第三十三話 アサシン、お洗濯。
「もーっ! なんで、わたしがこんなことしなきゃなんないのよ!」
ツィーヌはぶつくさこぼしながら、額の汗をぬぐい、巨大なフォークで洗濯物の群れを刺して持ち上げ、鍋に放り込む。
囚人は自分の服は自分で洗うので、ツィーヌたち洗濯娘たちが洗うのは看守や監獄士官のものだ。
監獄要塞には洗濯のための獄舎があり、洗濯物を煮るための巨大な鍋が炎が噴き出る十六カ所の穴の上に十六個、横並びになっている。
一つの鍋につき、一人の洗濯女がついていて、桶にたまったシャツや外套、士官の肩章、礼装用の飾り帯などをフォークで持ち上げて、茶色いシャボンがぶくぶく熱い泡を立てている鍋へ放り込み、巨大な木べらでぐるぐるまわす。
洗濯獄舎には他に灰汁とシャボン草から洗剤をつくる部屋、洗ったものをすすぐための水路がある回廊、崖から突き出た乾燥場などいろいろな部屋がある。
ツィーヌがいるのは煮沸部屋だった。
洗濯物を煮る火と鍋から立ち上るシャボンの湯気で洗濯娘たちはみな大汗をかき、熱いので薄い肌着とペチコートだけの姿でせっせと洗濯物を煮込んでいる。
すると、少女たちの肌にぴったり薄手の服がつき、肌の色やら肢体の線やらがはっきりと分かるようになる。
そんなわけで、煮沸部屋の見張り役は監獄職員のあいだで高値でやり取りされる。
もちろん、それは看守などの下級職であり、士官以上のものは特権を行使し、誰はばかることなく洗濯娘たちを眺めることができる。
実際、ツィーヌの後ろでは鼻に包帯を巻いた監獄士官が一人、にやにやしながら、ツィーヌの〈仕事ぶり〉を眺めている。
表向きはそのスケベの大尉の肩章をツィーヌが煮込んでいるので、その仕事を監視するということになっているが、その視線が鍋のほうへは一度たりとも向けられていないことは馬鹿でも分かる。
汗をだらだら流しながら洗濯に従事するのは面白くないし、男たちの変態性欲の対象に見られることも決して面白いものではない。
山盛りのチョコレート・カノーリにまんまとハメられた。
――ということにしているが、本音は、
「これはツィーヌにしか頼めない任務、って言われて、別にいい気になったわけじゃないんだから」
実際はそれが理由の十割だ。
マスターのいつものふざけた調子ではなく、どこかすまなさげで、心配すらしてくれてるような感じで、言われたのだ――ツィーヌにしか頼めない。
言った後、すぐに、なーんてね、がっはっは、とおちゃらけてみせたが、ツィーヌにはもうマスターの本心が知れていた。
自分にしか頼めない任務。
アサシン冥利に尽きるし、それを遂行する実力があるとも思っている。
それに――、
マスターの一番になれるかな?
「うー」
アレンカのように呻ると、目にしみるシャボンの湯気と監獄士官の好色な眼差しを追い出すようにぎゅっと目をつむり、口元もやはりぎゅっと引き締めると、木べらで洗濯鍋をぐるぐるまわした。
こぼれたシャボンが熱くなった鍋の外で、じゅっと音を立てた。
――†――†――†――
十月も終わりに近い。
洗濯獄舎付属の浴場で汗をきれいに洗い流し、のぼせるくらいに熱い湯に浸かったというのに、外の回廊の風で冷たい蝋燭でも飲み込んだみたいに体が冷えてしまった。
「監獄長官のやつ、間違いなく、あんたに気があるね」
洗濯娘の村へ潜入して以来、親しくしているコロンというケメレン諸島出身の少女が言った。
「冗談でしょ?」
「こんな話、冗談でしないって。あのスケベじじい、ナウドを呼び出して、今度の洗濯日には、あんたを〈特別洗濯室〉に連れてくるように言ったらしいよ」
〈特別洗濯室〉というのは、監獄長官が気に入った洗濯娘と二人きりになるための部屋だった。
「わたし、〈特別洗濯室〉なんか行きたくない」
ゴキブリなんかになりたくない、といった感じでツィーヌがこたえた。
「だよねー。いくらたたないじいさんでも、気色悪いし。でも、お駄賃は弾むってさ。ただ、洗濯してるのを見せるだけで金貨一枚ってのは魅力的っちゃア魅力的で、――ん?」
洗濯獄舎の塔のある門のそばで洗濯娘たちが、一人の囚人相手にぎゃあぎゃあ口論していた。
囚人が持ってきた桶いっぱいの洗濯物から判断すると、急な追加分なのだろう。
「わたしがやっておいてもいいわよ」
ツィーヌがそう言うと、洗濯娘たちは礼を言って先に帰っていった。
囚人に洗濯物の桶をもたせて、煮沸部屋まで運ばせると、ため息まじりに振り返る。
「急な洗濯物って――もっとマシな連絡方法なかったの?」
囚人トキマルは、しゃーないでしょ、と言ったうえで、
「こっちは大して、情報はない。ただ、エルネストに限らず、偽造で入ったやつらの姿が見えないところを見ると、偽造屋ばかりを集めた牢獄がどこかにある。場所も行き方もまだ分からない」
「それだけ?」
「西棟と第一南棟にはいない。東棟か第二南棟ってとこまでは絞った。そっちは?」
「毎日、洗濯してるわよ。監獄長官がわたしの洗濯する様子を見るのに金貨一枚払いたいって」
「へー。見せるの?」
「冗談じゃないわよ。気色悪い」
トキマルは、ふーん、とシャツを取り出すと、ぐるぐるに丸めて、鍋に放り込んだ。
「おれのいたアズマじゃ、あんたたちみたいな女のことはくノ一って呼ぶ」
「なによ、急に」
「女の忍びだ。名前の由来は男の忍びは九つの術を駆使するのに対し、女の忍びは九つの術にもう一つの術がついてくる」
「色仕掛けのこと?」
トキマルはうなずいた。
「むー」
「ま、やるやらないはそっちの自由だけど」
「……やる。そのくらい軽いもん」
「そーですか。ああ、頼んだものは持ってきてくれた?」
「〈レネンドルフの斧男〉のこと? マスターが調べた。十六歳のとき、十歳の女の子の頭を斧で叩き割って以来、二十五年間に六十七人の子どもを斧で殺したんだって。ガルムディアのレネンドルフ地方じゃ、今でも言うこときかない子どもがいると、親は〈斧男〉が来るぞって脅かすそうよ」
「人は見た目によらないんだな。それで思い出した。なあ、頭領ってさ、忍びかそれに似た技を持ってたりする?」
「はあ? マスターが? あるわけないでしょ。腕相撲したらアレンカにだって負けるのに」
「そうか。まあ、いい」
トキマルはツィーヌに洗濯物を押しつけて、そのまま、ふいっといなくなった。
ただ、姿を消す寸前に、
「一つだけ。エロじじいに色仕掛けするのは勝手だけど、マジでやられそうになったら、大声上げてみな」
ツィーヌはムッとして、袖がからまったシャツの塊を鍋に叩き込む。
「助けはいらない。自分だけで対処できる」
「あっそ。まあ、きこえて、おまけに立ち寄れる位置にいったら、行くだけ行く。頭領もそーゆうの、嫌でしょ?」
「なっ、なんで、そこでマスターの話が!」
ツィーヌが振り向いたころにはトキマルの影も形もなかった。




