第八話 ラケッティア、ストーリー街のスケッチ。
礼儀知らずの頭はぶん殴られて吹っ飛びかけるが、女のでかい手に胸倉をつかまれているので、ぐんとのけぞってまた戻ってくる――女の拳目がけて。
そうやって卓球のラリーみたいに頭が行ったり来たりするのを見ながら、この街に、この街の女たちにラケッティアの保護が必要なのかともう一度考えてみる。
計画性のない二階建てが木造の出窓やベランダを道へ突き出し、道の上に差し渡した紐に七色のガラス・ランタンを吊るしまくる。
レース編みよりも複雑な模様を描く鋳鉄の手すりのあるベランダから、おっぱいを強調したドレスを着た娼婦たちが羽毛の扇でパタパタと客の歩く道に甘い香を扇ぎ送っているかと思えば、客の腕を引っぱって、強引に店に連れ込もうとする腕力タイプの太めの娼婦もいる。
呼び込みには娼婦たちにしか分からない厳しい縄張りがあり、ちょっとでも縄張り侵犯があったというとキーキーギャーギャーわめきながら、引っ掻くわカツラを剥ぎ取るわで大変なことになる。
そんなふうに取り合いされる客どもはいろいろで、見た目重視とエッチのテクニック重視のスタンダードなやつら、デブ専とガリ専、巨乳至上主義者と貧乳至上主義者、ロリコンと熟女大好き、オカマ目当てもいる。
そして、ストーリー街はそれらの希望に全てにこたえる――払えるお金次第で。
商売の規模もいろいろで高級娼館から特にヤサを決めない街娼などなど。
大きな板にまったくそそられないヘタクソな裸の女の絵を描き、あそこの部分に節穴が空いていて、銀貨一枚くれれば、この板とファックさせてくれるというじいさんもいた。
だが、ポン引きはいなかった。
ストーリー街は女の顔を殴って稼ぎを取り上げる男に用はない。
そんなストーリー街でおれは史上初のポン引きになるわけだが、もし、ストーリー街を保護下に置いて、上納金をもらえるようになっても、あの板とファックのじいさんのカネは受け取るまい。
カネにきれいも汚いもないが、立派なのと情けないのはある。情けないカネは受け取ると情けない気持ちになり、それを晴らすためにせっかくのカネをつまらない使い方をしてしまう。
資本主義の成功者になりたいなら、情けないカネは受け取らないことだ。
特に、女の絵を描いた板の女衒をやってるじいさんのカネなんて、もう――。
「さっきからあの老人をずっと見ているが、あれをカラヴァルヴァでもやってみるのかね」
「やんないよ、絶対。何が悲しくて板切れのポン引きなんてせないかんの?」
「きみのお金稼ぎは突拍子もないところから生まれるからね」
「あんな板切れにおれのかわいいチンポコを突っ込んで、抜けなくなったらどうすんのよ? 損害賠償ものだよ? どうせなら生温かいメロンをくりぬいてだね――」
歩いているメンツが男だけだとついつい下ネタ話に花が咲く。
まあ、たまにはこういうのもいいかと赤線地帯を歩いていく。
「そこのお嬢さん、鑑札は切れてないかい? 今ならリーズナブルな価格で完璧かつ世界にひとつだけ、あなたのためだけの偽鑑札をつくってあげるよ」
エルネストのやっていることはごく普通の営業だが、娼婦たちは「やだあ」「いやあ」と笑いながら、エルネストの服を引っぱったりしている。
どうもナンパの一種だと思われてるらしい。
「お兄さん、きれいな顔ねえ。髪もこのくらいのねこっ毛が好きなんだ、あたし。なんならタダでもいいよ。目の保養っていうけど、体にも保養が必要なんだよ」
「いや、悪いがそのつもりはない」
「えー、まさか男が好きって言うんじゃないよね?」
「そういうわけじゃないが……」
「じゃあ、一緒に天国まで飛んでっちゃおうよ」
「もう、つきまとうな」
「待ってよ~、そういうところもかっこいい~」
一方、ジャックもモテモテである。
ルックスの良さもさることながら、さっき路地裏でオルン商会かコルデリノ商会のチンピラが娼婦に絡んで、ナイフをちらつかせ、タダでやらせようとしている現場を通りかかったのだが、ジャックは息をするみたいに自然に人助けをしてみせた。
相手のチンピラはこれから最低一週間は大事な息子が使い物にならないことだろう。
娼婦を助ける=下心満々、の世界で生きてきた彼女たちにとって、通りすがりに娼婦を助け、女の顔や胸やもっと下のこれ以上言述したら検閲で弾かれるところをちらりとも見ず、本当に通りすがりで、すっすと歩いて去っていくジャックのストイックさがたまらなくいいらしい。
ジャックのまわりには何人か娼婦がモーションをかけてきていたが、ひとりは執事の老人で、彼の主人である貴族専門の高級娼婦がぜひ会いたいと伝えるべく、バラの香水をふりかけた本人直筆の手紙を持ってきていた。
「わしもあと十年若ければなあ」
