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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
リュデンゲルツ地方 クルスの八百長ダンジョン編
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第二十九話 ラケッティア/騎士判事補、麗しきは兄妹愛。

 宮廷顧問官。


 きっと宮廷で顧問コンシリエーレをするんだろう。


 それ以外に何が分かるってんだ。

 自分の立身出世のためなら他人のシノギをつぶしてもいいと思っているクソ野郎であることくらいのもんだ。


 それに、こちとら、宮廷顧問官と愉快な仲間たちによるダンジョン乗っ取り計画と同じくらいの大問題に直面している。


 それは食材不足だ。


 オレンジがない。オリーブがない。ナスもズッキーニもない。トマトはあるけどドライトマトしかない(しかも高い)。


 昨日、マリスとツィーヌにつくってやったボウルいっぱいのカスタードクリームだって、レモンピールがあればシチリア風カスタードクリームになれたのだ。


 でも、レモンがない。


 みんな売ってないのだ。


 この問題についてはここで初めてメシをつくったときからひしひしと感じていた。

 が、ダンジョンが成長すれば、レモンもオレンジもオリーブも持ち込まれるだろうと思っていたのだが、甘かった。


 ここはアルデミル北部であり、北部には北部の料理文化がある。


 海沿いではニシンを軽く酢漬けしたものが食べられ、山間地ではキャベツの酢漬けしたものが食べられ、そして、リュデンゲルツ地方のどこにいっても、テーブルビートのスープが幅を利かせている。

 ペイストリの類は堅いものが好まれ、ショウガやシナモンがこれでもかと使われる。地域住民のあいだではカノーリはしょせん最近流行り始めた外様大名であり、トンカチみたいに堅いジンジャーブレッドこそ伝統の菓子であるという見方が根強かった。


 別に個人的な好悪でよそさまの食文化を否定するわけではないが、おれのレパートリーからすると、ここの産品はちょっと寂しい。いや、非常に寂しい。


 それに都会も恋しかった。

 人が多ければ多いほど、ラケッティアリングも多いものだ。


 酒場でぼーっとしていて、耳に入った候補地もいくつかあるのだ。

 カラヴァルヴァ。サン・ロレンゾ。アーザール。


 誰か信頼できるやつにここのシマを任せて、レモンやオレンジが売っている暖かくて、でも物騒な大都市で一旗揚げたいと思うことは多々ある。


 だけど、エルネストは相談役で手放せないし、レイルクはダンジョン最下層から出られない。


 そもそも今の現状ではおれはここから動くことはできないのだ。


 ブノワン辺境伯、セビアノ司教、メダルの騎士、宮廷顧問官サラディナ伯爵。


 こいつら四人を殺るかどうか、現在ギリギリの線だ。


 日本でヤクザが警官を殺したら大騒ぎになり、北九州の工藤会みたいに頂上作戦を食らって、ボカスカジャンにされる。


 同じことがこの世界でも起きるかどうか、ちと不安だ。


 アサシン娘たちが証拠を残すヘマはしないだろうが、ここの官憲に証拠もなく人を逮捕しないという人権意識があるとは思っていない。

 四人が死んだ。一番得をするのは誰だの消去法でおれにアタリをつける可能性が大。


『自白は証拠の女王』と言ったのはスターリン政権下で大虐殺の片棒を担った検事アンドレイ・ヴィシンスキーだが、ここの連中も同じでさんざんぶちのめして自白さえ取れば、それだけでおれを死刑にするに違いない。


