第十七話 ラケッティア、ちゃんときいてますよ。
カネのためにカネを使わない賢いカネの使い方の例として、O・ヘンリーの『賢者の贈り物』をトキマルに教えたが、いかんせんこやつは時代劇。
そこで、旦那の持ち物を懐中時計から名刀に、妻が買ったものをプラチナの時計用チェーンから螺鈿黒漆拵えの鞘に変えて、話してやった。
で、やつの感想。
「そいつら、ただのバカでしょ」
「まあ、コミュニケーション不足の感は否めないが、大切なのは心なんだよ」
もっと大切なのはマネーロンダリングと和食文化だ。
どちらもヨーロッパ中世ファンタジーの世界ではお目にかかれないが、和食文化は叶いつつある。
「オイラは分かるぜ。大切なのは楽しいってことだ」
「そうだよ、ジンパチくん。きみは飲み込みがはやい。要はカネというのは安楽を買うためのツールであって、カネのためにカネを増やす苦労を買っていては本末転倒なのだ。残念ながら、このカラヴァルヴァで味噌と醤油のありがたみを知っているのはおれたち三人だけだ。グラマンザ橋の商店街はこの世界のビジネスモデルにはなり得るが、生魚文化はどうあったって広まらない」
「前から不思議なんだけど、こっちの連中は生牡蠣食べるでしょ? 刺身で一番難易度高いのはあれじゃない?」
「おれも本当に心の底からそう思うが、そういうふうに舌が出来上がってしまったのだ。しょうがない。よい料理人を育てるには子どものころからいろんなマエストロの作品を食わせないといけない。でないと、舌がおふくろの味一択になってしまう。アズマでもそうだったろ? 夫婦げんかの原因第一位はおふくろの味の再現度だ。味噌の加減、漬物の厚さ、米の炊き加減。これらみなおふくろの味と違うと言ったら最後、世の奥さん方はテメエコノヤロウと包丁腰だめにして突っ込んでくる。夫婦げんかで死なないコツは相手が包丁を持っているときには従順であることだ」
「オイラはこっちに来てから、牛乳がどうも苦手なんだよな」
「それは牛乳がほしいって前フリか?」
「そうじゃないって。でも、ヴォンモに言わせれば、牛乳を飲めば大きくなれるって話だけど」
「コーヒーに混ぜて飲めばいい。甘めのミルク・コーヒーならいけるだろ?」
「あれでいいのか? なあんだ。それが分かってりゃあ悩むことぁねえや」
ああ、世のマフィアの何人がダチンコに「コーヒー飲もうぜ」と誘われて入った店で、後ろから頭を撃ちぬかれたことか。
「どーでも。それより、あのセイキチ、ヴォンモに相当参ってるな」
ジョン・ゴッティはボスの愛人のコロンビア人メイドのことをボロクソにけなしているのをFBIに録音されていたそうだ――『あのバカ女! エスプレッソ・マシン使えねえんだぞ。信じられるかよ?』
「全然、どーでも、じゃないじゃんか、トキ兄ぃ。実はオイラ、相手のセイキチから相談を受けててさ」
満腹伝説が一転ホラで空腹のまま死んだジョー・マッセリアだって、コーヒーの一杯くらいは飲んで死んでるんじゃないかな。
「なに? 逢引の手伝い?」
――『ジュセッペ、コモ・エスタ?』『ベーネ、ロベルト、ベーネ。砂糖はふたつ?』『ありがとう』『さあ、どうぞ』――バン!
「かわいい妹分にゃあ、幸せになってもらいてえからな。旦那はどう思う?」
「コーヒーとサトウキビはやめといたほうがいい。プランテーションにいたころを思い出すかもしれない」
「なるほど、そうか」
「とはいえ、めっちゃ甘くしたミルク・コーヒー幸せそうに飲んでるのを何度も見たことがある」
「ヴォンモは芯が強いぜ。ここは、こーひー・たいむに誘わせるのがいいのかもしれねえな」
--『ボードウォーク・エンパイア』の第三シーズンの最初にナッキー・トンプソンがあったかいコーヒーとパンについて、あれこれ言っているシーンがあったな。子どものころはいつも冷めた朝食を食べていたから、自分の子どもにはいつも温かい朝食を食べさせたいとか。
相手はネッドって、とっつかまったこそ泥だけど、ナッキーは盗んだことを怒らず、むしろ倉庫に鍵をかけなかった部下を叱責し、ネッドはすっかり安心した後、ナッキーに問われるまま、仲間の名前をゲロする。
で、ナッキーはあったかいコーヒーをすすりながら、こう言うんだな――『ネッドを解放してやれ。ただ、その前にその頭に一発ぶち込むのを忘れるな』
いつか使ってみたいなあ。
「じゃあ、セイキチにはヴォンモをこーひー・たいむに誘えって言ってみるか。どう思う、旦那?」
「茶のほうがいい」
「茶? 茶室? その距離はまだ早すぎるんじゃねえの? アズマ男って、結構奥手なの多いぜ」
