第三十八話 ラケッティア、説教師ヨゼーヒュス。
「あんたの経歴は読んだんだけど、すげえな。イリエス派とルコニ派とロスタルチウス派でたらいまわしみたいなことになってるな」
「真の信仰に近づくのはとても難しいものです。さながら道に迷ったひと瓶の焼酎のごとくで――」
説教師のヨゼーヒュスはそう言って、大瓶から輸入物のサトウキビ焼酎をコップに注ぎ入れた。
もぐり酒場は塔のてっぺんにあった。
確かにあの司祭の服を着たまま、階段を最上階まで上るのはきつい。
殉教のチャンスなら、内戦下の国だから、もっと美々しいものがいくらでも転がってるのに、どうしてアル中のケツを叩くために急階段で心臓麻痺を起こさないといけないのか?
「このトクトクトクという音がたまらんのです」
コップを空にし、ゲップをひとつすると失敬、と手を上げて、ハンカチで口を拭った。
見たところ、年齢はペレスヴェトと同じくらいだが、こっちはヒゲが生えている。
たぶん三日前にきちんと手入れしたらしい口ひげと顎ひげはアルコールでよれたのかぐちゃぐちゃにかき乱され、爆発したマッドサイエンティストの髪形みたいに四方八方に飛び上がろうとしていた。
「ちなみに今の宗派はルコニ派でいいんだよな?」
「そのはずだが、ロスタルチウス派かもしれない。実はあそこの派閥の脱退届を出した覚えがないんだ。いや、出しに行こうと思って出かけたところまでは覚えているんだが、あそこの村人がジャガイモでつくった火酒を一杯おごってくれて、そこから記憶がごっそり抜けている」
「まあ、正直なところ、今の宗派なんてどうでもいいんだ、こっちには。どうせポテト派になってもらうから」
「わたしも叙任されないといけなかったから、一応神学を勉強したが、ポテト派という宗派はきいたことがないなあ」
「こないだできたばっかし」
「そうか。しかし、わたしはいま何派なのかなあ。酒にだって一途な気持ちを保てない。ワインは赤と白、両方飲んでしまうし、胃袋の渇きがこうして南国からの旅人を迎えることもしょっちゅうだ。わたしはこれまで五つの教会を飲み代にして潰してきたが、いまもこうして酒なしではやっていけないドアホな体になっている。それが心配で心配で」
「ポテト派は飲酒にはとても甘い宗派だ」
「この際、ぶっちゃけたことをきくが、このポテトを崇める考えはきみがつくったのだろう?」
「かもな」
「どうして同じポテトでもジャガイモを蒸留した一杯の強い酒を崇めなかったのかね?」
「おれ、下戸なんだ」
「なに? きみは下戸なのか? それはお気の毒に。わたしがきみくらいの歳のころは――つまり、麗しき神学生時代はバット樽いっぱいのビールを飲み干せるか賭けをしたことがある」
「バットって3バレルのバットか?」
「108ガロンの408.824472リットルのバットだ」
「細かいな」
「アル中はみんなそうだ。容積で物事を考える」
「ヤク中がオンスを単位に考えるのと同じか。で、うちの教会の説教師になって、ついでにポテトを口に放り込む儀式もやってほしいんだけど。報酬はカネで支払うつもりでいるけど、現品でもらいたいってんなら、そっちで都合する」
「ちなみにどんな現品を用意できる?」
「錬金術印のブランデー、エフルロのアピス酒、オールド・クロウの褐色ワイン、カレイラトス産のラム酒といまあんたが飲んでるサトウキビ焼酎、タルガルマ産のワイン、チペルテペルの黒ワイン。それにこっちのジャックはバーテンダーだ」
「素晴らしい! 信徒クルスよ。契約成立だ。任せてくれたまえ。ポテト教会を世界一の教会にしてみせようじゃあないか」
「じゃあ、それで。それともしルコニ派のことを知ってたら、教えてほしいことがあるんだけど」
「うまいワインの割り方とか?」
「いや、ペレスヴェトっていう司祭のことだ」
「ああ。あの真面目くんか。彼も彼の連れてる少女も一杯も飲まない。恐ろしいことだ。たとえば、わたしが彼らふたりとボートに乗って、沖に出て、そのあいだに天変地異が起きて、地上文明が滅び去り、我々三人が最後の人類となったときの統計的恐怖が分かるかね? つまり、多数決で禁酒派が勝ってしまう世界が成立するということだ。いや、まだ、大丈夫だ。この世界は圧倒的に飲酒派が勝っている。王侯貴族から名もなき草民までみなが飲んでいる。だから、わたしも飲み続けられるし、世界も飲み続けられる。……ところで、報酬の酒だが、ちょっと前借りさせてくれるかな? なーに、明日になれば、酒のおかげでスバラシイ説教ができるとも!」
