第五十話 ファミリー、非戦闘メンバーの分も頑張る。
砦を囲う街の喧騒が止んだ。
「そろそろか」
ジャックは窓のそばの壁に背をつけて、外を伺った。
異端審問官ワルドーがいれば、砦から出て狙ってみるのもいいと思ったが、砦の前の下町はしんと静まり返り、野良犬一匹だってうろついていない。
「いや――」
手練れの指がさっと閃き、スローイング・ダガーが梁の上の暗がりへ飛び込む。
「もう入られたか」
黒衣に身をやつした暗殺者が血の噴き出す顔を押さえながら、床に仕掛けたトラばさみに頭から落ちた。
すぐに四方からダガーが飛んできたが、それを最小限の動作で紙一重にかわす。
そのとき、ジャックの影がむくりと起き上がり、二本の短剣がジャックの背をⅩ字に切り裂いた。
だが、肉と骨を断った手ごたえを残したまま、死体は丸太に化け、――いや、丸太だったことに気づいたが、それが暗殺者の最後の思念となり、次の瞬間にはその思念は胴体から刎ね飛ばされた。
ジャックはそばのかがり火の鉄籠を蹴倒し、自分の影を壁に伸ばすと、続けざまに三本のダガーを放った。
きらめく刃がささった影が膨れ上がり、眉間、喉、心臓を貫かれた死体が影から吐き出されて、ごろりと転がり落ちる。
「影もぐりか。なかなかつかうな」
右手に手斧、左手に逆手持ちにしたダガーを構えると、トラばさみを器用に避けてツツツと走り寄る暗殺者たち三人を迎え撃つ。
短剣の刃光まで墨で消したのは間合いを見誤らせるためだったらしいが、それくらいのトリックに騙されるようではクルス・ファミリーのバーテンダー筆頭は務まらない。
世のなか、思いもよらないものが似ていることがままあるものだが、暗殺者の間合いを正確に測ることはお客の気分と好みを正確に測ることに似ているのだ。
黒い刃は左の短剣で受け、後ろに引いた右手の斧は斬らずに突いて相手の顔を潰す。
覆面に隠れた鼻がぐしゃりとへこみ、骨混じりの血が喉に入るが、その血はぱっくり裂けた喉から外へと噴き出る。
続いて、ふたりの暗殺者と何合か刃撃を重ね、こいつはジン・アンド・ビターズだなと思いつつ、左の暗殺者の胸を斧で叩き割り、右手のやつにはジンジャー・ジョヴァンニーノがいいだろうと思い、左手の刃を左下から斜めに切り上げ腹を裂き、次に横に首を薙ぐ。
相手の欲しがる飲み物が当たったのは死命を制した間合いがドンピシャだったことからもうかがえる。
さらにふたりの暗殺者が別のほうからあらわれた。
ひとりは構えを低めにしていて、もうひとりは低すぎてほとんど四つん這いになっていた。
まだ暗殺組織にいたころ、ああした構え方が効果があるのかどうかさんざん議論になり、そんな連中と距離を置いていたのだが、どういうわけだか、四つん這いの不興を買って、一対一で戦うことになった。
低い構えは剣が床にぶつかりやすく、うっかり攻撃を出せないのに比べて、四つん這いのほうは下からジャックの喉を狙える。
そういう下馬評だったが、試合が始まるとジャックは相手の頭を容赦なく踏みつぶした。
それと同じことをすることになるだろうかと手斧を構え、相手の飲み物の好みを把握しようとしたとき、立っているほうの暗殺者の手がさっとかざされた。
指のあいだには投げナイフが握られている。
その腕が肘から皮一枚でちぎれ折る。
四つん這いのほうは頭の後ろがごっそり落ちて、痙攣しながら弓なりになった。
手早くふたりにとどめを刺すと、彩色の降る光を見上げ、そこにあるステンドグラスに向かって、腕を伸ばし、親指を上げる。
見えているかもしれないし、見えていないかもしれないが、まあ、とにかく助かった。
――†――†――†――
ステンドグラスに開いた穴からきっちり立てられたジャックの親指をスコープのなかで確認すると、シャンガレオンは鉛玉をくわえて、水牛の角の火薬入れのキャップできっちり一発分の炸薬を計って、銃口に注ぎ込み、くわえていた弾をペッと吐き出す。
弾は銃口に見事乗っかったので、あとはそれを込め矢で奥まで詰め込むだけだ。
暗殺者たちも馬鹿ではないから、そのうちこの塔に気づくだろうが、まあ、それを考えて塔の入り口に罠を仕掛けてある。
その罠に使ったので、弾と火薬の残りは少ない。
ただ、手練れの暗殺者たちを一か所から三回以上狙撃できるとはそもそも思っていない。
三発で倒せるだけ倒したら、あとはやつらに任せよう。
これは決して怠けているわけではなく、戦略的狙撃なのだ。
戦略は三発撃てば大金星だと言っている。
「しかし、――」