 四人を殺したら、やっぱりおれはここを離れなければいけない。

 かといって、おれがいないあいだ、ここを管理するものがいないのも困る。

 エルネストは適任だと思うが、手放したくない。

 レイルクは外に出られない。


「あとちょっとなんだよなあ。何事もあとちょっとなんだよ」


「マスター、マスター!」


 アレンカがおれの部屋に飛び込んできた。


「マスター、大変なのです!」


「なんだ? またツィーヌがアレンカの隠してたお菓子食べたのか?」


「違うのです! もっと大変なのです! 冒険者のパーティがダンジョンの、うー、えーと」


「最下層?」


「さいかそー? さいかそー、ってなんなのですか?」


「一番下」


「じゃあ、そうなのです! 冒険者たちがさいかそーまで行っちゃったのです!」


「へー、最下層ねえ。――はあっ!? 最下層まで行った!?」


 ぶんぶん、とアレンカがうなずく。


 おれは光の速さで外出着に着替えると、まるで転がり出るように〈ちびのニコラス〉を飛び出した。


 このダンジョンの根幹が揺るがされようとしている。


 八百長が明るみに出ようとしているのだ!


     ――†――†――†――


 地下二十階。


 ダンジョン最下層。


 石造りの庭園。その中央に赤く高い椅子が置かれ、ひじ掛けで頬杖をつき、こちらをじっと見つめる黒衣の少年がいる。白に近いブロンドの長い髪、容姿は非常に整っているが、それ以上に冷たさが目立つ。


 あれがダンジョンの主。


 少年は読んでいた本を閉じて、指先一つで開いた亜空間へとしまい込む。


「ついにとうとうここまでやってくるものがきたか。強欲な人間どもめが。ここに来た以上、生きて帰れると思うな。その身を八つ裂きにして亜空間で未来永劫彷徨い果てるがいい」


 カランっ!


 弓が落ちて乾いた音を立てた。


 エレットが両手で口を覆い、大粒の涙をぽろぽろと流している。


「お兄さま……レイルクお兄さま!」


 お兄さまっ!?


 みなが驚く。カレンやアストリットですら目を丸くしていた。


「お兄さま、わたしです。エレットめにございます。ああ、お兄さま」


 兄と呼ばれた少年はあからさまにうろたえていた。


「う、嘘だ。そんなはずはない。エレットは死んだのだ。確かにこの目で見た。死んだエレットを。お前がエレットであるはずがない」


「ああ。お兄さま。わたしをお疑いになられている、その知的なお顔。幻想に裏切られたくない切ないお顔。お兄さま。信じずともよいのでございます。わたしを殺めてもよいのでございます。それでお兄さまが心の平安を得られるのなら。ああ、でも、なんて残念なことなのでしょう! わたしを殺めて、わたしが本物のエレットであることに気づき、終わりのない苦悩に見舞われるお兄さまが見られないなんて。そして、そんなお兄さまに寄り添うことができないなんて! でも、こうして胸に抱えた煩悶でさえも、お兄さまが与えていただけたものなのですから、エレットは果報者にございます」


「ああ、その長口上と愛のきわどさ。まさしくエレット。可憐でたおやかな白百合のごとき我が妹。この世のいかなるものをもってしても、その愛くるしさをかき消すことのできない我が妹よ。ああ、どうして運命をつかさどる神はこのように残酷なことをなさるのか。エレット、僕はお前を抱きしめることはおろかその髪に触れることだって許されない。お前を失ったと思い込んだ僕は人を呪い、傷つけるために迷宮をつくり魔物をつくり、それを永遠にも等しい時間繰り返す浅ましい身に堕ちた。エレットよ。もし、この愚かな兄を哀れと思ってくれるなら、僕のことは忘れてくれ。そして、人としての幸せを得て、生きながらえてくれ」


「嫌でございます。お兄さま。お兄さまが呪縛でこの地を離れることができないのならば、エレットもここに暮らします。同じ呪いを分け合って生きていきましょう、お兄さま。こうして会えたのです。もう、離れ離れは嫌でございます」


