第四十三話 ラケッティア、波の下の赤線。
瀬戸内海の渦潮、あるいは栓を抜いたダムの表面にあらわれる巨大な吸い込み穴、危険度でいえば、そいつらの百倍はヤバい潮の激流が巨大な壁をつくっている。
その壁は幾筋かの光の屈折があるだけで、遠目にはそれらの水が物凄い速度で流れているとは分からない。
蟹の国の首都から潮に乗って、幾星霜――というのはウソだが、まあ、水を蹴りすぎて足ひれつけた足が痛くなり、明日は筋肉痛かなあ、水中スクーターみたいなもんないかなあ、あ、カルリエドにつかまりゃいいじゃん――なんて考えているうちに〈海竜の墓場〉とそのまわりを囲む激流の流しそうめんがあらわれた。
カニカニ大臣曰く、この海の竜巻にあまり近づきすぎると吸い寄せられて、骨肉眼球四散の憂き目にあうので気をつけるように言われた。
この巨大風呂の栓を抜いたみたいなトルネードをどうにかしないと、まず水の星の守護神と取引もできやしねえ。
すると、イスラントが剣を抜き、ヘル・ブリザードをぶっ放す。
反動で吹っ飛ばないよう、おれとジャックで後ろを支える。
タイタニック号を殺った氷山の、まあ半分くらいの大きさの巨大な氷の塊が激流の壁にぶち当たり、粉々に砕け散った。
「おれの氷を砕いただと?」
イスラントは悔しそうだ。
というのも、ワケがあって――、
「きゃ~、目がまわるんよ~」
古代亀アーケロンの殻はさすがびくともしない。カルリエドはさっきから渦でぐるぐるまわっては、外に弾き飛ばされ、またぐるぐるを繰り返して遊んでいる。
なーんだ、こたえは思わぬところにあったな、よし、お前らみんな亀になれ、ってよい子のパンダのみんなは言うかもしれないけど、あれ、元の姿に戻れるって保証がないんだよ。
「オーナー、どうするんだ?」
「どうするんだ、って、どうしよう?」
――と、海底王国の士官候補生に話をふってみる。
もちろん、士官候補生に過度の期待をするつもりはない。士官候補生とは隊長と軍曹のあいだにぶらさがる宙ぶらりんの階級だ。
おれが狙うのは、〈みんなが正体に気づいているけどあえて断定しないお姫さま〉が、なんかこう、王家に伝わるペンダントをかざして、問題全部片づけてくれる展開なのだが――、
「見当もつきません。〈海竜の墓場〉のことは以前からきいていましたが、まさかここまでとは」
うまくいかないなあ。
ファンタジー異世界にはときどきちゃんと特別な能力のある王子さまやお姫さまがいる。
近い未来を見通せるとか、風を操れるとか、動物の言葉が分かるとか、金てこみたいに丈夫な鉄の肌を持ってるとか。
ただ、王から生まれたから王子になった、というだけでなく、その血筋は不思議な力を使えるから王家として尊敬され、そういった態度をとれる王子、姫がいるのだ。
まあ、箸にも棒にも掛からぬ王子がいるのも確かだが。
――†――†――†――
海面が夕暮れで染まるころその怪しげな町があらわれた。
赤く光るクラゲをランタン代わりにした怪しげな町が谷の底にある小さな丘にあらわれた。
海草の垣根のあいだに一本通りがあって、行き止まりがひとつ、それに美しい人魚たちがありとあらゆる海棲生物の袖を引いている横町がたくさん。
赤線地帯。
主上あきれたる御有様にて
「尼ぜ、我をばいづちへ具して行かむとするぞ」と仰せければ、
二位殿やがて主上をいだきたてまつり、
「波の下にも赤線地帯の候ぞ」となぐさめたてまつって、
千尋の底へぞ入り給ふ。
そこは遊郭と言うべきか。
海の下にもスケベはございます。
そこの門には「働けば自由になる」と笑えないジョークを削るかわりにヤングジャンプのグラビアみたいにグラマーな人魚の像が彫られていて、この町で得られる快楽の種類を実に的確に表現していた。
間違って消しゴムを買いに来たとか、そういったことはない。
ここで見つかったら素直に、人魚とチョメチョメしにきたというしかないのだ。
スケベの背水の陣なのだ。
いや、別におれたちは人魚と遊びに来たのではない。
だいたいウェットスーツ着てて、どうやって遊ぶねん。
いいですか? 〈海竜の墓場〉には入れない。
だが、この星の守護神の墓がつい最近あそこにつくられたのだ。
つまり、守護神を埋葬するためにあの激流の壁を潜り抜けたやつがいるのだ。
その方法を知れば、いいってだけの話。
で、情報がたくさん集まるであろう町の名前をアクロにたずねたら、先輩士官たちが行ったことがあると言っていたのをきいただけと前置きをしたうえで、この赤線を紹介してもらった。
とりあえず、ここでみんなバラバラに分かれて情報収集することにした。
殺しなし、捕食なし、人身売買なし。
そもそも、この世界で通用するカネを持っていないので、門前払い食らうかもしれないが、そのときはちょっぴりだけ暴力の行使を許す。
「じゃあ、三時間くらい経ったら、戻ってくること。解散!」
「どうやって三時間なんて分かるんだよ。時計もないのに」
「数えればいい」
「なにを?」
「おいおい、ギル・ロー。大脳新皮質はどこに置いてきた? 魚になったからって脳みそまで魚にすることないだろ。秒を数えるに決まってる」
「あんた、ほんとに脊髄動物か?」
「万物の霊長ですが、何か? そんなに難しいことじゃないだろ? 一分が六十秒。六十分が三六〇〇秒、三時間が一〇八〇〇秒。一万八百数えれば、あら、不思議。三時間だ」
「じゃあ、あんた数えながら探せるのかよ?」
「できるわけねーじゃん。自分がやられたらやなことを人に積極的にやっていく。これがラケッティアの生き様よ。……ヘイ、シップ。タイマー機能、使える?」