「茶室じゃない。もっとくつろげる場所だ」
「頭領さー、くつろげる場所で苦い茶飲んでもしょうがないでしょ?」
「茶は苦いという固定観念から脱却することを覚えたまえ、忍者ブラザーズ。おれがいた世界にはな、抹茶シェイクというものがある」
抹茶シェイク?とそろったふたりの忍びの声に期待がそっと寄り添っているのに気づかずにはいられない。
「まあ、これはシェイカー使うからジャックにも手伝ってもらわないといけないが」
「呼んだか?」
ちりんちりんとドアが開き、買い物をいっぱい抱えたジャックが帰ってきた。
――†――†――†――
「すげえ! すげえうまいよ! 抹茶シェイク!」
「ま、悪くなかった。頭領がどうしてもっていうなら、おかわりするけど」
「お前はツィーヌか? でも、自分で言うのもなんだけど、すげえうまい。あっちの世界で飲んだとき、こんなにうまかったかってくらいうまい。バーテンの腕がいいんだな」
おれら三人の75ミリ褒め殺しキャノンの連射を前にジャックが恥ずかしそうに頬を人差し指でかく。
「そう言ってもらえるとありがたい」
ミルクと粉砂糖、そして抹茶をシェイカーに入れ、フロスト・ゴーレムの破片を三つ。
そして、これをシェイクしまくる。
「ただ、抹茶の玉が全部潰れてまろやかになるまで振るのは結構疲れるでしょ?」
「そうかもしれないが、オーナーたちがうまいと飲んでくれると、報われる」
「お前はヴォンモか? その調子で、ヴォンモとセイキチにもつくってやってほしいんだけど」
「それは構わないが……。おれは表情が、少し乏しいからそれで怖がられたりしないか?」
「ダイジョーブ! シャイニングに出てくるバーテンダーの幽霊に比べれば、ジャックなんて表情の見本市だって!」
「よく分からないが、まあ、元気づけられてるみたいだな」
「そーそー」
ばたん、ちりんちりん、のお馴染みのドアの音。
見ると、アレンカが小さな鼻をつんとあげて、くんくんさせながら、
「アレンカの知らないところでアレンカの知らないおいしいものを飲んでるにおいがするのです」
そのすぐ後ろからは、
「わたしの知らないところで、わたしの天使が鼻をくんかくんかしています」
ミミちゃんもついてくる。
「あー、三人でなにかおいしそうなものを飲んでるのです! ずるいのです! アレンカも飲みたいのです!」
「別に隠してたわけじゃない。ジャック、同じものをあそこのレディに」
「すまない、オーナー。抹茶が切れた」
「ありゃ」
「あうう」
おれはポケットのなかの硬貨を全部出すと、ミミちゃんにおいでおいでした。
「なんですか? 幼女でもないくせに、わたしをおいでおいでなんかして」
「カネ渡すから、グラマンザ橋まで抹茶を買ってきてくれ。抹茶は――」
と、ふりかえると、カウンターのジャックが円筒形の壺を出した。
「これに入れられるだけ入れてくること」
「は? いやですよ。なんで幼女以外の人間のお使いなんかしなくちゃいけないんですか?」
「おやあ? 愛に生きる小売王にしてはずいぶんとカンが鈍いんですねえ。あそこで抹茶シェイクが飲めなくて悲しんでいる幼女がいるじゃないですか? まあ、別におれが買いに行って、アレンカのヒーローになってもいいけど」
次の瞬間には手のひらの硬貨が消えてなくなり、ミミちゃんは流れ星の速度でグラマンザ橋のお茶売り目がけて飛んで行った。
「分かりやすい。分かりやすすぎる」
「でも、ああやって、欲望に忠実に生きているといろいろ楽そうだな」
「そうだなあ。ところでアレンカ、金貸しは儲かってる?」
「あう。トントンなのです。借りたお金を返さない人間のクズがたくさんいるのです。このままじゃ年が終わってしまうのです」
「返さないやつへの制裁が軽すぎるんだよ」
「そんなことはないのです。ひとりにつき平均六十発はぶっているのです。お玉が曲がるくらい叩いても、ちっともお金を返そうとしないのです。これ以上ぶつ回数を増やしたら、アレンカたちが疲れてヘトヘトなのです」
「ラケッティアリングって難しいでしょ」
「難しいのです。もっとややこしいラケッティアリングをしているマスターは偉いのです。それに比べると人を殺すのは楽ちんなのです。ちょっと火の玉を喉に突っ込んであげれば、ドラゴンみたいに火を吹いて死んでしまうのです。それに空気をギリギリまで圧縮して斬撃に応用すると、どんなおデブさんの首でも簡単に刎ねられるのです。マリスもツィーヌもジルヴァ――はしゃべらないけど、アレンカと同じ意見なのです」
「まあ、人殺しってのは悪の組織の下請け仕事ですからね。ラケッティアは儲けてなんぼですよ」




