凪の章ー1ー
立秋を過ぎても暑さが和らぐ兆しは見えず、灼熱の太陽に晒された肌がじっとりと汗ばむ。
それでも、時折吹き抜ける風が汗を拭い去り、辺り一面に広がる稲穂を揺らしていった。
今年も順調に成長した稲は、そろそろ収穫の時期を迎える。
少し前を飛び回る赤トンボを目で追いかけながら、私は今朝見た夢を思い出していた。
最近、あの夢をよく見るようになった。
原因は、分かりきっている。そして、それがもうどうしようもないことであるというのも。
分かってる。分かってるけど……。それでも諦めきれていない自分が心のどこかにいる。
それにしたって、夢にまで見るなんてどれだけ未練タラタラなんだよ、と自分で自分に呆れてしまう。
「本当にカッコ悪いな、私……」
思わずそんな言葉が口から零れ、大きくため息をついた。
「おはよう、凪」
「うわぁっ!」
突然声をかけられ、私は危うくペダルを踏み外しそうになった。だが、聞きなれた声に振り返ると、よく見知った顔がそこにあった。
「……って、なんだ悠か、おはよう。いきなり驚かさないでよ」
不満げに言う私を見て、悠は可笑しそうにくすりと笑う。
「いや、そんなつもりはなかったんだけどね。でも、どうしたの?ため息なんてついて」
さっきの表情から一転、真面目な顔に戻っている。
悠に声をかけられる前、一人でカッコ悪いとか呟いてた気がするけれど、彼の様子を見るに、聞かれてはいなさそうだ。
なら、わざわざ言って心配をかける必要はないだろう。
「なんでもないよ。そういえば、悠が遅刻ギリギリなんて珍しいね。もしかして、寝坊した?」
「まあね。昨日も大分夜更かししたから。どうせ凪も寝坊して家飛び出してきたんでしょ?」
図星を突かれて、私はウッと言葉に詰まる。
「ち、違うよ!寝坊なんてしてないし」
「だって、髪ハネてる」
悠が指さしたところに触れると、確かに寝グセがついていた。
「……すみません、寝坊しました」
「だろうね。さあ、急ごうか。このペースだと登校時刻に間に合わなくなる」
腕時計を見ると、朝のHRまであと五分もなかった。
「そうだね、急ごう!」
二人は自転車のスピードを上げて学校へ向かった。
ギリギリセーフで校門を通過し、駐輪場に向かう。
もうすぐHRも始まるし、駐輪場には誰もいないと思っていた。しかし、その予想は外れた。
駐輪場の奥に、一人の男子生徒がいた。彼の姿を見た瞬間、私の背筋は凍りついた。
今朝見た夢の映像が脳内で再生される。
その男子生徒は振り返ると、私には目もくれず、昇降口に向かって行ってしまった。
私は恐る恐る振り返り、彼の後ろ姿を見た。
その背中は、やはり夢で見たものと同じだった。
「ふわぁ〜…」
校長先生のつまらない話を聞き流しながら、漏れ出る欠伸を噛み殺した。
夏休み中は不規則な生活をしていたから、体内時計が狂ってしまっている。周りの人も、皆眠そうにしていた。
何故夏休みはひと月半しかないのだろうか。三ヶ月あってもまだ足りないくらいなのに。もっと休んでいたかったなー。
そんなアホみたいなことを考えながら睡魔の誘惑と戦い、なんとか長い始業式を耐え抜いた。
午前の授業は、2学期の学級委員や各係の分担を決めるのに使われた。
「それじゃあ、学級委員を決めるぞー。誰かやりたいヤツはいるかー?」
担任の村上先生が声を掛けるが、立候補する者は誰一人としていない。
それもそうだろう。二学期は文化祭、そして三年生は一大イベントである修学旅行がある。学級委員はそれらの運営に関わらなければならない。
つまり、仕事が多い。
そんな面倒な役割を、進んでやろうとする人がいるとは考えられない。
クラス内が徐々にざわめきだし、「誰がやるの?」「お前がやれよ」「えー、やだよー」なんて声が聞こえ始めた。
この流れだと、最終的にはくじ引きで決めることになりそうだ。せめて当たらない様に、今から願掛けでもしておこう。
以前、なにかの雑誌で見た運気上昇のまじないを真似て指を組んだ。
「俺、委員長やってもいいですよ」
目を瞑り適当に呪文を呟く私の耳に、そんな言葉が飛び込んでくる。その声は予想外の人物のものだった。有り得ないと思いつつも、真偽を確かめようと声のした方を振り返る。
やはり、声の主は悠だった。
悠が自らこういう役割を買って出るような人ではないことを私は知っている。
彼は主役よりも脇役を選び、表舞台よりも裏方を好む。
だから学級委員などやったこともないし、小学校の学芸会で劇をやった時も、男子が主人公の座を奪い合っている中で裏方に立候補し、一人で黙々と小道具を制作していた。
その様子を、幼馴染みの私はずっと見てきた。
それだけに、彼の立候補は衝撃的で、同時に不可解でもあった。
「やってくれるか、一ノ瀬。じゃあ男子は決まりだな。あとは女子だが…」
悠と目が合った。そのままジッとこちらを見つめている。視線だけで、私に学級委員をやれと訴えているようだ。
私は視線を逸らし、窓の外を見て気づかないフリをした。しかし、悠はこちらを見たままだ。
私とてこういうのは得意ではない。むしろ苦手な方である。
絶対役者よりも裏方の方がいい。
自分などが集団を統率出来る訳がない。
それは悠もよく知っているはず。なのに、なんでこっちに話を振るような真似するんだよ。もしかして、新手の嫌がらせかな?