「ああ、エレット。お前の優しさがどれだけ僕を苦しめ、そして光明をもたらすことか」


「お兄さま!」


「エレット!」


 兄妹の感動の再会の脇には置いてきぼりにされた感を感じつつあるパーティがいた。

 グレヴェザは妙に生温かい視線をロランドに浴びせ、今夜はヤケ酒に付き合ってやると肩を叩いていた。


     ――†――†――†――


 うーむ、ありゃ間違いなくレイルクの妹だな。


 レイルクも妹と再会できたことで頭がいっぱいで自分がいいように八百長の片棒担がされたことにまで気がまわっていない。


 こりゃ、まだワンチャンあるな。


 それにレイルクの妹。

 こりゃひょっとすると、イケるかもしれない。


 レイルクを言いなりにできるし、ダンジョンの外へも出ていける。


 まあ、金銭の取り扱いは帳簿付けに詳しいやつをつけるとして、最大の懸念だったレイルクとの交渉はクリアしてるんだから、これを利用しない手はないぞ。


 エレットを連れてきたパーティは何かレイルクと話しているが、そのうち、エレットを置いて帰っていった。

 ただ、金目の資材のようなものを受け取ったらしい。


 よし、説得するならこのタイミングだ。


 二人とも転がり込んだ幸福の大きさに感覚がマヒしてるに違いない。


 よろしい。ビジネス啓発本で読んだマフィアに学ぶ交渉テクニックを生かしてやろうじゃないか。


     ――†――†――†――


 アメリカのマフィアはともかく、本場シチリアのマフィアはマフィア同士で話をするときは絶対に嘘をつかない。


 例の入会規則にも、マフィア同士で話すときは真実のみで話すこととされている。


 もちろん、マフィア以外の人間と話すときは嘘つきまくってもいい。


 だが、マフィア同士で話すときは嘘は絶対に禁止。

 そして、どうしても真実が告げられない場合はおれの口から言うことはできないとはっきり断る。

 それによって相手が怒ったり、命を狙ったりするのも自己責任だ。


 で、例のビジネス啓発本はここの部分を取り上げて、ある一定の仲間同士での嘘を完全になくせば、これ以上の信頼関係はなく、何か決断するときも頼りにすることができると書いてあった。


 でも、そんな掟クソくらえ。真実くそくらえだ。

 おれはアメリカナイズされたマフィアのほうでいくぜ。


 だって、きいてくださいよ。

 あの兄妹がお互いについて嘘偽りのない気持ちを吐露すると、平気で半日を食らってしまうんです。


 半日×2人で24時間ですよ、24時間。


 そのあいだ、おれは眠ることもメシを食うことも許されず、えんえんと兄自慢、妹自慢をきかされてるんです。


 いや、目的は達成しましたよ。


 もう嘘をつくのはやめて、素直に八百長のことレイルクにバラしました。


 まあ、レイルクは上機嫌で事後承諾を与えてくれましたがね。


 そりゃそうだよ。

 だって、レイルクが妹に会えたのはおれが、ここを人の集まるダンジョンにしたからだ。


 非難どころかお礼まで言ってくれて、そこから妹自慢を五時間。


 計29時間。


 エレットがやってきたことで自慢地獄が単純に二倍になった。


 無理。体もたん。


 ダンジョンの細かいことを決めに行くたびに二十九時間ノンストップの兄妹自慢をきかされたんじゃ、三日ももたない。


 こりゃ、あのボケナス極道四人を殺らなくても、ここから逃げなきゃいけないわ。


 さっきも言ったけど、体がもたない。


〈ちびのニコラス〉に帰ったころには夕暮れどきだった。


 もう眠すぎて食欲もないので、自分の部屋によろよろと入っていった。


 そういえば、あの途中、エルネストがやってきたのを覚えている。


 深刻な顔で異端審問がどうとかこうとか言ってて、おれは、こういうときは心得顔でわかった、わかった、と言っておけば、太平極楽旦那は元気で留守がいい、つまり全てが万々歳に収まると知っていたので、わかった、その通りだ、を繰り返した。


 そして、おれはぶん殴られて倒れたみたいにベッドの上に横になり、垂直落下のジェットコースターみたいに眠りに落ちた。

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