第九話 ラケッティア、雨ざんざん。
早河というサブカル好きのダチんこにマフィアが好きなら、バッカーノを読めと言われたことがある。
ライトノベルだ。
マフィアが出てくると言われて読んだが、出てきたのはカモッラだった。
感想をしつこくねだられたので、「禁酒法時代のアメリカにカモッラはいない」とだけ言っておいた。
そういえば、早河はやはりマフィアが好きならこれを見ろと言って、ファントムというアニメを勧めてきて、二話分五十分の時間を無駄にした。第一話ではマフィアは出てこなかったし、第二話では、たしかにマフィアは出てきたが、黒服グラサンの想像力が貧相過ぎるマフィアであり、おまけに舞台はダラスだった。
ケネディの脳みそが飛び散ったくらいしか思い浮かばないダラスをわざわざ舞台に選んだ理由は不明だが、早河はこのダラスってチョイスが渋い! センスがいい!とおれのほうにぐぐっと詰め寄って鼻息フンスフンスし、普通のアニメならロスかフリスコが舞台だとなぜか誇らしげに言った(ロスかフリスコ。早河はロサンゼルスとサンフランシスコのことをそう呼んだ。きっとニューヨークのこともビッグ・アップルと呼ぶに違いない)。
まあ、悪いやつではないし、ロリコンでもない。
感想を求められたので、「ダラスにイタリア系マフィアはいない」とだけ言っておいた。
しかし、アニメでマフィアを出す人たちはなんていうか、ちょっと変だよな。
禁酒法時代のギャングを扱うのにマフィアじゃなくてカモッラにしたり、舞台をダラスに選んだり。
じゃあ、マフィアとカモッラってのはどんな違いがあるんだ? と、きかれたら、生まれた場所とお乳の吸い方が違うとこたえる。
どちらも貧乏で警察や役人を信用しない南イタリアが生んだ犯罪者集団だが、マフィアはシチリア島生まれで、カモッラはナポリ生まれだ。
マフィアは農村をカモにしていて、カモッラは都会をカモにしていた。
たぶんその影響もあるのだろう、マフィアはルパラと呼ばれる二連式の猟銃を肩から堂々と下げ、カモッラではナイフさばきのうまいやつが尊敬された。
そして、マフィアとカモッラはクソ仲が悪かった。
マフィアはカモッラを「おしゃべりな馬鹿野郎ども」呼ばわりし、一方のカモッラはマフィアのことを「人を裏切ることばかりの腹黒野郎」と呼んでいた。
でも、抗争はなかった。
マフィアとカモッラのあいだにはイオニア海と山賊の出る南イタリアの荒涼とした山地があったので物理的にもぶつかり合うことはなかったのだ。
ただ、アメリカでは違った。
マフィアとカモッラは同じニューヨークで角を突き合わすことになる。
1915年のことだ。
結局、血で血を洗う抗争の末、カモッラ側の組員が意思疎通の行き違いから自分が軽んじられていると信じ込み、自分のボスたちを警察に密告した。
カモッラのボスたちは片っ端から捕まって、その余波はマフィアのほうにも飛び火したが、ともあれ警察の介入によって抗争は終結。最高幹部たちを根こそぎムショ送りにされたカモッラはなくなった。
バッカーノ!もどうしてもニューヨークでカモッラを出したいなら、1915年を舞台にすればよかったのだ。
ただ、そうした考証的是正と引き換えに受けるダメージはデカい。
1915年が舞台じゃ車はT型フォードしか走ってないし、トンプソン機関銃はまだ発明されていないし、なにより禁酒法がない!
個人的にはあまり知られていないマフィア草莽期の1910年代が描かれていたら、とても喜ぶのだが、まあ、あくまで個人の話だ。
――†――†――†――
「しかし、雨、止まないねえ。旦那」
イレブンバックをしながらジンパチが言う。
「ほんとだよなあ」
と、言いながら、おれはクローバーの3を切った。
「あーっ、このイレブンバックでボクの7を処分する予定だったのに!」
「……わたしも5を捨てるつもりだった」
「ひどいぞ、マスター!」
「しゃらっぷ! この世界はな、弱肉強食なんだよ。そんなにゴミ捨てしたいなら、おれの三、ジョーカーで切っちゃえばいいだけの話だろ?」
「ぐぬぬ」
「ぐぬ……めっ」
「はい。誰も出さないな。じゃあ、おれの番だ。8切りして、2切って、10のペアという使い勝手がいいけど、決して切り札にはなれないカードでアガリ」
「ちぇっ、また旦那の勝ちかよ」
「勝った勝ったまた勝った。勝たんでええのにまた勝った」
言っておくが、おれたちはもうセヴェリノでする仕事は全部終わってる。
終わってるから遊んでるんだ。
〈アカデミー〉はクレオを手放すのに同意した。
やつは大層なグルメだな、と皮肉で言ったのだが、相手方は何のことだか分からんような顔をしていた。
つまり、やつが凶悪グルメに目覚めたのはカラヴァルヴァに来てから。
おれの罪深いパンケーキ・オイスターと出会ってからということだ。
自分のつくった料理で食べた人の人生が変わるというのは悪い気はしないが、その人生の一食がメイプルシロップまみれの牡蠣が乗ったパンケーキというのは、ちょっといただけない。
もっと、こう大衆食堂が出す一杯の素朴なうどんがさ、失恋に傷つき、島の断崖から身を投げようとした女性にもう一度生きるための力を与え、涙ながらに決心したりとか、そういうのがいい。
大切なのは人間ドラマだ! びっくりゲテモノ・ダービーではない!
