第三十一話 忍者、幻術。
双子の殺人鬼が壁打ちテニスで息の合った連携を見せる。
山賊と海賊が地理学的な基準でチームに分かれてボロボロのボールを蹴飛ばして走りまわり、武装強盗と馬泥棒で懲役三十年の男が子ども専門の強姦魔をめちゃくちゃに殴りつける。
詐欺の常習犯とニセ法律家がチェスをし、麻薬密売人たちは九柱戯に夢中だ。
これら囚人たちが運動をする広場は高い城壁で囲まれていて、腕利きのクロスボウ兵が囚人を見張っている。囚人同士が賭けボクシングを始めたり、変態をリンチにかけたりするくらいでは引き金にかけた指は動かないが、壁に近づきすぎると、バシッ! 頭に矢が刺さる。
しかし、あらゆる種類の犯罪者が集まっているにもかかわらず、偽造屋の姿だけが見えない。
どこか別の場所に収監されているのだろうか?
トキマルは首をふった。
まだ探りを入れられるほど自分はここに認められていない。
体は動かしたいが、誰かとつるみたくはないので、トキマルは一人、鍛錬を始めた。
腕立て伏せと腹筋を繰り返し、百回ごとに休憩する。
目を閉じて特殊な呼吸法で自分を自分のなかへと深く落とし込み、周囲から自分を切り離すことができる。
鋭敏な感覚を養うのに効果的な瞑想だが、それでも誰かが近づいてくると、即応の態勢がとれる。
誰かがトキマルを寝てると勘違いして、襲いかかっても、瞬時に覚醒して、叩きのめすことができるのだ。
気配を感じて、まぶたを開くと、男が一人、トキマルから五歩の距離で立っている。
長い髪を後ろで結い上げた、アズマの出身らしい若い男で、左右の眼の色が違う。
「なに。また〈試験〉?」
男は首をふった。
「ある方が会いたがっている。ついてこい」
「めんどくせー」
「ここにいたところで偽造屋には会えない」
「……ふーん。あんたも忍び?」
男はそれにはこたえず、トキマルに背を向けてスタスタと歩き始めた。
左右の眼の色が違うという特徴は顔を覚えられやすくなるので、忍びには向かない特徴だ。
だが、世の中には目の色を同じに揃える術なり薬なりは存在する。
それをあえていじらないのは、暗示系の忍術を使うときに効果があるからだろうか。
いろいろ考えているうちに二人は運動場から外れた隅のほうへとやってきた。
壁に鋲を打った扉が取りつけられていて、その上でクロスボウを持った看守が二人、門番みたいに見下ろしている。
ごつん。ごつん。
「玉投げだ」
扉の向こうからきこえてくる音について、男はそう説明した。
「どーでも」
扉を開く。
赤く塗った玉が青く塗った玉にぶつかり、白く塗った玉のそばで止まった。
玉投げのために砂利を敷かれたのはブドウ棚のある快適な一角で、囚人を閉じ込めるための壁はここで大きく切り下げられて、海が望める。
ここは選ばれたものだけが入ることのできる聖域だった。
〈商会〉の幹部たちがオレンジ大の玉を投げ、トウモロコシの苞で巻いた煙草を吹かし、荒っぽいコクのあるワインを飲みながら、大きなロブスターが焼き上がるのを待っている。
「デレクってやつはどうしようもないケチなギャンブラーでな。ボスになってからも、きちんとしたカジノじゃなくて、通りでケチなカネ賭けてサイコロ転がすのが好きだった。それこそ毎日、通りでサイコロを転がしてた。そんなある日、やつが通りでサイコロ転がしていると、葬式の列が通りかかった。で、デレクのやつ、霊柩車が通りかかると、帽子を取ったんだ。で、おれが言ったんだ。『へええ、お前、信心深いんだな』って。そうしたら、デレクは『ああ、三十年連れ添った女房だからな』って言いやがったんだ」
それがオチだったらしく、ゲラゲラ笑い声が上がった。
「少し待て」
アズマの男が言った。
彼の主人にあたるらしい〈商会〉の統領がちょうど玉を投げる番だったのだ。
大柄で二つに分かれた白い顎髭と丸い眼鏡。どちらかというと犯罪者の親玉より学者に見える。
大きな手から下手投げで放られた緑に塗られた玉は赤い玉にぶつかり、白い玉のほうへ転がり止まった。
「連れてきました。ドン・カランサ」
カランサは振り向くと、眼鏡の奥で細めながらトキマルに目を向けた。
敵意はないが、うわべだけの親しさ以上のものは期待できない目。
カランサは葡萄棚のテーブルに座ると、用心棒をしている看守が杯に赤ワインを注ぎ、ブラッドオレンジと果物ナイフの乗った皿をそばに置いた。
トキマルを立たせたまま、座れとも言わず、オレンジの皮を剥き、真っ赤な果汁を垂らしたオレンジを口髭を汚さないよう器用に食べながら、ワインを少し飲み、またオレンジをつまんだ。
「何かしてみせろ」
カランサはぶっきらぼうに言った。
「は?」
「お前を殺さずにしておいたほうがよさそうだと思う何かをしてみせろと言っている」
「めんどくせー。なんで、おれがンなことしなきゃいけないワケ?」
カランサは水を張ったボウルに指を突っ込んで、麻薬で稼いだカネを洗うみたいに指をきれいに洗った。
「ナウドがお前を殺してくれと、わしに泣きついている。ナウドは知っているか? お前が鼻をつぶした監獄大尉だ。南部でゲリラ狩りの指揮官をしていたが、ゲリラにこてんぱんにされて、ここに左遷された。だから、もともとねじ曲がっていた性格はさらにねじ曲がり、お前の頭突きでまたねじ曲がった。いいか? 監獄には秩序がある。監獄士官の鼻の骨を折りたいときに折るのはわしの持つ特権だ。それをお前は侵害した。だから、四の五の言わず、わしがお前を生かしておきたくなるようなことをしてみせろ」
「魚」
トキマルがそう言い放つと、幹部たちのテーブルに大きなニシンが落ちてきた。
見上げた空からニシンが雨のように降ってきて、鱗が飛び散り、幹部たちは慌てて、テーブルの下に潜り込んだ。
だが、次の瞬間には魚は鱗一枚残さず、消えてなくなっている。
それもそのはずで、そもそも魚などいなかったのだ。
幻術。
忍びの術の一つで、無言のうちに腹中から錬った気合を放ち、相手の感覚を知らないうちに麻痺させ、こちらが見せたい幻を脳裏へねじ込む。
言葉と沈黙の間の取り方で相手の感覚をこちらに釘付けにし、その心理をまとめて、手のうちにしてからのほうがずっと長く強い幻にかかるが、トキマルにしてみれば、それは『めんどくせー』。
トキマルの幻術に対し、カランサは何も言わなかった。
ただ、殺されずに運動場へ戻れたところからすると、合格したのだろう。
「また、呼ぶことがあるかもしれない」
アズマの男が言った。
「あんた、あのじいさんの子分なのか?」
「雇われている」
アズマの男はそのまま葡萄棚のほうへ戻っていったが、ふと、振り向いていった。
「名はクマワカだ。また会おう」
「どーでも」




