第八話 ラケッティア、制止する。
またまた、お出かけ。今日、これで何度目だ?
見れば、太陽はやや西に傾いているらしく、細い路地や果樹のある裏庭は早速一日の終わりの静けさを出迎えている。
あと二時間もすれば、転生第一日目の夕陽を見ることだろう。
そんな黄昏前にわたくし、妹系ぶっ殺し少女と一緒に殺しの契約を取りに行きます。はい。
転生する前はそうでもなかったが、こっちにきてから、おれ、結構働いてる。
これが美少女ハーレムの力か。それともラケッティアリングの楽しさか。
「マスター。どうやって依頼人を探すのですか?」
「そうだなあ。背中に旗竿差して大声で、殺し屋いかがっすかぁ、ってたずねてまわるわけにもいかないし――アレンカ、どうした? 腹でも痛いのか?」
アレンカはお腹を押さえて、うずくまっている。その目尻には涙。
「お、おい、大丈夫? 病気か何か? おれにできることある?」
アレンカは指で涙をぬぐって、苦しそうに息をしながら小さな顔いっぱいの笑みを見せた。
「ち、違うのです。マスターがあまりにも面白いことを言ったからなのです」
「面白いこと? おれ、なんか言ったっけ?」
「殺し屋はいかがですかって」
「あれ? 殺し屋いかがっすかぁ、って、あれ?」
あははははっ。アレンカは我慢しきれず、思い切り笑った。あんまり大笑いしたので、通行人が振り返り、宮殿に道化師を供給する道化師ギルドの人間が新たな才能の発露かとわざわざ寄ってきたくらいだ。
「いや、別に、そんな面白いことは言ってないです」
おれはその、ちっとも道化師に見えない、堅苦しい公務員風の道化師スカウトに言った。
殺し屋いかがっすかぁ、のくだりを説明したが、くすりともしないし、それどころか、
「それのどこが面白いんですか?」
とか、言ってきやがった。
そら、まあ、自分でもそんな面白いこと言ったつもりはなかったが、こうして面と向かって言われると、ムカつく。
「アレンカ、よせ!」
突然、バケツで水をぶっかけられたようなゾッとした殺気を感じて、反射的に叫んだ。
見ると、空に向かって両手を伸ばしたアレンカの上に直径一メートルはある紫の炎の玉が回転している。
あの能面スカウト野郎もさすがに腰を抜かして、その場で漏らしていた。
「この人、マスターのことを馬鹿にしたのです。死んで償えばいいのです」
「カタギには手を出すな」
「でも、でも――」
「マスターの言うことがきけないのか?」
「うー……」
アレンカの怒りと一緒に、炎の玉も縮んでいき、最後は線香花火みたいに一発パチッと火花を散らして消えた。
お漏らししたスカウトをそのままにして、大急ぎでその場を後にする。
いかに治安の悪いスラムでも限度があるだろう。
実際、おれたちのことを指差して何か話してる物騒なやつらもいた。
古着屋と古道具屋が何十軒と並ぶ通りへ出て、ようやく騒ぎから離れることができた。
「ごめんなさいなのです……」
うつむいたアレンカは消え入るような声で言った。
おれはと言えば、頭のなかが真っ白。
人が殺されるのをギリギリで止めたのも初めてだし、魔法? か何か知らんけど、あんなふうに火の玉が出てきたのを見るのも初めて。
それに一人っ子だから、年下の少女を怒って、何かをやめさせたのも初めて。
その少女が今にも消えてしまいたいと思っているような顔でごめんなさいと謝ってくるのも初めてなのだ。
「おれこそ、ごめんな。まだ来たばっかしで偉そうにマスター風吹かせて命令したりしてさ」
アレンカは首をぶんぶんと横にふった。
「そんなことないのです! マスターは立派なマスターなのです! ……悪いのはアレンカなのです。こんな悪いアレンカはマスターに嫌われても仕方がないのです」
「そんなことないって」
「そんなことあるのです。アレンカはマスターにポイってされても仕方のない悪い子なのです……」
すっかり落ち込んでる。
別にロリコンとか妹萌えとかそんなんじゃないけど、なんとか元気づけたい。
これはたぶん人間として普通のことだと思う。
ところが、どうやればいいかが思い浮かばない。
マフィアものの小説とかギャング映画とかばかり見て、ラブコメとか全く見なかったツケがまわってきた感じだ。
うなじのあたりをがりがりと掻きながら、視線を彷徨わせる。
それもアレンカのいない方向に。
くそっ。おれは最低だ。
青い鳥が古着屋の棚にとまっているのが見えたのはそのときだ。
いや、鳥じゃない。
リボンだ。きれいな青いリボンが風の吹き上げを受けて、鳥みたいに羽ばたいている。
「アレンカ、ここで待ってろ。すぐ戻るから!」
おれは古着屋へ走った。
茶色の靴下、黒い帽子、灰色のコートといった色の古着のなかで、その青だけは宝石みたいにきれいだ。
リボンをシワにならないよう、そっと握ると、店の入口で椅子に座り、何か風刺画が描かれた紙切れを見ている店主らしい男に話しかける。
「すみません。これ、いくらですか?」
「一ティエ。それ以上はまけないよ」
代金を払って、急いで戻ると、買ったリボンをアレンカに渡した。
「これ、アレンカに、ですか?」
「よく似合うと思う。いや、絶対似合う」
アレンカはリボンを右耳の上のあたりでちょうちょ結びにした。
「古着屋で買ったもんで悪いけど、今日はこれで機嫌を直してほしい。おれ、あんまり気の利いたことはできなくて――」
って、おわわわぁ! アレンカが大きな涙をポトポト落としだした!
「も、もう一本、もう一本リボン買ってくるから、ちょちょちょ、ちょっと待ってて!」
滑稽なほど慌てふためき古着屋へトンボ帰りしようとするおれの服の裾をアレンカがぎゅっと摘まむ。
「違うのです。これは嬉しいの涙なのです。マスターが買ってくれたリボン。ずっとずっと大切にするのです。もし、アレンカが悪い子になりそうになったら、このリボンでマスターのことを思い出すのです。アレンカはずっとずっとマスターのアレンカなのです!」