――†――†――†――
「――って、言っててこれだ!」
翌朝、おれとジャックとジンパチとシャンガレオンで説教師の手足をそれぞれ担当して持ち運び、教会の祭壇裏に放り出した。
「旦那、こいつ、説教壇に立てるの?」
「この酔っ払いに揚げ物をさせるのは危ないんじゃないか?」
「仕方ない。ポテトはおれが揚げる。ただ、こいつには聖体拝領の儀式と信者が泣いて喜ぶカッとんだ説教をしてもらわなきゃいけない。このアホ、一週間分の報酬にする予定だったビールを全部飲んじまったんだから」
すでに信者が教会に集まり、教会のなかでは大工仕事のできる信徒たちがもっと多くの信徒をなかに入れられるよう足場をつくった。
木の棒と板を革ひもで結びつけただけのものだったが、よほど工夫と技術を凝らしているのだろう体当たりしてもビクともしない。
だが、その足場もすでにいっぱいになり、またまたポテチを求める信徒たちが外まであふれることになった。
さて、このジャンクフード・ジャンキーたち相手に説教師は説教をしなければならない。
だけど、むしろこいつのほうこそ説教ものだ。
とりあえず、このままポテチの一枚も揚げないと暴動が起きて八つ裂きにされそうなので野郎が四人かたまってポテトの皮を剥き、せっせとフライにしていく。
「ポテトはまだか!」
「はやくポテトを!」
「聖なるポテト万歳!」
もうただのポテチ配布センターと化しつつある教会に突然小フーガト短調みたいなパイプオルガンのメロディが。
そんな高価で手間のかかるものは買ったことがないぞ、と訝しみ、揚げ鍋から目線を上げると、クソ驚いた。
スヴァリスがさんざんごねてつくらせた聖歌隊席にカエル面した人類が十六人並んでいて、このパイプオルガンみたいな低い音はそのカエル人間たちの喉から迸っていた。
ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ。
常勝の元帥にしてディルランド王国の元老はゲコゲコ聖歌隊相手にデレダンで買った最高級タクトを振っている。
……なんだ、この空間?
いや、自分でつくっておいて、何言ってやがるって話だけど。
とびきり低いブォーッという声がした途端、説教師のヨゼーヒュスが飛び起きた。
たぶんあの音階に生死がかかった嫌な思い出でもあるのだろう。
最初、ヨゼーヒュスはなにが起きたのか、なぜ自分がここにいるのか分からないといった感じの顔をした。
「諸君……」
そんなものがあるとしたらの話だが、アル中の競売場みたいだった。
「諸君……諸兄……皆の衆……みなさん! わたしはポテトに救われた!」
そこからは火災保険目当ての放火みたいにパッと燃え上がった。
「わたしはポテトを愛する! なぜなら、ポテトは全能だから! わたしはポテトを愛する! なぜなら、ポテトの聖性は決して打ち負かされることはないのだから! ああ、全能なる精霊の女神よ! あなたは聖なるポテトを遣わして、わたしをこの地上の地獄よりお救いくださった! 罪と病とに穢れたわたしの体をあなたは清めてくださった!――(そう言いながら説教師はポテトの泥を水盤で落とし、おれに投げた)――その身を犠牲に我々の救済のために油で揚げられることを選んだ聖なるポテトよ! 我々にあなたの聖性を分け与えんとしてポテトチップになった聖なるポテト、いや、救い主のポテト! 救い芋よ! いま、ここでわたしは信仰を告白しましょう!――(そう言いながら説教師はおれが揚げたポテチを自分の舌にのせた後でカリカリを噛み砕いた)――ああ、救い芋よ! わたしはただあなたの油分にすがって生きていく! 揚げたてのあなたのためなら油を吸い取る紙にもなりましょう! さあ、悪魔よ、来るがいい! わたしは救い芋とともにあるのだ! お前などに負けはしない! お前の顎を打ち砕き、お前の舌を引きずり出し、お前の目をえぐり出してくれる!――(そこで「そうだ!」「救い芋万歳!」と信徒たちが声を張り上げた)――ハレルヤ! ポテトをたたえよ! ハレルヤ! ポテトをあがめよ! ハレルヤ! ポテトを揚げよ! ハレルヤ! ハレルヤ! ハレルヤ!」
――†――†――†――
その日の募金箱を裏部屋の丸テーブルの上にあけたら、銀貨が滝のように流れ出した。
なるほど。
説教師は本物だ。




