第三十六話 クーデレ、シーズン2のエピソード9。
来栖ミツルは悪としての魅力をそのままに飼い殺しになりたくなるほどかわいくなっていた。
「タスケテー!」
カウンターの上からぶら下がっているロープに鳥籠をひっかけ、じっくりと眺める。
ベストにネクタイ姿で妖精の透明な羽と一緒に体がぷるぷる震えている。頭身にして四頭身。涙目である。
まだ明るいがサルベージ事務所は閉めている。だいだい、こんな愛しい生き物がいるのに仕事するなど馬鹿げている。
この考えに自分を落とし込む時点で来栖ミツルは駄目ヨシュア製造機である。
「そんな目で見るな。飼い殺したくなる」
「見ません! 見ませんから、ここから出してー!」
「ダメだ。お前はここでおれと暮らす。永遠に。ずっと」
「ヒェーッ!」
「誰にも邪魔はさせない」
と、言っているそばから、誰かがドアにはまったガラスを叩く。
「今日は閉店だ」
トントントントン。
いったいだれだ? と、不機嫌な視線を上げると、シスター・ミミちゃんが満面の笑みで立っている。
「どうも。愛に生きる魔法生物ミミちゃんです」
「なんの用だ?」
「まずはこのドアを開けてくださいませんか? そんな奥にいたらきこえないでしょ?」
「そこからでもきこえる。要件を言え」
「教会でビンゴ大会を開催するので、そのチラシを持ってきました。渡しますから開けてください」
「チラシならドアの隙間に突っ込んでおけばいい」
「いえいえ、ぜひとも手渡しで」
「結構だ」
「そんな。開けてくださいよ。決して小さくなった来栖ミツルを強奪してヴォンモちゅあんに貢いで、引き換えにぺろぺろしようなんてこれっぽっちも考えてないですから」
ヨシュアはため息をついて立ち上がり、ドアノブに手を伸ばす――。
「そうそう。はやく開けて――」
しゃーっ!
開けると見せかけて、ガラスドアの上のモスグリーンのスクリーンを一気に引き下ろして、ミミちゃんの姿をシャットアウトする。
「ちょっとー! いじわるしないで開けてくださいよ!」
「ヴォンモの心をつかみたいなら、直接その思いをぶつけろ。まわり道するな」
それからたっぷり五分間、ガラスドアをトントン叩きまくる音がしたが、やがてあきらめたのか、音も止み、生活音――トラックの走る音、ポップコーン売りの呼び声、つけっぱなしのラジオから流れる『エブリバディ・ラブズ・マイ・ベイビー』にとってかわられた。
「邪魔が入ったな」
「話し合いましょ? ね?」
「ダメだな。体が熱っぽくてどうにかなりそうだ」
「いやだなあ! いつものクールなヨシュアさんはどこに行ったんですか? って、え、なんで籠のなかに手を突っ込んでくるんですか? ぎゃあ、やめてー! つかまえないでー!」
トントントントントン!
「ヨシュア、お客さん!」
「どうせ自販機だ」
トントントントントン!
チッ、と舌打ちし、籠の扉を閉めて、ホッとしている来栖ミツルを残してドアのほうへ。
スクリーンからぶら下がる丸い輪っかをちょっと下に引っぱって、留め具を外し、一気に巻き上げる。
ハンチングをかぶったくわえ煙草の男――右腕にかぶせたコートが滑り落ちる――二連式ショットガン。
手練れの暗殺者だけのことあって、ヨシュアの頭のなかでコンマ〇〇〇一秒で修羅場における優先行動順位が組み立てられたが、それは【来栖ミツルの安全】>【相手の殺害】>【自己の安全】だった。
来栖ミツルが流れ弾に当たったりしないよう、ナイフを放ち、鳥籠を吊るしていたロープを切る。
来栖ミツルは鳥籠ごと落ちながら、「あー! このシチュ、ボードウォーク・エンパイアのシーズン2、エピソード9でマニー・ホロヴィッツが自分の肉屋でワクシー・ゴードンの手下に襲われるシーンに似てるーっ!」と相変わらず【マフィアなシチュエーション】>【他の全て】なことを言っている。
一方、そのころヨシュアの体は【相手の殺害】のために動いている。
ドアのガラスを手刀で突き、ガラス片を挟んだヨシュアの指が、そのまま相手の右目にガラスをねじ込む。
悲鳴と轟音。ガラスが全て吹き飛ぶ。
脚に刺すような痛みが走ったが、ヨシュアはショットガンの銃身をねじりあげ、その銃口は無精ヒゲの散った男の顎にぴたりと当たった……。
ヨシュアが顎と顔が吹き飛んだ男の体をまさぐって、財布や煙草の箱をポイポイ外に放り出す。
誰の差し金か調べる【自己の安全】モードだ。
すると、指先が内ポケットのなかで小さな角にぶつかり、カチャンと鳴る。
薄いマッチ箱だ。イタリア国旗の三色で『ヌオラ・ヴィッラ・タマーロ』とある。
横にしてみると、やはり赤白緑で『ニュー・ヨーク・シティ』。
「わあ、そうやって死んだ相手のものを漁って誰の差し金か調べるシーンがますますボードウォーク・エンパイアのシーズン2、エピソード9っぽい! ヨシュア、ひょっとしてボードウォーク・エンパイア見てた?」
「それより、これを見てくれ」
鳥籠のなかにマッチ箱を入れる。
いまの来栖ミツルにとって、無料配布の薄いマッチ箱はパレットぐらいの大きさがある。
「ふむふむ。あー、これは――」
「ヌオラ・ヴィッラ・タマーロはジョー・マッセリアのお気に入りのレストランで、最期の場所だ」
「おおー。よく覚えてたね」
「好きな人と話したことを忘れたりしない」
「また、そんなこと言って。でも、まあ、そのショットガン・マンがマッセリアの殺し屋なら、いろいろパズルのピースがはまってく。オークションでおれが勝手に売り物にされて、しかも、ちょうどタイミングよくヨシュアが来た。ヨシュアはオークションのことは何で知った?」
「ドアにチラシが挟まっていた」
ヨシュアは椅子に座ると、アルコールランプを引っぱり出し、ズボンの右を裂いた。
蒼白い肌に食い込んだ散弾は二発、それを火であぶったナイフの先でほじくりだすが、眉が寄ったり、汗が垂れたりすることもなく、淡々と弾を摘出していく。
「いま、ホテル・トキマーロはマッセリアと抗争突入寸前。本格的な戦いが始まる前に、トキマルからおれを引っぺがして戦力の弱体化を狙ったんだろうな。ラッキー・ルチアーノを主役にしたギャング映画ではたいていマッセリアはルチアーノの口車にのせられる馬鹿なデブに描かれるけど、実物はすごく狡猾で考え方が新しい。古い世代のマフィアの代表みたいに言われるけど、まだニューヨークのマフィアたちがパレルモ派閥、コルレオーネ派閥とシチリア島の出身地でまとまっていたとき、すでにユダヤ人と仕事をしたのがマッセリアだ。そして、マッセリアをそういう切れる男に描いたのが――」
――最後の弾を取り出して、金属の皿に放り込みながらヨシュアがこたえる。
「ボードウォーク・エンパイア」
「よくできました」




