第二十八話 ラケッティア、美食の条件。
今、リッジソン内海にあるあちこちの取引所で一つの言葉が熱っぽくささやかれている。
密輸。
カースルフォーンのフルーツ・ブランデーを皮切りにクルス貿易会社は税関や軍人を抱き込んで、染料、食器、楽器、食料、それに奢侈品や武器までも好きに売りさばいている。
おれたちは密貿易の鍵となる賄賂――どこの役人に、どれだけつかませればいいかを手数料と引き換えに他の商人にも教え、密貿易業界そのものを拡大させていた。
ガルムディアの関税収入が大幅に減少し、本国から送られた監査官は二重帳簿と簿外取引の壁にあたって、手助けなしでの不正究明などできないと悲鳴を上げている。
多くの商人が役人と癒着した密貿易で利益を上げるなか、誰しもが先駆けとなったクルスとはどんな人物なのか、噂し合うことだろう。
「ぶえっくしょい!」
だから、派手なくしゃみも出る。
「うえー、そろそろ頃合いかな」
「なに? 次の作戦?」
「カツレツの揚げ加減だよ」
おれはトキマルと拠点にしている旅籠の厨房に並んで、アサシン娘たちへの奉仕の一環としてカツレツを揚げていた。
トキマルは卵を溶くとかパンの皮をすりおろすとか下ごしらえ担当。
おれは調理担当。
密輸の横行でパルミジャーノによく似たステファン・チーズがお手頃の値段で手に入るようになった。
そのステファン・チーズのすりおろしをたっぷり入れた香草カツレツは主菜の王さま。
厚めの衣がめっちゃサクサクしてます。
「待たせたな、小娘ども! カツレツの完成だ!」
それからの数十秒はカツレツの奪い合いになる。誰が一番大きいかでもめる。
そんなことにならないよう、同じ分量に切ってくれと肉屋に頼んでいるのだが、こいつらききやしない。
「そろそろ頃合いかなあ」
「デザート?」
少女たちが色めき立つ。
「違う。次の作戦」
「なあんだ」
少女たちが肩透かしを食らう。
次の作戦、というのはガルムディア海軍の物資の横流しだ。
これについては一週間前からデュゲイを交渉役にぼちぼち始めていた。
一か月のあいだにガルムディアの役人軍人ともにモラルハザードを起こしていた。
私腹を肥やすことに奔走し、おれの関わっていない密貿易もたくさん増えた。
役人も軍人ももっともっと儲けたい。
そんなとき、おれたちが商品を運ぶから軍艦を貸してくれ、相場で使いたいから物資を貸してくれと言ったら、どうなるか?
一か月前なら貸してくれないだろうが、今なら喜んで貸してくれるだろう。
んで、そんなとき、解放軍の船がカースルフォーンへやってきたら、どうなるか?
ガルムディア兵にできることは氏族歩兵につかまらないよう祈るくらいだ。あいつら、捕虜取らないからな。
そんなこんなで、そろそろ解放軍の北部侵攻が始まるのだが、一つ問題がある。
エルネストだ。どこにいるのか分かった。
「トキマルくん。トキマルくん。ちょっときたまえ」
「は? なに?」
「いいから、いいから」
旅籠の厨房を抜けたところに個室が三つあり、一つはアサシン娘たちの謝肉祭会場になっていて、もう一つは別の客が借りている。
そして、最後の一つにおれはトキマルを呼び込んだ。
「さあ、さあ。入った、入った」
「いったいなんだよ、頭領――こ、これはッ」
そこにあったのはホカホカの白い飯。炒めて使うリゾット用のやつではない。
本物の銀シャリだ。
その上には大きな梅干し。
さらに塩じゃけ。香の物。豆腐と昆布の味噌汁。
「どうしたんだよ、これ?」
突然の和食の出現に目がきらきらしてやがる。
「いやね、日々働いてくれるきみへの感謝の意だよ」
「こんな好物食わせて、その分働けって言うんじゃないだろうな?」
「まさか、そんな。ほら、熱いうちにどうぞ」
遠方から来た船がアズマの産品を買い込んでいて、それを買い取った。
米は炊くための品種だし、香の物は一年間味醤につけた大根。
まあ、結構なお値段でしたが、これからトキマルに頼むことを考えれば、安いものだ。
だが、まだ頼むにははやい。
もっとたらふく食って気分がよくなったときを狙う。
「ふー、食った、食った」
「やっぱ米の飯じゃないと、モノを食った気がしないよな」
「まーね」
「うんうん。おれも似たような食文化の場所に暮らしてたから分かるよ。この世界、漬物といったらザワークラウトとピクルスしかないんだもんなあ」
「香の物なんて、よく手に入ったな、頭領」
「おれ、密貿易業界の大物なんだよ? そのくらい軽い軽い」
実際は食材専門の貿易会社を梯子したが、まあ、いい。
「さて、これは別に命令とかじゃないんだけどさ」
「やーっぱ、何かあったんだな。めんどくせーことになりそうだ」
めんどくせー。出ました。脱力忍者の決め台詞。
しかし、口で言うほどめんどくさそうな顔をしていない。
やっぱ白米は偉大だよ、かあちゃん。
「いやあ、そんなに面倒なことじゃないよ。ちょっとムショに入ってもらいたいだけ」
「ハ?」
「だから、ムショ。刑務所。監獄。牢屋」
「……なんで?」
「前言ったエルネスト、そいつの居場所が分かった。セント・アルバート監獄にいる」
セント・アルバート監獄というのは内海に浮かぶ島一つ監獄にしたとこだ。
入っているのは政治犯なんかじゃない。
ガルムディア本国から追い出されたヤバい連中ばかり。
そんなヤバいやつの一員に認められた我らが相談役もそこにいる。
ただ、具体的な場所が分からない。
おまけに囚人は男ばかりだから、アサシン娘たちを潜入させられない。
「そこできみの出番なわけだよ、忍者マン」
「じょーだん」
「まあ、別に嫌ならいいんだ。強制はしない。ところで塩じゃけおいしかった?」
「くっ……わあった。引き受ける。もう食っちまったし」
「いやあ、物分かりがよくて助かる。ああ、面会には行くし、差し入れもするから、そこんとこは安心してくれ。古き良きマフィアはムショにお勤めする仲間の家族の面倒を見たもんだ」
「どーでも。で、どうやって潜入するの?」
「なーに言っちゃってんの。外に出る。街を歩く。ガルムディアの兵士を見つけて頭突きの一発でも食らわせれば、あら不思議、あっという間にセント・アルバート監獄よ」
「じゃ、とっとと行くわ」
「いってらっしゃーい……さてと」
まさかトキマル一人を行かせるつもりはない。
バックアップ要員を一人つけるつもりだ。
というのも、セント・アルバート監獄には洗濯女たちの村がある。
監獄の洗濯物を洗濯してやると同時にカネさえ払えば、いわゆる魂の洗濯もしてくれるそうだ。
そんな赤線モドキにうちのアサシン娘を派遣するのは嫌だが、考えてみれば、あいつらウェストエンドで暮らしてたわけだし、そのへんはうまくあしらえるだろう。
しかし、人選が限られる。
男言葉のマリスはNG。ロリッ子アレンカもNG。ジルヴァは口をきかないし、覆面を取らないからNG。
となると、対象は一人。
買収資金――チョコレートを生地に練り込んだとっておきのカノーリを山ほど積んだ皿を一枚、個室に用意すると、アサシン娘たちの部屋へ。
そして、入り口からちょっと顔を出して、まねき猫みたいにいらっしゃいをする。
「ツィーヌさん、ツィーヌさん。ちょっといらっしゃい」