と、シャンガレオンはくすくす笑う。
我ながらえぐい罠を仕掛けた。
あれを食らえば、体はまともには残るまい。
いやあ、僕ってやつはえげつないやつだぜ、と得意がるシャンガレオンは知らない。
彼の足元、塔の下に来栖ミツルが爆発エルフ姉妹を戦略予備として待機させていることを。
いまのシャンガレオンを倒すには一枚のバナナの皮すら必要ない、なぜならウェティアとフェリスはなにもないところでずっこけることができるのだ。
――†――†――†――
「やぁッ!」
相手の短剣が繰り出される。
だが、先んじて宙を舞ったヴォンモが体勢を返して、飛び越え際に相手の頭に手を伸ばし、ひと言――
「ごめんなさい」
ゴキン!と音がして、膝から崩れた賊の首は真後ろへ不自然にひねられている。
「でも、マスターに仇なすもの全て、生かして通らせるわけにはいかないんです。だから――あなたも死んでください」
もうひとりの暗殺者の上段からの斬撃をサイドステップでかわし、短剣の尖らせた柄頭を相手のこめかみに叩き込む。
刃が叩き込まれると思って、使った回避の足さばきがむしろ間合いのかなり詰まった短剣の打撃にはあだとなり、右のこめかみに走った激痛で相手がよろめく。
ヴォンモは相手の胸骨のすぐ下に刃を突き通した。
痙攣をおこした筋肉が刀身をきつく締めたが、ヴォンモは短剣をさらに上へ突きねじり、短剣を握る手に命が掻き消えていくのをほのかに感じ取りつつ、抜き取る。
暗殺者が死んだも同じ体で膝をつくと、ヴォンモはすかさず暗殺者の顔をⅩ字に切り裂き、とどめに喉に一閃をくわえる。
血は天井にぶらさがるカンテラまで噴き上がった。
「ごめんなさい」
またヴォンモはつぶやく。
だが、その小さな唇にはほんのりと微笑がのっていた。
――†――†――†――
そら逃げろや、逃げろ。
ジンパチがおちょくるように走りながら、シャンガレオンの塔を目指す。
背後から飛んでくるスローイング・ダガーをかわしながら、入り口へ飛び込むと、すぐ扉を閉めて、取っ手に針金をぐるぐると巻く。
あとは巻き添えを食らわないよう、大急ぎで階段を上るのみ。
一段飛ばしの大急ぎ、アズマの龍神さまみたいにぐるぐる螺旋に上っているあいだ、ジンパチを追っていた暗殺部隊副指揮官は塔の扉に軽く触れると、厚めのナイフを扉の隙間に差し込み、ジンパチが巻きつけた針金線を断ち切った。
針金は火薬と弾丸を詰めた壺のなかに突っ込まれていて、雷汞入り小瓶の簡単な起爆装置につながっている。
「所詮は子どもの浅知恵だな。追うぞ」
副指揮官が螺旋階段の第一段を踏むと、踏み石の下に仕掛けられたバネ仕掛けが解除され、第二の針金を巻き取られ、第二の火薬壺のなかで第二の雷汞の小瓶がパキッと割れた。
轟音と炎が塔の空洞を跳ね返り、ジンパチは危うく尻を焼かれるところだった。
「あぶねえ。あぶねえ」
ドン!と発砲音がして、またひとり倒れる。
「調子はどうよ?」
立てた銃身に火薬を流し込みながら、シャンガレオンがこたえる。
「僕か? 僕は絶好調よ。なんせ、あのアサシンども右に左にジグザグに走るから弾の当てがいがある。それより罠には何人かかった?」
「六人」
「たったそれだけか? あの壺には一個連隊を武装させられるほどの弾と火薬を入れたんだぜ? それがたったの六人……冴えねえなあ」
「ひとりは指揮官みたいだったぜ」
「なんで分かる。あいつら、みんな黒装束だろうが」
「喪服の良し悪しは分かりやすいってもんで、黒も粗末な染め方してるか、きちんと染めてるか分かる。その野郎はきちんと染めたのを着てた」
「そうかい」
ドン! 照準のなかの十字線の上でまたひとり倒れる。
「当てた、当たった、また当てた。当てんでいいのに当てちった」
「いや、当てなきゃだめだろ」
「おれのマブいシャーリーンも絶好調だ。もう、僕らだけで片がつくんじゃねえのかな?」
と、振り向いたとき、たったいま階段から顔を出したフェリスの、ふにゃ、っとした笑顔と目があい、シャンガレオンの瞳孔が恐怖に縮んだ。
「……ジンパチ、やばい! 逃げろ!」
――†――†――†――
どんがらすってんがっしゃんころりんちゅっどーんどっかーん!
二度の爆発が塔の頭を吹き飛ばし、黒煙で砦が曇り、石の雨がばらばらと降り、死体を打つ。
「くそっ、やられたか」
ジャックは首をふり、これからの戦いはシャンガレオンの援護なしでやっていくことを自分に納得させた。
時間は正午から三時間過ぎたばかり。
第一波は退けた。戦いはまだこれからだ。




