を上げ、辺りを見渡す。

 部屋の中に、光をまとう男がいた。

 私でさえ見たことのないような美しい衣をまとい、静かに佇んでいる。男のまとう光は、どこまでも清浄で、ただ佇んでいるだけでも与える威圧は、人ならざる者だと理解するに容易い。


「貴方は……」

『我はこの国の守護神だった者』


 守護神『だった』

 何故、過去形なのだ?


「貴方が神だというのなら、助けてください! マリアを、我が国の民を! 何故彼女が牢に繋がれねばならないのですか! 何故、民があのような悲惨な死を迎えねばならないのですか!」

『お前たちは罪を犯した。故に、我はこの国の守護を解き、断罪をしている』


 何故だ!

 わからない!

 私たちがなんの罪を犯したというのだ。

 何故私たちはこのような目に合わねばならないというのだ。


『そもそもお前は我の存在を信じていなかったではないか。今更我を頼るなど、愚かだとは思わぬか?』


 息をのむ。

 私は、確かに神を信じていなかった。

 今だって、『本当にいるのなら』程度にしか思っていなかった。

 だがそれは、誰にも言ったことがない。だって、この国では伝説があって、その伝説の神を奉っているのだから。

 率先して崇めねばならない王族である私が、神を信じていない、など、口が裂けても言えない。側近にも、マリアにも言ったことがない。それなのに、何故。


 男――守護神は静かな目を向ける。

 その目には、なんの感情もない。


『我が愛し子を無実の罪で、一切の話も聞かず殺した』

「えすか、り、て……」


 彼女が、神の愛し子……?

 馬鹿な……。

 だって彼女は、罪人で……。

 ああ、いや、そうだ。彼女は無実だったかもしれない、と私も考えていた。マリアが勘違いしたか、嵌められたか。


『あの娘は、己の欲を満たすためだけに我が愛し子が殺される道を選んだ』


 嘘だ!

 嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!!!

 マリアが、あの、心優しいマリアが、他人を貶めるなど、あるわけがない!

 私はずっと彼女を見てきた。彼女はずっと清廉潔白な女性だった。そんなことが、あるわけがない!


『見せてやろう。そして、己が罪を知ると良い』


 そういうと守護神は、ゆったりと手を右から左へと振った。途端に景色が変わる。




 ここは、どこだ?

 私は見知らぬ室内にいた。

 私の部屋でも、元婚約者の部屋でもない。それよりも、もっとずっと貧相な部屋だ。一応、貴族の家だとはわかる。けれどもその程度の調度品しかない。

 誰かが扉を開け、部屋へと入ってきた。


 しまった。

 不法侵入したわけではないのだが、言い訳できない状況じゃないか。


 咄嗟に隠れる場所を、と考えたが、そんな暇はないし、そんな場所もない。

 身構えたが、私はすぐに呆然と立ち尽くすことになる。

 部屋に入ってきたのはマリア。

 何故だ。

 彼女は今、牢に繋がれているはず。

 誰かがこっそり彼女を助けたのか?

 いや、しかし、王都の建物は城以外は、全てが倒壊している。彼女がこうしてどこかの屋敷にいるわけがない。かといって、城の中にこんなみすぼらしい部屋はない。

 ここは、どこだ。


「マリア!」


 声をかけるが、まるで私の事が見えていないかのようにマリアは横切った。

 そのままぼすん、とベッドに腰掛ける。とても淑女とは思えない所作。


「くっふふふ……あははは!」


 突然マリアが笑い出した。

 始めは堪えきれないように、やがてお腹を抱えて。


「あーはははは! 明日はあの女が処刑される日ね! あーぁあ、いい気味!」

「ま、マリア……?」


 私の知らない歪んだ笑みを浮かべて笑うマリア。

 誰だ、この女は……。

 私の知っているマリアはこんな風には笑わない。


「お金持ちのお嬢様。綺麗な顔に、聖女のような行い? ばっかじゃないの、きもちわるぅい」


 きゃははは、と響く笑い声に、耳を手で覆う。

 嫌だ、聞きたくない。

 マリアは、マリアはこんな風に笑わない。こんなこと、言わない。


「他人に優しくしてどうするの? 皆その一瞬は感謝するのに、ちょっと嘘の情報流したらあっさり手のひら返したじゃない。そんなものよね。人は受けた恩は三日で忘れるのよ」


 嘘?

 嘘の情報、だって?

 どういう、ことだ……。


「あはっ! 王子様もチョロイわねぇ。ゲーム通り。礼儀やルールを守ったふりしとけば簡単に近づけるし、信用してくれる。私の嘘もあっさり信じて、大好きな婚約者様を処刑しちゃうなんて!」


 嘘だ!

 嘘だ、嘘だ!

 そんなっあるわけがない!

 そんなそんなそんな! そんなことがあっていいわけがない!


「ま、こんなものよねぇ! お綺麗なお嬢様なんて死んで当然よ。聖人様なんて気持ち悪いだけじゃない。生きてないのよね、現実を! 現実がそんな綺麗に生きられるわけないんだから」


 違う、違う!

 これは彼女じゃない! マリアじゃない!


「ああでも、人身売買とか麻薬とか、私が王子様に近づく伝手の元手の為にしていた悪事、ぜぇんぶ、請け負って死んでくれるなんて、私にとっては聖人様だったわね! ま、ただの踏み台みたいなものだったけど」


 うそ、だ……。

 エスカリーテの罪が、本当はマリアのものだった……?

 あの証拠は、マリアによって改竄されたものだったのか……?

 なら、私は無実のエスカリーテを……?

 私は、私は……愛した女を裏切った上に、殺した……?

 私は、エスカリーテを何度裏切ったのだ……?

 あ、あ……うそ、だ……

 わた、しは、いったい彼女の、エスカリーテの、マリアの、何を見ていたのだ……?

 わたしは……

 わた、しは……

 あ、あああ、ああああああああああああ!!!


公爵家子息のチャラ男は、王太子に忘れられた。

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