第五十一話 ラケッティア、血に酔う。
ロンキエール砦最大の特徴は軍医が物凄く厚遇されているところだ。
軍医専用の居住部屋、診療室、外科処置室、薬剤保管庫、助手たちの部屋、そして、軍医専用の屋内庭園。
そんなもんまで必要かって気がするが、実際に戦場にて大怪我して転がされれば、もっともっと軍医を厚遇すべきだと考えるものなのかもしれない。
軍医専用の庭園は屋内にあっても植物が繁茂できるよう、大きなガラス窓が周囲を覆っていて、天井がガラスのドームになっている。
日光は降り注ぎ、三月でも温かい。
咲き誇る春の花の上に蝶の群れがひらひらと光と花の香に戯れている。
伝説の薬草師マラスザイの彫像が捧げ持つ〈癒しの壺〉から湧き水が流れ落ち、小さな緋鯉や銀色の鮒が苔むした石の上を泳いでいた。
これを軍医ひとりのために捧げようとしたというのだから、古の騎馬民族相手の戦いが実に大変であり、癒し手への期待も相当高かったのだろう。
で、現在、そんな夢みたいな庭園にめった裂きにされた死体がパーティーが終わった後の紙テープみたいに散乱していて、その真ん中にいるヴォンモがとてもいい笑顔で、
「あ、マスター。見てください。おれ、こんなにたくさん殺しました♪」
と、両腕をいっぱいひろげて、子どもっぽく、ぐるっとまわる。
ヴォンモの両手にあるのはカランビット・ナイフ。
このナイフは刀身が刃のほうに曲がって弧を描いて鉤爪みたいになっている――つまり、人を切り裂くことを専門としたヤベエ刃物なのだが、ヴォンモがそれの使い方を熟知していることはまわりに転がる暗殺者の肝膾が証明済みだ。
ワインレッドのアサシンウェアの上に全身返り血を浴びて、それがまた赤という色を引き立て、赤という色はうっとりと潤むヴォンモの大きな瞳を引き立てる。
よくできた死のピタゴラスイッチである。
「もっともっと、たくさん、殺します。だから……楽しみにしててくださいね」
おう、頑張ってな、としか言えなかったが、その瞬間、窓が蹴破られ、暗殺者たちが十人以上、飛び込んだ。
ひとりは着地場所をヴォンモの上と定め、長めの剣で地面に串刺しにしようとしたようだが、むしろヴォンモのほうから飛びあがり、繰り出される斬撃が一二三四五六七の末広がりで縁起のいい八連撃で相手はバラバラにこそならなかったが、その一歩手前でつながっているべき腱が全て切れたのか、地面に落ちたときは糸を切った操り人形みたいに、グシャッと、デタラメな着地をした。
それだけでもプロの暗殺者たちをひるませたが、そこに
「ククク、お前たちが悪いんだ。のこのこ殺されに来るから――」
と、ヴォンモの影から大きな魔獣の腕が伸び始めたので、巻き込まれる前に退散した。
軍医の庭から退場するなり、おれはジャックを探した。
「ジャック、ジャック! 大至急ききたいことがある!」
「その話、いまじゃなければダメか!?」
と、いうのもジャックはトラばさみだらけのホールをまたぐ回廊で三人の暗殺者を相手に刃を交えていた。
「できれば、今のほうがいいんだけど」
「分かった、話してくれ」
と、言ったそばで敵の突きを籠手うちに返して、そのまま相手にお見舞いする。
自分の突きで血の道を断たれて、よろめいたところでジャックに、払い、袈裟斬り、払いで胸をZ字に切り裂かれ、絶命する。
「ヴォンモが人殺しを面白がってるみたいなんだけど」
ガキッ、と音がして、ジャックはそれぞれ左右の手に持った短剣で残りふたりと鍔迫り合いをしながら、
「血に酔ったな」
ン、とジャックが唸ると、含み針が暗殺者の顔の、唯一むき出しの両眼にそれぞれ放たれて、のけぞった。
左右の短剣が一閃して、指が落ちて、次の一閃で肩口から血が真上に噴き出て、振り下ろすような最後の一撃が頭蓋を真上から襲った。
「血に酔ったってのは?」
一拍遅れて、バタバタと暗殺者が倒れる。
ジャックは短剣の血を死体の服で拭いながら、
「人を殺すとだいたいふたつの反応があらわれる。ひとつは拒絶。これはほとんどの人間にありがちな感情だ。そして、快楽。これは一般的には少ないが、暗殺者にはありがちだ。ヴォンモの場合、優秀な師匠から暗殺術の精髄を叩き込まれ、あれだけ腕がありながら、まだそれほど殺していないなら血に酔うのは発生しうることだ」
「ジャックも血に酔ったことあんの?」
「おれの場合は――」
黒い影が死角と踏んだジャックの頭上から襲いかかる。
それにスローイング・ダガーを一本放つと、ギェッと断末魔の叫びが上がり、眉間に刃を突き立てられた暗殺者はそのままホールへ落ちて、トラばさみでバツン!
