第十五話 ラケッティア、雷雨問答。
天気を自在に変えることができる石板というのは磨いた石に真鍮製の矢印がついていて、これが時計の針のようにまわって、お天気を描いたメダルを指せば、その通りの天気になる。
侯爵にきいても、その原理は分からない。というか、誰も分からないらしい。
たぶんスマホみたいなもんで、どうしてあんな薄っぺらい板があんなに動画だの音楽だのが楽しめるのか原理を説明できないが、でも、そこにあれば利用ができる。
もちろん原理が分かれば、いろいろ面白いだろうが、塔と城館を結ぶ橋を血に飢えた傭兵たちが密集陣形で走ってくるときは残念ながら原理より実践が重んじられる。
「なあ、兄ちゃん。ここを開けちゃあくれねえか」
もちろん扉を開けに行ったりはしない。
角が取れてボロボロになった煉瓦がひとつ転がっていたのでそれを落として返事のかわりにした。
「おい、あぶねえじゃねえか。他人様の頭に煉瓦落としちゃいけませんって母ちゃんに教わらなかったのかよ」
「他人様の城を分捕っちゃいけませんって教わったぞ」
「おれはそうは教わらなかったぞ。というか、なにも教わらなかった。おれのおふくろはな、なにも教えず、いきなりおれをぶん殴ったもんさ。最初はワケが分からないんだが、そのうち殴られないようにするにはどんなふうに歩けばいいとか隠れればいいとかを必死で考えるようになってな。で、それが盗賊稼業に役に立った。お前の母ちゃんはワケも分からず殴りかかってきたか?」
「いや」
「母ちゃんはお前のこと愛してなかったんだな」
「そうかもな」
「なあ、優しく慰めてやるから、この扉を開けてくれよ」
侯爵のほうをふり返ると、錆びついた矢印がなかなか動かないらしく、晴れのメダルと曇りのメダルのところまで、なんとか力ずくで動かしたようだった。
そのせいか若干の雲が冬空にかかっている。
「なあ、あいつらが扉をぶち破る前には雷雨を呼べるよな?」
「もちろんだとも。ただ、この錆びがなかなか強情で」
おーい、と下から傭兵の声がきこえてきた。
「いま、ここを開けたらな、ケツの穴から槍突っ込んで串刺しにしてやる。戦士の誇りにかけて約束してやる。だから、ここを開けてくれよ」
「冗談じゃねえ、馬鹿!」
「案外、癖になるぞ。ハラワタの掃除だと思えばいい。うまく穂先を逃がせば、口から槍が飛び出る。それを見ると、人間ってのは意思をもった一本の筒なんだって分かる。雨樋の鉛管みたいなもんさ」
「こっちにはな、死霊使いがいるんだぞ。お前らの死んだばあちゃん蘇らせて、入れ歯で噛みつかせることだってできるんだからな」
「おもしれえ強がり言うじゃねえか。よし、兄ちゃんのユーモアに免じて、生き埋めにしてやるよ。棺に入れてな。ネズミも何匹か御同行させてやる。ちっこいペットみたいなネズミじゃないぞ。本物のネズミだ。ひでえ戦の後に死人をガツガツ食らう最悪のドブネズミだ。そいつら、普通は生きた人間を襲ったりしないが、真っ暗な密室に閉じ込められて、もう死ぬしかないと分かるとヤケを起こすかもしれん。真実を知ることができるのは一緒に埋められたやつだけだから、兄ちゃんは実に運がいい。棺桶のなかでネズミが生きた人間に牙を剥くかどうか、おれたち傭兵が何十年も考え続ける問いのこたえが分かっちまうんだ」
「じゃあ、あんたが入って確かめりゃいいじゃんか!」
「それがなあ、実は男爵さまがカンカンなんだよ。『あの刺客め、わしの命を狙って、ワイン樽に隠れていたに違いない。城の一族の残党に雇われたに違いない。見つけたら、首を刎ねて、各村へ順番にさらしてやれ』なんてぷりぷりしてやがってよ。だから、おれは言ったんだよ。『でも、隊長どの。あんな間抜け面した刺客なんて見たことありませんぜ。たぶん、あいつはかくれんぼでもしてたんですよ』って。でも、御大はききやしねえんだな。『かくれんぼなどという遊戯は根が卑しく、人に言えぬ秘密を持つものがいかにしてこの世界を生きるかを知るためにする卑劣な遊びだ。隠れるというのが気に入らない。隠れるやつは重大な失策や失敗、裏切りを隠そうとしているのだ』。で、御大は片方しかない目でおれの顔をじっと見る。ちょっとでも、目をそらしてみ? お前はスパイだとか言って、あっという間に絞首刑よ。この五日で八人が吊るされた。お前はな、そういう御仁の結婚式でサプライズをやらかしたんだ。六十四歳にもなって、十六の娘っ子を女房にするような御仁の結婚式をぶち壊しにしたわけだ。『百姓殺して家を焼け』を隊のスローガンに選んじまった御仁の結婚式を台無しにしたわけだ。となると、やっぱりどうあってもぶっ殺される運命なんだな」
お天気装置はと言えば、やっと四分の一まわって曇りを指したところだ。
「なあ、兄ちゃん。天気が悪くなってきたぞ。おかしいな。そんな空模様には見えなかったんだがなあ。それはそうとな、兄ちゃん。おれたちはもっと積極的に打って出ることにした。つまり、ドアを破るんだよ。正直、樫のなかでも一番固いトロル樫の扉なんて、考えただけでも、ゲーッと来るよな。こうやって扉を破るのに苦労させられればさせられるだけ、こっちも兄ちゃんとっつかまえたら、創意工夫を凝らしたやり方であの世送りしてやろうと思ってるわけだ」
おれの後ろでは侯爵が「うん。矢印がぴくりとも動かなくなった」と困ったことを言っている。
塔のふもとでは扉を破ろうとあらゆる武器を叩きつける音がする。
だが、それも長くは続かなかった。
東西南北の山並みから黒雲がもくもくと湧きあがり、あっという間に雷雨となった。
真横から叩きつけるような雨のなか、塔のふもとからは飛ばされて谷底へ落ちていく傭兵たちの叫び声がかすかにきこえた。
「壜を!」
そう言われて思い出したので、壜を取り出して、雷雨の水を集めた。
漏斗がないのに、凄まじい雨はあっという間に壜を水で満たし、大声で水が貯まったと叫ぶと大雨と雨雲がウソのように消えてなくなった。
ずぶぬれを乾かすために晴れ空をつくり、こっちは胸壁から塔のふもとを見てみると、傭兵たちはきれいさっぱり消えていた。
「やれやれ、まったく。一時はどうなるかと思った。でも、矢印はもう動かないって言ってたのに、どうして雷雨が降ったんだ?」
「傭兵たちの言葉ではないが、創意工夫が物を言ったのだよ」
と、いって侯爵は石板から取り外した雷雨のメダルをおれに放った。
これを矢印の下に無理やり押し込んで、雷雨を呼んだらしい。
結構いいかげんな装置なんだな。まあ、助かったから、いいけど。
「さて、では次は肖像画の廊下だ。いまので傭兵隊の半分が谷底に落ちたから、まあ、これからはずっと楽になる。貴族の名誉にかけて約束しよう」




