第四十五話 クール系ライバル、敵娼はショニサウルス。
光源としてはクラゲよりも気まぐれでコストもかかる発光珊瑚を贅沢に使った娼館はあいまいな暗さを廃した華々しさで群を抜いていて、客のわがままも何でも叶えた。パレンツ海の舌平目が食べたいといえば、一番快速の魚竜を送り、脱皮したての柔らかい渡り蟹が食べたいといえば、蟹を入れた箱が千余りあるのでどれかしらが脱皮をしたばかりという塩梅。
ウミウシの種類も非常に豊富でイスラントが通り抜けている宴会では、ウミウシ・ソムリエの資格を持つめかし込んだアンモナイトが『こちら〈八十六年物のパピヨン・ド・メー〉でございます』と、要するに当たり年のクリオネを入れた壜を持ってくる。
裸殻翼足類がウミウシの仲間かどうかは判断が分かれるところだし、アンモナイトとクリオネは種的に近縁だから共食い奨励ではないのかという懸念もあるが、クリオネが白身魚と相性がよいことは衆目で一致を見ている。
この娼館は名前を〈青の家〉と言っていたのだが、それというのも千年前に初めて海棲生物向けの売春宿を作ったとき、クラゲたちはみな青く光っていたからだ。
ある日突然、クラゲが青く光ることをやめ、挑戦的な赤をその発光色と選んだころには名前にも歴史が出てきて、遊女の心は移ろいやすいが、決して移ろわないものもあるということで名前は変えないでおいた。
イスラントを呼んだお嬢はこの娼館で一番の売れっ子であり、それはすなわち赤線地帯で一番であり、〈水の星〉で一番ということだった。
そして、彼女の崇拝者たちはお嬢が宇宙一かわいいと言い、それに異を唱えるものがいると口論が始まり、たいていはどちらかが捕食されるという悲しい結末をむかえていたが、そうやって食われた客が多ければ多いほど、お嬢の名声もまた上がっていった。
お嬢は自分のための離れをひとつ持っていて、それは大きなドームのようだった。
ヘルメットが化学物質を感知したが、それはお嬢のために焚かれたお香のようなもので、冷えて固まったばかりの溶岩の香りだった。
お嬢の離れへ通じる珊瑚を敷いた道には彼女の崇拝者たちが――アカントーデスやプテラスピスやドリコリンコプスやダンクルオステウス――手にヒレに貢物を持って並んでいる。
来栖ミツルの言葉を借りれば、それらはみなロールスロイスだった。
マッカランのことをシングルモルトのロールスロイスと呼ぶのと同じで、ウミウシ界のロールスロイス、ホヤ界のロールスロイス、無顎魚類界のロールスロイス、疑似餌界のロールスロイスなどなど。
ある巨大な海棲トカゲは大きな潜水艇をくわえていたが、おそらくこれは帝国の将軍カピアさまの乗り物だったのだろう。
こうして、~界のロールスロイスを手にヒレに抱えて、お嬢に会うのを心待ちにしている上客たちのそばを手ぶらで追い抜いていくイスラントの姿を見ると、あいつはミニクーパーすら持っていないのにふざけたやつだと食物連鎖ピラミッドのあらゆる階層から怒りを買ったが、そういえば、先日、帝国の重装備潜水兵がふたり、あんなふうに連れていかれたきり、戻ってこなかったことを思い出し、きっとあいつは午後のおやつに違いないと思い、ふふんと笑って、イスラントに道を譲るのだった。
離れの入り口は砕いた貝の装飾が施され、宝石のようにきらめいていたが、なぜか、入り口のそばに〈掟の星〉のニクマル・スーパーで店長をしていたアロハシャツの男がゴムホースのつながった金魚鉢みたいなヘルメットをかぶって、お嬢に会いに来た客をさばいていた。
「さあさあ、お嬢はいまご機嫌だ。なんたって、お気に入りの色男が会いに来てくれるってんだから、って、おお、あんただったか、銀髪にいちゃん。どうだい、景気は?」
「……ここで何をしているのかな?」
「あの後、〈掟の星〉から飛び立てるようになったんで、狭い故郷は住み飽きたと飛んでって、まあ、一度に五種類の肉食竜に食べられそうになったり、帝国の捕虜にされそうになって、流れ流れてここでお嬢の太鼓持ちをしてるわけだ。いやあ、人間、生きてれば何かしらの縁ってやつがうまく働いてくれるよなあ。ところで、相方はどうしたい?」
「あいつのことは話したくない」