「――おれの場合は拒絶だった。それでも続けなければならなかったが、いずれは壊れただろうな」
「じゃあ、拒絶よりは快楽のほうがマシってこと?」
「いや、程度に依る。一度、仲間を処分したことがあるが、そいつは快楽が行き過ぎて、自分で殺人を制御できなくなった」
「放っておいて大丈夫かな?」
「こればかりはケースごとに違うから、なんとも言えないな。ただ、あの殺しぶりを見ていると、おれは、まあ、楽はできそうだ」
そのとき、なんだか体のなかで生まれてこのかたずっと時計回りにまわっていたものが急に反時計回りに変わったような、いやあな感じを受けた。つまり、これは――、
「瘴気か」
と、ジャックも息苦しそうにハイネックの襟に指を突っ込み、喉にぴったりくっついた布を放す。
それでも息苦しさが無くならないのが瘴気の瘴気たる由縁だ。
「あーらら、ヴォンモのやつ、闇魔法使ったらしいな。あれの瘴気は半端じゃないから。以前、ヴォンモが闇魔法で殺したやつの死体はちりとりで集めないといけないような状態になって、しかもそれが強い瘴気に毒されて、もーホント、どうしようもなかったそうだ。それを片づけるのに時給金貨三枚で人を雇おうとしたが、それでもやりたがるやつは誰もいなくて、殺されたやつの身内で片づけたが、その作業に当たった五人のうち三人が体を壊した。なんとか墓に埋めたが、そうしたら両隣の墓からスケルトンが地面を破って這い出てきて、『冗談じゃねえ! こんなやつの隣で安らかに眠れるか!』って文句をつけたそうだ。まじサタンな話だろ?」
「正直、ヴォンモがここまで才能があるとはおれも思わなかった」
「もとはと言えば、南の島のサトウキビ農園でいじめられながら生きてきた幼女がここまで育ったのだから、まあ、ボスとしては感無量ではあるんだけど」
「様子を見てみようか?」
「一緒に来てくれるのはありがたいけど、ここを放っておいて、大丈夫か?」
「これだけ殺せば、相手も搦め手で別の攻め方を探す。それにここを素通りしても、ヴォンモのもたらす瘴気を感じれば、侵入もそれだけ慎重になる」
――†――†――†――
闇魔法で殺っつけられた死体はホントぐちゃぐちゃのひどいものになる。
1961年、自動車のトランクから見つかったウィリアム・〈アクション〉・ジャクソンの死体みたいだといえば、よい子のパンダのみんなはピンと来るかもしれない。
このアクション・ジャクソンはシカゴ闇金業界が生み出した鬼畜のなかの鬼畜マッド・サム・デステファノに仕える取り立て屋だったのだが、あるときシカゴ・マフィアたちにFBIにタレ込んだと疑われてしまった。
すると、マフィアの面々は『やつに直接きいてみよう』ということになり、〈アクション〉は前述のマッド・サムやウィリアム・〈ウィリー・ポテトズ〉・ダッダーノといった拷問サイコのドリームチームにとっつかまり、精肉工場で三日間いたぶられた末に撃ち殺された。
ちなみに肉吊り鉤に吊るし、アイスピックとガスバーナーと野球のバットで思う存分いたぶった末にマフィアたちが出した結論はシロだったそうだ。
紫に変色したアクション・ジャクソンが車のトランクのなかに入っているのを写したカラー写真を思い出しながら、グロいものへの耐性を強めながら、思い切って屋内庭園への扉を開けた。
……。
ダメだ、こっちのがグロい。
