第九話 戦記、カーソン・ムーアの戦い。
街道の下手を帝国軍がおよそ三千、上ってくるのが見える。
馬に乗った騎士や士官に率いられた歩兵隊は六つの縦隊に分けられて街道を歩く。
街道からカーソン・ムーアへと入る途中、岩山に挟まれた道がある。
ユリウスはその隘路の出口に兵を展開させた。
のちにカーソン・ムーアの戦いとして名を残す戦闘は、氏族部隊のマスケットが火を吹くと同時に始まった。
街道を抜けて、隊列を戦闘横隊にしようとしている帝国軍に弾丸が浴びせられ、動揺で陣形が崩れたところで、ハルトルド、トスティグの両部隊が銃をその場に捨て、野獣の咆哮を上げながら、白兵戦を仕掛けた。
左翼のハルトルド部隊では古疵だらけのもろ肌を脱いだマグナスが大剣を振りかざし、氏族の最前を突進していた。
剣をまっすぐ構え、一族郎党を後ろに従え、喉も破けんばかりに叫び声を上げながら、倍の数の敵にぶつかることはどんな美酒でも美女でも得られない快感を、この屈強な老人に与える。
マグナスの目にはただ一人の敵兵しか目に入っていない。
徒歩立ちで部下を叱咤激励する古参の騎士だ。
相手の構えを無視して、甲冑のどてっぱらを力技の剣でぶち抜く。
背中から飛び出た切っ先がすぐ後ろの兵士の胸を貫いた。
剣を二つの骸から押し放すと、ケダモノじみた罵倒の叫びを上げながら、次の兵士の頭を兜ごと叩き割り、ヘソまで切り下げた。
自分たちの長の戦いぶりに勇を得た氏族兵たちも次々と斬り込み、相手の隊列をズタズタに切り裂いていく。
第一列が崩れる。
恐怖は敵の第二列にも伝染していた。
逃げる味方が自分の腹からこぼれたハラワタに足を取られて転ぶ様を見れば無理もなかった。
逃げてくる第一列の兵は第二列の隊形を乱した。
士官が怒鳴り、ときには剣で切りつけてまでして隊形を維持しようとする。
だが、第二列の歩兵は第一列を襲った血飛沫と阿鼻叫喚を前に、自分たちもあれと戦うのだと、恐れ戦く。
だが、兵の数では帝国が上だ。
事実、氏族のものたちは敵が自分たちの三倍の数であることを嘆いた。
「なんだと? 敵は三千しかいねえのか?」
「それじゃ、一人につき三人しかぶち殺せねえじゃねえか!」
こうである。
そろいの軍服と筒型軍帽、それに飾り帯に洒落た細身の剣を差す帝国兵から見れば、返り血と戦場の泥こそ最上の装束とする氏族兵は野蛮なケダモノそのものだった。
そのケダモノたちのなかでも最も凶暴なマグナスが浮足立った第二列の敵歩兵隊に突っ込むと、まるで合図の鏑矢のように首が一つ、兜と一緒に宙へと飛んだ。
白兵戦は帝国軍の最後の第三列までが隊形を整えぬまま突撃し、完全な乱戦と化す。
白刃が乱れ飛び、骸が折り重なる。
流れた血でカーソン・ムーアのヒースの野が赤い泥濘と化すなか、マグナスは味方から離れた場所で一人剣をふるっていた。
突出しすぎたのだ。
老戦士は諸肌脱ぎの体を返り血と自分の血でどす黒く染め上げながら、暴風のように剣をふるう。
槍が踏み折られ、拳が顔をへこませ、士官が軍馬ごと叩き斬られる。
だが、斧槍でつくる包囲の輪は犠牲者を出しながらも確実に狭まっている。
兵士の一人が大剣で貫かれたが、返り血でぬるぬるした柄はマグナスの手からすっぽ抜けた。
予備の剣を片手で抜き放つ。
予備とは言っても、普通の人間からしてみたら、十分すぎる刃渡りだ。
瞬間、背中からぶつかられ、マグナスはかかとを地面にめりこませて、コマのようにまわって斬り払いをかける。