「そうかい。きっとお嬢も気に入ったと思うんだけど。まあ、いいや。入った入った。ああ、それとお嬢はまだ花も恥じらう十六歳だ。そこを忘れずにな」
ドームのなかにいたのは巨大な魚竜だった。
まん丸の体から顔とヒレは細長くとんがり、背びれはない。尾びれもそのとばっちりを食ったのか、下側のヒレはあったが、上のヒレはきれいさっぱり存在せず、ほんの少し、つるつるした肉が盛り上がった程度のものがあるだけだった。
もし、来栖ミツルがマフィアオタクではなく、魚竜オタク(三畳紀専門)であったら、彼女のことを「まぎれもないショニサウルス! ファンです! サインください!」と言ったはずだが、実際の来栖ミツルはよい子のパンダのみんなも知っての通り、マフィアオタクなので、彼女のことはその絶望的な分類学的センスから〈ビッグ・T〉と名づけただろう。
まぶたのない無表情な目をクリッとさせていて、丸い体は愛嬌があった。大きすぎるのが難ではあったが。
彼女の崇拝者たちが貢ぐ食べ物を次々平らげ、ときどき間違えて崇拝者も平らげているうちにすっかり体が大きくなって、離れから出ていくことができなくなってしまっていた。
お嬢は恥ずかしがり屋で、頬をポッと赤く染めて、イスラントを見下ろした。
彼女の恋は種族を越えたもので、このそばにいるだけで水温が下がる、クールなイケメンに本気で恋をしていた。
だが、恥ずかしがり屋だから直接話すことができない。
そこでこのドームの下のほうで控えているダイオウイカたちがお嬢のささやきをききとって、それをイスラントに教えるのだ。
そのときもダイオウイカが一杯、お嬢の細く伸びた口元へと泳いでいき、お嬢の言葉を受け取った。
「お嬢は貴殿に会えてうれしいとおっしゃっておられる」
「……こんなとき、なんて言えばいいのかな?」
と、苦笑まじりに小首を傾げた、そのしぐさと表情をしっかりと見たお嬢は顎をパクパク、ヒレをふるふる動かして、ダイオウイカを召喚した。
「お嬢はいまのように、ただ、ありのままの貴殿を見たいとおっしゃっておられる」
「……ありのままのおれは暗殺者だよ。お嬢さん」
イカが泳ぎ、きき、また降りてくる。
「お嬢はそれは肉食魚などにつけられる比喩的な意味か、それとも捕食以外の目的で生物を殺害し報酬を得ているのか知りたいとおっしゃっておられる。それとお嬢さんと呼んでくれたことに多大な謝意を表しておられる」
見れば、確かにお嬢はときめいているようで嬉しさが動きを求め、その結果、ヒレをふるふる動かしている。
「後者のほうだと伝えてくれるかな?」
「心得た」
ダイオウイカはお嬢の口元へと泳ぎ、イスラントの言葉を伝えたのだが、ときめきを抑えきれなかったのだろう、ダイオウイカをパクリと食べてしまった。
イスラントはそれを目を点にして見ていたのだが、すぐ五番目の椅子にくつろいでいたダイオウイカが泳ぎ出し、お嬢に誇り高くお仕えしたダイオウイカ四号に代わって、この五号が非力ながら、お仕えいたします、と武人らしい折り目正しさで礼をした。
よく見れば、全部で十二あるダイオウイカたちの椅子のうち一から五が空になっていた。
イスラントが来る前、一から三はどこに行ったのか、あまり考えたくない話題だ。
実際のところ、お嬢という名の巨大魚竜は機嫌がとびきり悪くなるか、あるいはとびきりよくなったら、同じように自分を食べてしまうのではないかと思わずにはいられない。
ただ、色街で最も売れている遊女ならば、集まる情報も多いだろう。
「きいてくれないか? 〈海竜の墓場〉に潜り込む方法を調べている。何か知っていたら嬉しい」
ダイオウイカが恐れも知らず、お嬢の口元へと泳いでいく。見ているイスラントのほうがハラハラした。
幸い、今回は食べられずに済み、お嬢は〈海竜の墓場〉へ行く方法を知らず、そのため教えることができないことを非常に残念に思い、悲しんでおられる、と返事をもらった。
「だが、お嬢は貴殿のためならば、〈海竜の墓場〉について集められるだけの情報を集めると仰せだ。それとお嬢は貴殿に愛称のようなものがあるのかを知りたがっておられる」
「愛称、か」
「何かあれば助かる」
つむったまぶたの裏で、イース、とあいつが悲し気に微笑む。
「愛称はない。ただ、イスラントと呼んでくれ」
「了解した。そのように伝えよう」




