第十八話 ラケッティア、塹壕に無神論者はいない。
――ヴォンモが新興宗教の教祖になった。
ミミちゃんは素直系おれっ子暗殺幼女が尊すぎて辛いとよく言っていたが、本当に尊くなってご本尊にされてしまった。
ヴォンモの入っていた樽は神の乗り物と呼ばれ、そしてヴォンモ自身は神さま兼教祖さまとして、シャルロッテンロア要塞包囲軍のどこかにいるとのことだ。
「場所が分かってるなら、すぐ取り返せるな」
と、言っていたが、シャルロッテンロア要塞を見て、考えが変わった。
要塞を取り巻く塹壕は難易度調整に失敗したパズルゲームみたいに広がっていて、そこに砦や砲台、土手、水堀があり、あちこちにはこんもりと盛り上がった土があるが、そこに刺さっている木の棒を見ると、どうやら戦死者を埋葬した印らしい。
「あそこのどこかにヴォンモが?」
「ああ。それは間違いない」
「参ったなあ。まあ、迷路の必勝法はある。左なり右なりの壁に手をついて、そのままずっと手をつけた壁に沿って歩きまわる。のだけど、この手は使えそうにない。ほら、あそこにいるのは工兵部隊だ。どうも連中は塹壕を埋めたり新しくつくったりを繰り返しているらしい。壁沿い殺法は迷路の形が途中で変化しないのが前提だ」
「工兵部隊の動きを止めればいいのか? もしかしたら、どうにかできるかもしれない」
「たとえ工兵部隊の動きを止めても、第二の問題がある。これは第一の問題よりはるかに深刻だ」
壁沿い殺法は全部の道を通ることになる。
つまり、要塞と絶賛交戦中の最前線の塹壕も通らないといけないということだ。
そこでは砲火のやり取りが激しく、黒色火薬の濃い白煙が火にあぶられて舞い上がっているくらいならいいのだが、砲弾が命中したところから火柱が上がり、バラバラになった人体が間欠泉みたいに噴きあがっている。
「なるほど。あそこを通れば、高確率で巻き添えを食う。どうするんだ、オーナー?」
「ジャングル探検と同じだな。ガイドが必要だ」
「ガイド?」
おれは指輪袋に手を突っ込み、いくつか気に入られそうなのを見繕った。
――†――†――†――
司令官であり、人類の代表と選んでも恥ずかしくない素晴らしき資質を備えた傭兵隊長たちは矢弾の届かない安全なところにある地主屋敷を徴発し、その快適な住所から指揮をすることで戦争に参加していた。
自らを厳しい場に置いていたわけだ。隊長殿は。
地主屋敷は塹壕の横穴のように一度掘ったらほったらかしにして寝に帰るだけとはいかない。
常に清潔にしなければならない。そのためには召使が必要であり、傭兵隊長は召使たちを監督するという重責を担っていた。
並みの人間ではできない重要任務に対し、傭兵隊長はぶつぶつ愚痴るような腑抜けたことはしない。もし、掃除をきちんとしていない召使がいたら、問答無用でゲンコツにものを言わせることで対応していた。作用には反作用があり、それにより自分の手を痛める危険を冒してまで、彼は召使たちを監督した。
もう一度言うが、厳しい場に自分を置いていたのだ。
さて、司令部には隊長の戦争を勝利へと導く参謀本部があるのだが、その内訳は参謀将校1、コック3、床屋1、従軍商人2、召使2、洗濯女5、シーツ係3、会計係2、軍医1、教戒師1、その助手1となっていた。
彼らが一団となって、戦争を完遂させる。作戦を考え、料理に腕をふるい、酒樽を常にいっぱいにし、飲み過ぎにきく薬を処方し、清潔な寝具を用意し、特別料金でセックス産業も提供し、そして、万が一のための両賭けということで司祭とその助手が傭兵隊長のために神さまに口利きをしてくれていた。
毎日、〈親指つぶし〉という拷問具を持たせた斥候騎兵を走らせては農家からの自発的強制という形で食料をゲットしていたので、隊長殿専用の食料庫が空っぽのまま、放置されることはなかった。
塹壕の兵士たちが噛み切れないほど固くなった干し肉とふすまパンのかけらで何とか食いつないでいるあいだ、隊長殿も次のような粗食をする。
前菜に手長エビのレモンマリネ。魚料理に淡水ニシンの卵巣のバターたっぷりムニエル、メインの前に薔薇の香水をかけたシャーベット、メインがガーリックワイン入りのウサギのシチュー。デザートはチョコレート・カノーリと黒く濃いコーヒー。魚には白、メインには赤のワインがつく。
傭兵隊長専用のメニューは斥候騎兵がどれだけ効果的に〈親指つぶし〉を使えたかによって変化するし、前菜の後にスープがないが、これは戦争で隊長殿は軍人なのだから、不便は甘んじて受け入れるのだ。