さて、残り三人が誰が大貧民になるかで低レベルな戦いを繰り広げるあいだ、おれは窓のそばに立った。
そこはセヴェリノの首都から伸びる街道沿いの宿屋なのだが、錆びた包丁もダマスカスナイフくらいに鋭く砥げそうな凄まじい雨が街道を川に、牧草地を湖に、盆地の村を瀬戸内海に変えていく。
まるで十トンダンプが砂利をかけてくるみたいな音が屋根をふるわせ、荒れ狂う風にぶつかると宿屋はかなりヤバい揺れ方をする。
雨に滅多打ちされる素朴な田舎家は残酷な継母にいじめられるかわいそうな少女のごとくぶるぶる震え、いつか素敵な王子さまがやってくるのを待っている。王子さまは築城術の天才でわたしのことを最強最大の要塞に作り変えてくれるの。そうしたら、継母とその連れ子の娘たちを漆喰のなかに生き埋めにして、要塞の生贄にするの。それって素敵じゃない?
や、全然素敵じゃないっす。
おかしいなあ。途中までディ〇ニー・プリンセスみたいだったのに、日常が侵食される恐怖というか、じりじりと狂気が滲みだして、最後は本当は怖いグリム童話になっていた。
しかし、はやく帰りたいなあ。
いろいろ話したいことがたくさんある。
たとえば、最近のカラヴァルヴァでは金貸しが流行っている。
おれたちがカラヴァルヴァに流れてきたとき、金貸しの数は多くもなく少なくもなかった。
金貸しをしているのはローブの裾を引きずるのももったいないと悔しがる強欲なじいさんどもで細かい利息を取りやすい銀貨単位でカネを動かしていた。
もちろんやつらは〈商会〉にショバ代を払っていたが、大人しいもんだった。
借金を返せない連中の家財を治安裁判所とつるんで差し押さえたりするくらいのことはするし、娘を売春宿に売らせることもしたが、両足を叩き折るとか指を切り落とすとかはしなかった。
ジジイ過ぎたのだ、そういう暴力沙汰に訴えるのは。
そんな金貸し業が急にカラヴァルヴァで人気になった。
いまじゃ、〈商会〉の大物からそこらの普通のカタギまでみんながみんな誰かにカネを貸している。
カタギの金貸しなんてたかが知れていて、たとえばケチな露天商や給仕娘に銀貨100枚を貸す。
毎週取り立てにきて、銀貨12枚を受け取り、これを十回繰り返せば、元金の銀貨100枚と利息の20枚が手に入る。
とはいえ、借りた側がカネに詰まって12枚の銀貨を返せないと、その週は利息分の銀貨2枚だけをもらう。
だが、そのかわり銀貨12枚の払いがひとつ増える。
つまり、10回のうち1回払えず、利息2枚だけを払った場合、最終的な返済は122枚。普通に払うよりも2枚多い。
だらしないやつだとそんなことを五回、六回と繰り返し、12枚の払いがどんどん後回しになり、気づいたら銀貨200枚近く返すハメになる。
最初の利息は20%なのに、気づいたらトイチよりも始末の悪いことになっているわけだ。
おれもカジノで信用貸しはさせるけど、取れる財産があるかどうかはチェックするし、それ以上、金貸しの仕事範囲を広げるつもりもない。
クルス・ファミリーの金貸しはあくまで〈ハンギング・ガーデン〉の範囲だけだ。
ところが、いまカラヴァルヴァでは時を選ばない金貸しが大いに流行っている。
しかも、そのほとんどは素人のカタギなのだから、見ていておっかない。
そうした素人の何人かがドン・ヴィンチェンゾに金貸し商売の元手を貸してくださいとしょっちゅう来客があったもんだ。倍にして返すがやつらの口癖だが、いかにも金貸しとは縁のなさそうなガキんちょだった。
あんまり金貸しが多いからカネもだぶついて、そうなると利息の下げ合いになっていく。
カネはチキチキ金融市場でだぶつき、商売のうまみは消える。
すると、そのうち金貸し同士の争いが発生。
それが〈商会〉に上納金を払っている連中だと、もう大変だ。
それが抗争につながる前に縄張りを決めたほうがいいと思うのだが、この雨では帰れない。
ああ、もどかしい。もどかしい。




