第二十二話 ラケッティア、契約書はちゃんと読め。
貴族の館ともなると、不意の客にも対応できるようになっている。
アポなし隣の晩御飯は牡蠣のチャウダーとコロコロ鳥のロースト、ワインは〈奇跡の年〉。
「つまり、あなたはわたしに銃を売ると?」
「左様ですな。火縄銃の公定価格は金貨5枚、これが需要の増加で金貨20枚に暴騰したが、まあ、ご存知かもしれませんが、フェリペ・デル・ロゴスがカラヴァルヴァに戻り、各商会は銃を買い集めている。早晩には火縄銃の値段が金貨五十枚になるかもしれない。出荷命令書があっても手に入らないという話はざらだ。その火縄銃一万丁とピストル四百丁をあなたがまとめて購入するなら値段は火縄銃が金貨10枚、ピストルが金貨50枚。相場よりもずっといい値段だ」
「セニョール・クルス」
ヴェックワース伯はドンの敬称を使わないつもりらしい。ふふん。
「いま、それだけの金額を一度に払うことはできない」
「なに、あなたがあの沼を王の狩猟地として献上した後でも大丈夫ですよ」
まさか、このことを知られているとは思っていなかったらしい。
ヴェックワース伯とセニョール・フアン・ポルデッサはほんの二秒だが、お互いの目をちらりと見やった。
「しかし、まあ、わしとしても担保をいただけるとありがたい。そこであの沼はどうかと思うのですが。いや、なに、あなた方の計画がうまくいけば、銃の支払いは滞りなく進む。そうすれば、何も問題はない」
「担保としてあの沼を?」
「いい条件だと思いますがね。なにせ、あなたのサン・ルカソ荘園やマルデリド荘園を担保にするよりはずっと安い」
ヴェックワース伯はいろいろ考え始めた。
あの沼を担保にするとしても、ひとつ問題がある。
万が一うまくいかなかったとき、おれがあの沼を王に献上するのを恐れているらしい。
「分かりました。すぐ契約書を作らせましょう」
ヴェックワース伯の優秀な書記たちが売買契約と代金の担保に関わる文章を作っているあいだ、セニョール・フアン・ポルデッサがずばり斬り込んできた。
「ここ数日、パナデーロスで起きていること、ダークエルフたちの村に人間が訪れたこと。これらは全てあなた方の仕業ではないのか?」
その通り。
しかし、素直に認めるわけにはいかない。
「その通り。わしの甥たちがダークエルフに肩入れしている」
ヴェックワース伯は腰を抜かしそうになった。
「じゃ、じゃあ、毒殺騒動は?」
すると、おれの後ろにアサシンウェア姿で控えていたツィーヌが貴人に対する礼儀たっぷりのお辞儀をしてみせた。
「なんてことをしてくれた!」
ヴェックワース伯はわなわな震え始めた。
「取引は中止だ! こんなこと許されるか!」
「許される。わしがいいという場合は」
「なに!?」
「確かにわしの甥たちがダークエルフに加担しているかもしれない。後ろにいるこの子が毒を巧妙に仕掛けたのかもしれん。だが、それが何かあんたに不都合があるか? 脅威を大きくして、売り物の値段をつり上げる。ごく普通の商売のコツだ」
「何人死んだと思っている!?」
「さあ、知らんな。だが、どうせ傭兵くずれや盗賊あがりを集めたゴロツキに過ぎない。こうして、危機を煽らなかったら、あんたはわしに会ったか? 貴族のプライドについてはあまりいい思い出がない。だから、そんなものは信用せず、あぶり出した脅威とそれを打ち負かす武器を売る。何も変なところはありませんな」
ヴェックワース伯の顔が人喰い猿モンスターみたいになり、ロケットみたいにぶっ飛びかけた。
ここまでキレたらプリンでは機嫌が直らない。プリン・ア・ラ・モード先生の出番です。
だが、奇跡は起こる。
なんと伯爵はプリン・ア・ラ・モードなしで機嫌をなおしたのだ。
というのも、優秀な書記が契約書を持ってきたのだが、そこに伯爵がご機嫌になる面白おかしいことが書かれていたらしい。
書記は書類づくりについては優秀だが、ブラックジャックの手札を見るのはヘタクソらしい。
びっしり文字が敷き詰められた契約書のある一点を伯爵に指し示したのだ。
おれにそれがバレてる時点でいろいろあれだが、セニョール・フアン・ポルデッサも書類を見て、クソの詰まったサイみたいにうなった。
どうやらおれがその条項に気づかないでいるのを期待しているらしい。
おれは書類を手に取る。そして、まったく関係ないところを見るふりをして、例の条項を読むと、なんと、おれが担保の質流れでアルビロアラ沼を獲得しても所有権を移すことはできない、と書いてあった。
つまり、ヴェックワース伯が銃の代金を支払えず、沼がおれのものになっても、おれはそれを国王に狩猟地として献上することができない。
つまり、おれが沼から得られる収入はそこで獲れた魚の五分の一のみ。
つまり、この取引でおれは馬鹿を見る。
……ま、いいでしょ。
沼を担保にと言ったのは、リドルの毒薬ギルドを完全に囲い込むためだ。
おれはサラサラとサインした。
このサインというのも異世界へ飛ばされてできるようになったことのひとつだ。
見栄えが良くて、かつ偽造しにくいサインを書けるようになるまで、一生懸命頑張った日々はいい思い出だ。
ヴェックワース伯はおれが馬鹿を見たのがうれしくて、そのせいか態度にも余裕が出てきた。
そこでひとつ、こちらからもお願いをしてみる。
「銃は欲しければ、いまから送らせることができる。ただ、ひとつ問題がある」
ヴェックワース伯はおれが例の条項に気づいたのかと思って、目が泳いだ。
「大義名分だ。毒をまかれた。だから、ダークエルフの村を襲撃したでは動機として弱すぎる。本格的な捜査が入ったとき、ボロが出る」
「そのことなら、セニョール、あなたは気にしなくてもよろしい。ダークエルフたちが自滅する段取りはつけてある」
「ダークエルフたちがパナデーロスを襲撃するくらいの謀なんでしょうな?」
「このセニョール・フアン・ポルデッサがやってくれている。だが、具体的にどうやるかはわたしも知らん」
「そうですか、そうですか」
つまり、ぶちのめして、吐かせるべきなやつが見つかったってことだ。