おれが訪れた傭兵隊長は自分の隊を他と同じ髑髏隊を名乗り、他の髑髏隊と同じで男爵を自称していた。
本来なら戦争のドサクサに紛れて、大公でも公爵でも好きに名乗れたが、それを騎士よりひとつえらいだけの男爵でやめておくあたりに傭兵隊長殿の自制心があらわれている。
さて、この人間のクズはブランジェ男爵を自称し、好色ジジイにありがちな白い山羊ヒゲを生やし、勇敢にも鎧はつけず、防御力ゼロのリボンだの飾り物だのをひらひらさせていた。
ダンジョン絡みのゴタゴタでアレンカが吹き飛ばしたジジイもリボンが好きなジジイだったっけ。
おれが贈り物にルビーの指輪を四つ差し上げると、そのルビーをはめた手で専用の食卓に案内してくれた。
さて、ここからがおれのおべんちゃらテクの見せ所。
「酒は飲みますかな?」
「いえ、飲まないです」
「それは素晴らしいことですな。酒はよくない。口が軽くなるやつもいるし、器以上に大きくなるものもいる。酒は万難のもとなのですな」
「しかし、公爵閣下はそういったこととは無縁なんでしょうねえ」
「わしはまだ男爵だが」
「これは失礼しました。閣下ほどの軍人でしたら、てっきりもう公爵に陞爵されているものとばかり……」
「実はこれは内密の話ですがな。実は王太子殿下から直々にこの戦争が片づいたら、わしをミストラント公爵にするという話があるのですな」
あとで調べたがミストラントという地名は存在しなかった。たぶん架空の土地なのだろうが、傭兵隊長は人類の美徳を一身に集めたような方なので、人間が命名するより前に地形のほうから生み出されなければならないのだろう。
四つのルビーのはめ心地にすっかり上機嫌なブランジェ男爵はおれを名誉中隊長にしてくれた。
これは名ばかりの役職で実際中隊を指揮することはないのだが、家系図で四十代遡れる貴族の家柄であることが要求される。
もちろん、傭兵隊長殿もまた貴族であられる。
麻布のクズで作った安物の巻物にはヨーロッパの貴族が気取ってつくる樹木型の家系図が床の上に転がって伸びていく。
一番下の根っこの部分には棍棒と獣の皮を着た原始人が描かれていて、その上に、たぶん墓場から適当に拾ったと思われる名前が実り、その頂点、熱帯雨林の最上部に住む大胆なオウムのようにブランジェ男爵の名前があった。
日本にいたころ、おれは自分の先祖が悪代官だとウソこいて、水戸黄門を見てると悪い奴を応援したくなると言いふらしたことがあったなあ。
「すぐこういうものをつくってくれる人間を探すことですな。もし、よろしければ紹介するのですがな」
「いえ、大丈夫です。こういうのが得意なやつをひとり知っていますので。それにしても立派な家系図ですねえ。やはり閣下を頼ったことは正解でした」
「塹壕に探し物があるとのことですが、どういったものですかな」
「新興宗教に興味がありまして。なんでも塹壕にひとりの少女を教祖とする教団が昨日かおとといに出来上がったと」
「あれはアサシンですなあ」
おっと。人間のクズが急に洞察力を見せてきた。
「本当ですか? 年端もいかない女の子だとききましたが」
「年端のいかない女の子こそアサシンに向くのですな。なにせ、みんなまさかこんな女の子が自分の命を狙う玄人のアサシンだなんて思わんので、油断を引き出したい放題なのです。まあ、でも、アサシンが教祖でも問題はないのですがな。兵の士気さえ上がれば、たとえ魔族の魔王崇拝でも構わんのですな」
でも、ホントに魔王崇拝が流行ったら「こんな戦争、やめるのがまじサタンなんよー」とかいって、戦線崩壊待ったなし。
「修道女が教祖になるより、ずっといい。アサシンの小娘ならきっと殺せ殺せと育てられたのだから、信者である兵たちにも殺せ殺せとせっつくに違いない。それならこれっぽっちも問題はないのですな」
そんなふうに育てた覚えはないんだけどなあ。
「どうやら、閣下。その子がわたくしの探している子で間違いないようです。それでつきましては塹壕の道案内役をひとり都合できればありがたく存じ上げます」
「ひとりと言わず、ふたり用意しよう。つい最近、わしの教戒師になった司祭がいる。ふたりつけるというのは、この司祭にもまたアサシンがついていて、離れようとしないのだ」
ドアが開く。隣の部屋からでてきたのはペレスヴェトとイリーナだった。