このまま知らないフリをしてやり過ごすことも可能だが、ここまで分かりやすくやられてしまうとそんな訳にもいかなくなってくる。
さてどうしたものかと悩んでいるうちに、数分が経過した。
なかなか立候補しない私を見る悠の目つきが、だんだんと険しいものになっていく。その視線に気づいた他の生徒たちの視線も徐々に集まりだした。
これ以上注目を集めるのは避けたい。
「…先生、私やります」
「お、そうか。じゃあ、二学期の学級委員は一ノ瀬と片瀬に決まりだ。二人とも、よろしくな」
周りからの視線に耐えかね、渋々ながらも結局立候補してしまった。
悠の策略にまんまと乗せられてしまったようでなんか悔しい。
当の本人はというと何事もなかったかの様な顔で座っていて、そのなんとも言えない表情が私をイラッとさせた。
昼休み、各々が自由に過ごす中、私は悠のもとへと向かった。
彼はいつものように、自席で読書をしている。
私は彼が読んでいた本を取り上げ、バンッ、と左手を机についた。
「悠、私に何か言う事あるんじゃないの?」
精一杯の不満を込めてそう言ったつもりだった。しかし、悠は落ち着いた表情のままだ。本を取り上げられて手持ち無沙汰になったのか、頬杖をついた。
「凪、なんで怒ってるの?何かあったの」
「いやいや、とぼけるには無理があるでしょ!学級委員決めの時だよ。私には悠がこっちを睨んでるように見えたんだけど?」
「えー、それは凪の勘違いじゃないの」
シラを切ろうとした悠だったが、私が怪訝そうな顔をしたので、観念して白状した。
「悪かったって。一緒にやるなら凪が一番楽そうだと思ったんだよ」
「いや、そういう問題じゃないでしょ。というか、楽そうってどういう事よ」
「どういうって、そのままの意味に決まってるでしょ。凪なら気を遣わないで済むし」
確かに、私にとっても悠は気を遣うことなく接することの出来る貴重な存在だ。所謂、“気の置けない仲”というヤツである。それはとてもありがたいことだと思っている。
しかし、そんなに堂々と真正面から宣言されると、それはそれで複雑な気分だ。
何と返したら良いのか分からずにうーん……と唸っていると、悠がため息をついた。
「そんなにしかめっ面しないでよ。眉間のシワ、取れなくなるよ」と、自分の眉間を指さしながら言う。
「コイツ…」
手に持った本を悠の脳天に振り下ろしたい衝動に駆られたが、すんでの所で思い留まった。本を机に置き、今度は私がため息をつく。
「はぁ…。まぁ、それはいいや。そもそも、なんで立候補なんかしたの。何か企んでるんじゃないでしょうね?」
そう問われるのを分かっていたのか、悠は天井を向いて 「あぁ…」 と漏らした後、こちらを見て 「さぁ、どうだろうね」 と苦笑した。
「えー、なんで隠すの?教えてくれたって良いじゃん」
「きっとすぐに分かるよ」
「何それ、変なの。まぁ、なっちゃったものはしょうがないか。どちらにせよ、悠が巻き込んだんだからしっかりしてよね」
「分かってるよ。改めて、これから宜しくね。凪」
何故柄でもない学級委員になろうと思ったのか、きっと彼には彼なりの考えがあるのだと思う。
それがどんなものなのかは分からないし、見当もつかない。
でも、悠が私を頼りにしてくれているのだから、私もできる限りのことをしようと思う。
だから、また大きなため息をつきながらも、「うん」 と応えた。
皆さまこんにちは、砂川伊吹です。
「それが恋だと気づくとき 凪のー1ー」を読んで下さりありがとうございます。
この先の展開を考えながらの執筆なので、投稿ペースは遅くなってしまうかもしれませんが、長くお付き合い頂けると幸いです。
さて、この物語は章ごとに視点が変わる仕様になっています。それぞれの人物の目から見た光景やその人物の心情を書いてみたいということでこのような形にしました。ですが、章の数がいちばん多くなるのは多分主人公の凪だと思います。
各登場人物に対する章の数がバラバラになってしまうと思いますが、ご了承ください。
では、次回の投稿でまたお会いしましょう。