12 嘆く王妃
水に飲まれ、日照りに乾いていく大地。
ああ、わたくしたちは、間違えてしまった。
これは神罰。
わたくしたち罪人を裁く、罰。
我が夫である国王は、神を信じぬ愚か者だけれども、わたくしは、神を信じている。だから、わかる。エスカリーテ、貴女は神の愛し子。そしてわたくしたちは、神の愛し子を手にかけた罪人。だから、わたくしたちは甘んじてこの罰を受け入れなければならない。
ああ、エスカリーテごめんなさい。
わたくしは、貴女の婚約者である息子アーロンよりも、貴女の両親よりも、遥かに近くにいた。それなのに、わたくしは、貴女を裏切った。
きっと、この国で最も罪深い者はわたくしでしょう。
わたくしはずっと貴女を見ていた。
貴女と出会ったのは、貴女が五歳になる直前。その時、わたくしは貴女に畏怖した。
初めて出会った貴女は、たどたどしくも、大人のような言葉を用いていた。立ち振る舞いも、まるで成熟した大人のそれ。
見知らぬ大人に囲まれ、謁見の間にきたというのに、同じ年頃の子供のように、感情のままに泣き、笑い、怯えたりしない。臣下の礼を保ったまま、不躾に口を開くこともなかった。
まるで、子供の中に、大人が無理矢理入り込んだ。そんなちぐはぐの印象を受けた。そして同時に、理不尽な怒りに身を焦がした。
何故!
何故その家に生まれたの!
貴女のように優秀な者が!
その家は、後暗い噂がある。いいえ、噂ではなく、事実。けれどもその証拠をみつけられず、いつだって後手に回っていた。王を絶対君主として戴く国にありながら、王の目を盗み、あざ笑う、薄汚い汚物の家に、何故!
けれどもそれは同時に、絶好の機会でもあった。
傲慢で、我がままで、考え足らずの娘なら、わたくしの息子の嫁に、とは望めない。でも貴女は申し分ない能力を見せていた。だから、こちら側にとりこみ、あの家を切り崩す良い手駒となるはずだった。
ああ、でも、貴女と王妃教育として接しているうちに、わたくしは貴女に情を移していた。
こんなに優秀なのに、親の愛を与えられず、衣食住さえあれば、と殆ど顧みられることもなく捨て置かれていた貴女。
こっそりあの家にもぐりこませた侍女の話では、貴女は家の中ではけして笑わない、と聞いた。そんな貴女が、わたくしの前では微笑む。はにかむように、ぎこちなく。
その時わたくしは気づいたの。
小さな子供なのだ。
貴女は、大人にならざるを得なかっただけの、本当は、子供なのだ。そう、わたくしは気づいたの。
それからだったわ。貴女とわたくしの関係が変わり始めたのは。
王妃と、未来の王子妃。そこに変わりはないけれども、わたくしは、休憩時間には実の娘だと思って接した。母と呼ぶように告げ、戸惑うように呼ぶ貴女を、見守ってきた。あの公爵夫人では、絶対にしない、本来母親がするべきことは、全てわたくしがしてきた。貴女は、少しずつ、少しずつ、わたくしのことを母と呼ぶことに戸惑いをみせなくなっていた。
貴女はわたくしの期待に応え、わたくしは貴女の期待に応え、けして口にはしなかったけれども、わたくしたちは、まるで本当の親子のようだったことでしょう。
きっと息子は、アーロンは、わたくしたちの関係に嫉妬していたに違いないでしょう。自分にはよそよそしい婚約者が、母とは仲が良い、など。
わたくしは知っていた。アーロンがあの子を気にしていることを。だから、自分を見てもらう方法を助言した。愛を囁き、特別な物を贈れば良い、と。素直なあの子は、あっという間にあの子を贈り物責めにした。
愚かな子。いかに神童と言われていようと、根本的なことができていない。あのように高価なものを毎日のように贈られて、あの子が喜ぶわけがない。あの子は、実にまっとうな感性を持った子だもの。きっとそのうち嫌がられることでしょう。けれども、それも一つの経験でしょう。
そして、あの子に断られた。
半べそをかきながら、わたくしの下へ助言を求めてやってきた息子の姿……。ふふ、今思い出しても笑えてしまうわ。
新しい助言を与える。贈り物は、数が多ければ、価値が高ければ、良いと言う物ではない。自分が満足するために贈るのではない。相手が喜ぶことを前提に考えなければならない。
息子は悩みに悩み、花束を贈った。確かに、一度二度ならばそれも良いでしょう。しかしああも毎日では、結果は見えたもの。それでも息子は再び考え、考え、その場しのぎに一輪の花を贈って間を保ちつつ、答えを見つけた。
手作りの、しおり。
あの子は、とても喜んだ。
そう、思っていたとおり。あの子はあの家にいながら、あの家に染まっていない。高価な物よりも、拙くとも心のこもった物を好む。
少しずつ近づいていく二人の距離を、微笑ましく見守っていた。
いずれ二人は賢王夫妻として、歴史に名を残すでしょう。そのために、あの子に傷があっては良くない。たとえそれが彼女自身にはどうしようもない、産まれた家、という内容でも。
どうにか自分の派閥内の家から、あの子の受け入れ先を探して、あの家から引きはがそう。あの子に、罪はない。
ああ、わたくしは、そう思っていた。思っていたはずだった。
それなのに!