「おれはあと二十年若ければなあ」
「やはり、老人の姿をすると老人の弊害が来るものかね?」
「なに、老人の弊害って」
「四季の美しいものを見ながら、来年もこれを見られるだろうかと切なくなったり、体じゅうの全関節がある日突然いっせいに叛旗を翻したり、歳を取ったというだけで経験豊富で穏やかな物腰の好々爺になると勝手に決めつけられたり。冗談じゃないぞ。人間はその経験をもってしても老化のもたらす弊害を取り除くことはできんのだ。それに精神汚染の問題もある」
「精神汚染? 歳取ると精神汚染されるの?」
すると、カールのとっつぁんは「そんなことも知らないのか、どうしようもない!」といった感情をジェスチャーであらわすべく、大袈裟に腕をひろげたが、あまりにも大袈裟過ぎたのでそこまでどうしようもないのかと思った。実際は運よく娼婦の胸に手をぶつけてやろうと思ったらしい。
ここは満員電車じゃないから、女の人の胸に手が触れて「このひと痴漢です!」とはならないし、それにカールのとっつぁんは年寄りだ。自慢の息子はもう使い物にならないだろうが、それでも娼婦たちは一応礼儀として、カールのとっつぁんにモーションをかける。あくまで礼儀としてだ。
人の最も集まる区画では正面に小アーチと前庭を持つ娼館が並び、蔓草の垂れるタイル張りの塀の向こうにはベッド付きの園亭でもあるのか、娼婦と客がキャッキャウフフしている声がきこえてきた。
この塀のなかでは銅貨四枚のアップルパイが銅貨十五枚で売られる。
飲み物だって五倍の値段だ。
確かに売春はうまみのある商売であるのは間違いないが、かのラッキー・ルチアーノは売春でぶち込まれたことを忘れてはいけない。
しばらくのあいだ、道のヒビから雑草の生える道を歩いていると、目当ての建物にたどり着いた。
低いが強固な城壁に囲まれた建物で頑丈そうな鉄のランタンが門のそばに置いてある。
塀の上には弓を射るための銃眼があり、門扉には鋲一本トンカチ百発の重労働が必要そうな仕上がりの厚めなつくりの扉が使われている。
たぶん、赤線地帯の治安維持のための騎士団の建物だなと思い、鉄ランタンの光の下でマダム・マリア―ヌからもらったマダム・リディネットの店の番地を確かめたが、この騎士団の詰め所で合っていた。
「ちょっとすまんが」
と、近くを歩いていた男に話しかけた。
「ストーリー街の十三番地ってここで合っているのか?」
「ああ、合ってるな」
「ここがマダム・リディネットの娼館なのか?」
「ああ、そうだ。ここがクッコロ娼館だよ」
「クッコロ?」
なんかナポリのカモッラみたいな名前だ。
「くっ、殺せ、の略」
「なんだね、それは」
「何にも知らねえんだな、じいさん。誇り高いエルフ専門の娼館なんだよ、クッコロは。しかし、じいさん、モグリなようで、すごい店を指名するなあ。アハハ」
くっ、殺せ! ……って誇り高い女騎士がオークとかに負けて、凌辱されるくらいなら殺せ!っていうシチュだよね?
つまり、マダム・リディネットの娼館では、エルフの女騎士がいて、客はみんなオーク?
んんん? 全然分からん。
「どう思うよ、とっつぁん」
「わしにきかれても困るな。エルネスト、あんたはどう思う?」
「これは実によくできた偽造だ。娼館を城館に偽造したんだ。この娼館の持ち主は偽造の愉悦をよく心得ている。ぼくたちは、この扉をくぐった瞬間から素晴らしい偽造哲学に参加できる。素晴らしいセンスだよ」
「くっ、殺せ! も偽造だと思うか?」
「ホントは凌辱されたがっているかってこと? さあ、ぼくにはそれは割とどうでもいいかな」
「ところでジャックは?」
「あっちのほうで娼婦が集まっているな」
「あーあ、捕まったか。うらやましい話だ」
門は開けっ放しなので、とりあえず三人で入ってみる。
なるほど、エルフというだけあって、みんなすごい美形だ。
そして、誇り高い騎士らしくなかなかキビキビとした雰囲気で、そんな女騎士の後ろをきわどい石材取引で材をなした男がふくらませた財布を胸に追いかける。
後できいた話だが、クッコロ娼館のエルフ娼婦たちはひと晩買って、確実にエッチできるとは限らない。
ひと晩の愛を真面目に育まないと、手すら握れない。
しかし、相手が心を許すと、そりゃあもうとことん尽くしてくれる。
そこに男は弱いらしい。
つまり、クッコロ娼館はツンデレ攻略を楽しむ娼館なのだ。
軍隊の運動場みたいな前庭を抜けて、娼館というか城館に入ると、早速エルフの女騎士に止められた。
「何か用か、ご老人?」
「マダム・リディネットに会いに来た。これが紹介状だ」
封蝋にマダム・マリアーヌの印を認めた女騎士は早速、マダム・リディネットのもとへ案内してくれた。




