第二十五話 忍者、赤毛の殺し屋。
「タレのにおいが染みついてとれない~」
お湯を張った琺瑯びきの洗面器のなかで、素っ裸になった来栖ミツルはちぎったスポンジでシャボンの泡をこすりつけている。
ホテル・トキマーロに戻ってみると、マフィアたちは全員いた。
イヴェスのことを話すと、複雑な顔をされた。賄賂が通じず、秩序に対する独特の考え方を持つ強敵は、ときに敵、ときに味方としてゲームに登場するNPCそのものだ。この手のNPCはだいたいミステリアスなイケメンで主人公たちを助けることがあれば、逆に主人公たちの前に立ちはだかることもある。この手のキャラがプレイ可能なキャラクターになるには四作先くらいまでいかないといけない。
つまり『カポカピ!4』でイヴェスがプレイできるわけだ。
「別にイヴェスなんて使いたくないんだけど。てゆーか、それやったら間違いなくギデオンがついてくるし。いっそギデオンがラスボスになればいいんじゃない? あいつを倒すためなら、殺る気も出る」
「大丈夫ですよ、トキマル。カポカピ!が第4作まで出る可能性は、この〈左将軍のチキン〉のこってりしたにおいがきれいさっぱり全部取れる確率よりも低いんですから!」
「そのことなら悪かったって。だから、レモン石鹸買ってきたでしょ?」
「ええ。そうですね。そのおかげで現在のわたしのにおいは〈レモンを絞った左将軍のチキン〉なんですから」
「じゃあ、高級石鹸買ってくるよ」
「あんまり石鹸には詳しくないですけど、まあ、一番高いやつを頼みます」
「それより頭領。新しいメインクエストは?」
「ふん。まだ来ていませんね。そのかわりに暗殺ミッションが出てます。めぼしい殺し屋を四人選んでください」
「じゃあ、そいつらに石鹸を買わせに行かせよう」
「そういうところですよ、トキマル。ほんと、そういうとこ」
――†――†――†――
シャピロ兄弟は上から順にアーヴィング、メイヤー、ウィリアムの三人兄弟でアーヴィングがリーダー、力仕事がメイヤー、ウィリアムはオマケの存在だった。
1920年代後半、ブルックリンのブラウンズヴィルという地区の賭博と強請を牛耳っていて、特にスロットマシンが大きな収入源になっていた。
シャピロ兄弟は新しくのし上がってきた〈ブラウンズヴィル・ボーイズ〉という新興勢力と抗争を繰り広げ、特にスロットマシンの置ける場所ではどこでもシャピロ派と〈ブラウンズヴィル・ボーイズ〉がドンパチをした。
最終的にシャピロ兄弟は殺されて、縄張りは〈ブラウンズヴィル・ボーイズ〉のものになる。
この〈ブラウンズヴィル・ボーイズ〉の主要メンバーがのちの殺人会社の中心人物となるのだ。
ところで、同じ時代にニューヨークに縄張りを持っていたガリアーノやピサノ、スカリーチェらに言わせれば、シャピロ兄弟は小物だった。
マフィアというよりは不良少年の集団に毛が生えた程度で実際、シャピロ兄弟のうちアーヴィングは二十六歳で、メイヤーは二十二歳で、ウィリアムは二十三歳で死んでいる。ウィリアムが死んだのは上の兄弟ふたりが死んでから三年後の出来事なので抗争時、ウィリアムはぎりぎり二十歳だった。
その低レベルなチンピラ軍団がトキマルが警察署に連れていかれたあいだにホテル・トキマーロの縄張りを乗っ取ったということだった。
「で、この有様」
つい先ほど、シャピロ兄弟が乗った車が通りがかり、ホテル・トキマーロに爆弾を放り込んだ。
爆薬をケチったのか、そう大きな爆発はしなかったが、一階の窓が全部割れ、ラウンジのテーブルふたつが薪になった。
「ウウム、ぼす殿。ひとつお願いがあるのだが」
「なに?」
「この始末、殺人会社に任せてはもらえぬだろうか?」
チャールズ・ワークマンの申し出にカルボもうなずく。
「そうだね。これ、言ってみれば、身内の不始末みたいなもんだし。それになによりスリリングだ」
トキマルとしても別に禁止する理由はない。
しかし、この暗殺ミッションは四人参加である。
殺人会社はまだ三人しかいない。
「これからふたり釈放させるから、それに殺人会社がいたら、四人で殺してもいいよ」
「さすが、ぼす殿。かたじけない」
いつものように電話をつなぐ。
「こちら、アレンカのお悩み相談室なのです」
「なにやってんの?」
「その声はトキマルなのです。アレンカはお悩み相談をしてあげることにしたのです。行く末はスカウトされて、歌って踊って暗殺ができるアイドルになるのです」
「なに血迷ったこと言ってるんだよ」
「こないだ、そういう電話がかかってきたのです。アレンカは罪な美少女なのです」
「罪って言っても、所詮は軽犯罪でしょ?」
「むーっ、もしアレンカが有名になっても、トキマルにはサインはあげないのです」
「そんなことより、釈放。200ドルずつでふたり」
ラサールの1934年型がやってきて、マフィアを下ろす。
ひとりは初期マフィアのひとりで天使のごとき外貌を持つ平和主義者のアンジェロ・ブルーノ。
そして、もうひとりは――、
「ククク、僕はエマニュエル・〈メンディ〉・ワイス。所属は――」
「いや、あんた、クレオでしょ?」
ぶわりと膨らむ気球のようにぶつかってくる殺気、血のように赤い髪と蝋燭のように白い肌、黒いスリーピース・スーツに黒い手袋、華奢すぎて子どもっぽく見えることもある体。
だが、一番の特徴はくまに縁取られ不気味に光る大きな目。
「さあね。クレオ・クレドリスなんて男は僕は知らないね」
「おれ、名字言ってない」
「そうだったかな?」
そのとき、クレオことメンディ・ワイスのポケットからなにか落ちた。
拾ってみると、魔族御用達の激ヤバレストラン〈大当たり亭〉のポイントカード。
一度の食事でスタンプがひとつ押され、三十集まれば、メニューを一品タダでプレゼント!なのだが、もうスタンプは十七か所おされている。
……やっぱりクレオじゃん。
トキマルは来栖ミツルの羽根をつまんだ。
「ちょっと頭領、どうなってるの?」
「どうって? 彼はエマニュエル・〈メンディ〉・ワイスですよ。ねえ、みなさん」
殺人会社の面々も、
「そうだな、体細すぎる気がするけど久しぶりだな。エマニュエル・〈メンディ〉・ワイス」
「ウム、こんな真っ赤な髪ではなかったが気がするが久しいな、エマニュエル・〈メンディ〉・ワイス」
「ドジャーズが好きなら、誰でもいいや」
納得いかないが、自分が間違っていることになっているらしい――ホントに納得いかないが。
「トキマルくんはなかなか納得してくれないねえ。ククク」
「納得したら最後だからな。あんたからはトラブルのにおいがするんだよ」
「なら、これを見てくれないかな? そうすればきっときみも僕がエマニュエル・〈メンディ〉・ワイスだって納得できると思うよ。クク」
と言って、取り出してきたのはクレオの顔写真付きのエマニュエル・〈メンディ〉・ワイス証明書。
ああ。そういうことか――エルネストもこの世界のどこかにいる。