あの子に流れた黒い噂。
わたくしは、わたくしは、あの子を疑ってしまった。いいえ、どこかであの子を信じていなかったのかもしれない。
ああ、やはり、と思ってしまった。
結局あの子はあの家の子。
確かに幼い時は良かった。けれども、大人になる過程で洗脳されてしまったのだろう。勿論、早々に引きはがせなかったのはわたくしの落ち度。けれど、簡単な事ではない。あの家は、とても力があった。ともすれば、王家さえも凌ぐ。
正直、夫である国王は役に立たない。あの人は、あの子もろともあの家をつぶしたかった。あの家の血が残ることを、時に自分よりも強いあの家の存在を、許さなかった。愚かな人だ。
わたくしは一人で動かねばならない。慎重に、堅実で確実な家。わたくしに忠誠を誓っており、あの家と対等に渡り合える。そんな家でなければならなかった。そして、そんな家はなかった。忠誠心は問題なくとも、あの家と渡り合える家が、ないのだ。
もう、あの子自身に託すしか、なかった。
勝手に期待して、勝手に落胆して、わたくしは、あの子を見捨てた。
ずっと見ていたのに。
ずっと触れ合っていたのに。
誰よりも近い場所で。
ああ、わたくしはあの子の何を見ていたの。
ごめんなさい、ごめんなさい、エスカリーテ。
誰よりも傍にいながら裏切って。
きっとわたくしを恨んでいるでしょう。憎んでいるでしょう。呪っているでしょう。
わたくしこそが、誰よりも罪深い……。
『くだらぬな』
嘆く私の耳に飛び込んできた声。
顔を上げれば、入り口の辺りに立つ存在。
ああ……アレは、あの方は、きっとこの国の守護神様……なんて神々しい。
わたくしは直ぐに床に膝をつき、首を垂れる。
『お前ごときを、我が愛し子が歯牙にかけていると思うな』
ああ、やはりエスカリーテ、貴女は神の愛し子だったのね。
ごめんなさい、エスカリーテ。
『くだらぬ謝罪も止めよ。愛し子でなければ謝るつもりもなかった、木端風情が』
いいえ!
いいえ、いいえ!
わたくしは、わたくしは、真実後悔しております! 後悔、しているのです……。
『止めよ。我は嘘は好かん』
いいえ、いいえ! 嘘などではありません!
わたくしは後悔しているのです!
あの子に、エスカリーテに、謝りたい、心の底から謝罪したいのです!
わたくしは、誰よりも傍にいた。
わたくしは、誰よりも見ていた。
わたくしは、誰よりもあの子を知っていた!
それなのに、それなのに……!
『問う。お前は、我が神の裁きを与えなくとも、自ら気づき、後悔したか?』
え……?
『問う。お前は、愛し子でなくとも、謝罪がしたいのか?』
あ……わ、わたくしは……
『問う。お前のそれは、保身でない、と神に誓えるか?』
あ、ああ、あああ……
わたくしは、わたくしは……
『お前は、神の裁きがあって、初めて愛し子に目を向けた。お前は、神の愛し子だからこそ、謝罪の念を抱いた。お前はただ、自身が許されたいだけの浅ましい女よ。それこそがお前の真実。醜い心根だ』
違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!
わたくしは、わたくしは、許されなくてもかまわない!
『ではなぜ謝罪する。許され、己の心を軽くしたい自己満足ではないのか?』
ちっちが、違うっ!
わ、わた、くしは、わたくしはぁあああああああああっ!
『そもそもお前も、こうなるまでは我の存在を信じていなかったではないか。今更自分は神を信じる。罰は受ける、と言われたところで、我に響くわけがなかろう? お前は、このまま、神に見捨てられた王と、その妻として死んでいけ』
言うだけ言って消えてしまった神。
言われた言葉を反芻し、絶望に髪をかきむしる。
あ、あああ、そんなそんなそんな!
あんな愚かな男と、わたくしが同じ!?
嫌よ! いやいやいやいやいやいやぁあああ!!!