牙が生え、目が五つある化け物みたいなカラスが何百羽と暗殺者たちに群がってついばみ、ついばみ、ついばみ、瞬きしているあいだに皮が剥がれ、肉が消え、臓物が食い尽くされ、骨だけになってグシャリと崩れる。
「ごめん。無理。吐いてくる」
「待ってくれ、オーナー。おれも行く」
ふたりして、こみ上げる朝飯をゲーゲー吐き戻す。
普段なら花壇に栄養を与えたとうそぶくところだが、もうすでにこの植物園は十分すぎるほどの栄養をもらっている。
あんなグロい死に方しても、いずれは骨も崩れて消えてなくなり、死体から得たミネラルと窒素のおかげで小さなかわいいお花が一本咲きましたとさ、というのが食物連鎖のサクセスストーリーだが、瘴気を帯びた死体はもうそれだけで土壌をダメにするだろうから、勝ち目は薄い。
「つーか、ジャックも吐くほどひどい?」
「ひどい」
カラスたちは獲物を食い殺すと、もといた場所――ヴォンモの影のなかに磁石でかき集められるように帰っていった。
「わあ! マスター! おれの新しい技、見にきてくれたんですね!」
「え? あ、ああ! そうそう、なんだかヴォンモの新技が見てみたいなあって気になっちゃってさ。なあ!」
「そうなのか?」
「おれの新しい技、どうでしたか?」
「うん、ゲロ吐くほど凄かった」
「え?」
「いや、そうじゃなくて、そう、情け容赦のなさがいい! 四人の教育の賜物だけど、それ以上にヴォンモの才能が物を言ったって感じだ」
「えへへ。ありがとうございます。ジャックさんはどうでした?」
「そうだな――殺傷力の面では問題ないが、暗殺術としては改善の余地がある。ああやって全部骨になったら、標的を殺害したという証明がなくなる。せめて、顔だけは食わせないようにしたほうがいい」
「そっか。すごく参考になりました。ありがとうございます!」
いつものヴォンモの素直な笑顔だけど、全身に返り血を浴びてると鬼気迫るものになる。
おれはジャックを横に引っぱった。
「どう見ても、快楽型だよな?」
「そのようだ」
「どうしよう? このままじゃヴォンモがマッド・サム・デステファノになっちゃう!」
「よく分からないが、あまりいいことではなさそうだな。どうする、オーナー?」
「風呂だな」
「風呂?」
「この砦の地下に軍医用の風呂がある。頭のてっぺんからつま先まで返り血まみれの状態でいるよりはマシだろ。それに血に酔うっていうくらいだから、血を洗い落としたら、多少は改善されるんじゃないか?」
「だが、敵はこっちを攻め続けるぞ」
「正直、敵に殺られるより、ヴォンモが戻れないところまで行っちゃうかもしれないほうがクルス・ファミリーにとっては大問題だよ。それに今は第一波を撃退したばかりだから、相手も攻撃部隊の編制に時間がかかる」
ヴォンモに、お風呂入っておいで、と言うと、
「え? でも、いいんですか?」
「いい。いい。入っといで」
「じゃあ、お言葉に甘えますね。実はさっきから返り血がべったりとして気持ち悪くて、きれいに洗いたいなって思ってたんです」
「べったりとして気持ち悪い……えーと、ヴォンモさん。人を殺すと楽しいですか?」
「はい! マスターに弓をひく敵をひとり屠るごとにとても気分が良くなるんです。おれ、がんばって皆殺しにしますね。じゃ、お風呂いただきます。ジャックさんもありがとうございました」




