第五十七話 ラケッティア、ビリー・シェイクスピア。
「わたくしどもの依頼人はゴブリン為替を銀取引所の扱い商品にした際の可能性について、非常に関心をもっておられます。レンベルフ公国のゴブリン族の長ゼメラヒルダさまはご存じですよね? 彼女もあなたの助力があれば、それは可能だと思っています。依頼人の金融ネットワークが持つ最大の利点は魔物であるゆえに魔物に襲われる危険がないということです。古来、トロルがコボルトを食べたという話はききませんからな」
こざっぱりとした身なりの法律家は双子に見えた。
だが、本当は双子ではない偽双子であり、そして、史上初のゴブリンを顧客にした法律家でもあった。
〈ラ・シウダデーリャ〉は三月半ばの泡のように柔らかな日差しをかぶっている。
こんな日は誰だってまろやかな気持ちになれる。
だから、おれもまろやかになったに違いない、なにかお願いするなら今だと思った連中がクルス・ファミリーに助けを求めて、長蛇の列をつくる。
「でも、ゴブリン為替は魔物に襲われないが自称勇者に襲われる。あいつら、ゴブリンを見たら、貯金箱を割るみたいにゴブリンの頭を割る」
「そこでクルスさまのご助力がほしいわけです」
「自称勇者のゴブリン狩りをやめさせることはできる。ただ、銀取引所でゴブリン為替を扱わせるには帳簿の提出が求められる。とはいっても、真面目な帳簿を提出してるやつはほとんどいない」
「わたくしどもの依頼人は真面目な帳簿を提出する準備があります。そして、真面目な商売人として、銀取引所の取引人資格もいずれは取得する予定です」
「ゴブリンが銀取引所に事務所を持つことには必ず不満をもらすやつがいる。たぶん、何人か腕を折ってやらないといけなくなるし、最悪――」
エセ双子、慌てて手を横にふる。
「そこから先は申し上げなくても結構でございます。わたくしどもも法律家ですので、知らないほうがよいこともございます」
そこで握手。
法律家たちは優雅な羽根帽子をかぶり、挨拶して、一歩進んで、また別れの挨拶とずいぶん細々した辞去をした。
しかし、来客は止まらない。
繁盛しているペット病院みたいに、廊下には相談事を持ってくる連中がずらりと控えているのだ。
――†――†――†――
「今度の護岸工事はどうしても取りたいので市の土木長官に口をきいてくれませんか?」
「オルギン商会の組員とトラブってて助けがほしいんです」
「もう二年も仕事がないんです。誰か殺したい人いませんか?」
「ギルドの代表選挙がありまして」
「店の営業免許が」
「金!」
――†――†――†――
「も~、くたくただよ~」
骨抜きこんにゃく人間のごとく机に突っ伏す。
世のなかにはマフィアのボスにお願いごとするやつがなんと多いことか。
トン! トン! と、ノック。
「入ってマース!」
「司令。わたしです。戦闘糧食の補給に来ました」
「レーション? でろっとしたオートミールとぱさぱさのビスケットのやつ」
「玉子焼きです。グラマンザ橋で購入しました」
速攻でドアを開ける。
フレイは玉子焼きを奉勅命令みたいに仰々しく捧げ持ち、そろそろと部屋に入る。
玉子焼きはヒノキの台に寿司みたいに乗っていて、ひと口大に切り分けられている。
そのなかからは固ゆでと半熟の境目の、形は保ちつつトロッとした絶妙な焼き加減の玉子。
「……お箸ある?」
「こちらに」
と、亜空間リソースを割いて、箸が出てくる。
二本の棒つくるのに亜空間開く必要があるのかという些末な問題は置いて、ぱくりとひと口。
「んまい! グラマンザ橋の和風商店街に投資してよかった!」
「兵站モードから探索モードへ移行開始……7%……33%……60%……86%……100%。移行完了。アーカイブ・ステータス:グリーン」
「そのこころは?」
「わたしにもひとつください」
ふたりしてほっぺた落っこちないよう両手で支える。
「報告事項検索。ヒット一件。『免罪符』」
「ああ、あれ。どうなった?」
あの免罪符はハンギング・ガーデンの一階フロアに設けたガラスケースのなかに飾ってある。
『世界一豪華な免罪符』は拝むとツキがよくなるとかで、現在は偶像崇拝の対象だ。
「そういうことなら、そのまま飾ってカジノの名物にしようか」
「報告事項新規:免罪符の非正貨化と現状維持。情報共有対象:もふもふ」
「そのこころは?」
「もふもふたちに鋳つぶして換金しないよう伝達します。生体スキャン開始。対象:司令。健康状態:グリーン。栄養状態:グリーン。午後からの業務に対する耐久力は確保されたと判断」
「そのこころは?」
「働いてください」
「いえっさー」
――†――†――†――
陽光が差し込む窓がいつの間にか変わって、三月ではまだ早い燃えるような夕暮れで漆喰壁が燃え上がらせる。
市場を閉める時間だ。
〈ラ・シウダデーリャ〉において夜まで店を開けないといけないような余裕のない商売はない。
金持ちは悪さして金持ちになっているわけで、みんな盗品売買や禁制違反など大なり小なり法を犯してるのだから、大なり小なり金持ちなのだ。
「さて、おれも帰るかなぁ」
コーデリアがドアを蹴破ったのはそんな黄昏時だった。
「ねえ、きいてよ!」
「ききまへん」
「ウィリアムが傑作を書いたの!」
「またぁ」
「題名は『イレズミコンニャクアジ』!」
「え? アジ? 魚? いや、それよりそんな魚、本当にいるの?」
「だから、題名はメタファーなんだって! ほら、ルフェイルから帰るときに言ってたでしょ? ウィリアムって名前の偉大な作家がいたって」
ウィリアム・シェイクスピア。
帰りの駅馬車のなかで、話すネタがガスのたまった沼地の上の島みたいにあちこち彷徨ってて、どういうわけだか、シェイクスピアの話になった。
ウィリアムとコーデリアは異なる世界線のカリスマ大作家のことをきくと、なぜか自分たちと重ねて、できもしない目標をつくり、そこへ到達するまでの不足のためにひどい幻滅を味わう茨の道を自分から歩いていったのだ。
ちなみにシェイクスピアは恐妻家だったらしいが、そのことは教えていない。
あのカードの返却はウィリアムがカラヴァルヴァに無事についたらという条件だった。
変な入れ知恵でコーデリアの機嫌を損ねても面白くない。
「ほら、そこの帳簿、貸しなさいよ」
「なんで?」
「ウィリアムのサインもらってきてあげる」
「冗談じゃないよ。これ、ナンバーズの親帳簿よ。なんで、そんな落書きされなきゃいかんのだ」
「いいから貸しなさいよ! 未来の大作家のサインをもらえるチャンスをあげるって言ってんだから!」
「あーっ、こら! 帳簿持ってくな! 返せ! 誰かーっ! おまわりさーん!」
ルフェイル王国 セービング・プライベート・ウィリアム編〈了〉