ぶつかってきた相手がハーラル・トスティグと知れて、剣がギリギリで引っ込んだ。
「突っ込み過ぎたか、馬鹿め」
「そっちも同じだろうが、クソジジイ」
憎まれ口を叩きながら、背中合わせに敵と対峙する。
ハーラルはオレンジの飾り帯を巻き、そこに二挺のホイールロック・ピストルを差していた。
銃、か。
使ってみれば、存外悪くない。
大きな音と火花が派手で魔法使いにでもなったような気になれるし、威力もいい。
敵がひるんで隊列を崩しやすくなる。
ピストルにしても武骨なやつを一つ、持ち歩くのも悪くない。
もっとも生きて帰れたらの話だ。
ハーラルがかかとでマグナスのかかとを小突く。
何も言わずにピストルを一丁差し出してきた。
マグナスも黙って受け取る。
火力で対等になるや否や、二人は別方向へと突進する。
背中合わせになって死角を殺し、かかってきた敵へ確実な反撃を行なって敵の疲弊や包囲にスキが生じるのを待つのは少数で大勢を相手にするときの常套手段だ。
だが、ケーレホン高地の氏族たちの戦法は少し違う。
大勢に囲まれたら、彼らはがむしゃらに突撃する。
待ちの剣や反撃頼みの陣形は低地に住む連中が使えばいいのだ。
マグナスもハーラルも不倶戴天の敵ではあったが、その考え方は変わらない。
(だが、これは無茶が過ぎたかもしれん)
敵が湧き水みたいに次から次へと現れるのを見て、老戦士は思う。
一人を叩き斬るあいだに三人の敵兵がどこからともなく剣を連ねてかかってくる。
ハーラル・トスティグも重装備の騎士を三人相手に死に物狂いの戦いを繰り広げていた。
すでにピストルは使ってしまい、剣と銃身を握ったピストルで敵とにらみ合い、殴りつけ、斬りつける。
膝を斬られて倒れていた帝国兵がハーラルの足にしがみつくと、さしもの強者も動きが止まった。
咄嗟に帝国兵の背を数度、剣を突き刺したが、足を放そうとしない。
騎士の一人がハーラルの背後から切っ先を伸ばして突進する。
マグナスはその騎士を撃った。
甲冑の背面に裂け目ができて、金物屋台をひっくり返したような大きな音を立てて、地面に転がった。
マグナスは凄まじい罵り言葉を叫びながら、金属の塊と化した騎士へ突っ込み、肩からぶつかって相手を倒すと、その頭蓋を兜ごと踏みつぶす。
最後の騎士はハーラルの重い斬撃を二度、兜に受けて、昏倒した。
そこで体力の限界が来た。
マグナスはハーラルを見て、にやりと笑った。
ハーラルもその笑みの理由を察して、同じように笑い返した。
二人ともここで死ぬが、最後に本物の戦士として戦場で死ぬのだ。
それは生煮えの肉を喉に詰まらせたり、病に倒れ骨と皮だけになって毛布のなかで震えながら死ぬことよりもずっと幸運な死に方だ。
帝国の槍兵が肩が触れ合うほど密集して、二人を囲んでいる。
「かかれぇ!」
槍兵長が叫ぶ。
だが、その声は二十の騎兵の蹄音に踏みつぶされた。
馬蹄にかけられたのは号令だけではない。
数名の槍兵とともに槍兵長その人も蹄の下で胸を踏み折られ絶息していた。
蹄から逃れた兵士もいるが、その幸運は続かず、騎馬武者たちの剣が待っている。
帝国兵が騎兵たちに蹴散らされると、その後を追うようにして泥と血で汚れた氏族歩兵たちが興奮し雄叫びを上げながら走りすぎていく。
命拾いした二人の氏族長が見たのは、全ての氏族の始祖である偉大な戦士ロイ、――いや、全軍の先頭を馬で駆け、血塗れの剣をかざして密集した敵兵へ突撃するユリウス王子の姿だった。




