第二十話 騎士判事補、無限の宴3。
女子更衣室は鉱山みたいに頑丈な大柄の女に仕切られていた。
悪い目的で忍び込もうとする男どもを叩き潰し、籐の籠のなかにある水着をやってきた少女たちに渡すのは彼女の裁量であり、何人もそれを干渉することはできなかった。
大女から渡された水着の小ささを見て、イヴリーは真っ青になった。
「なにかの間違いじゃないですか?」
「なにがだい?」
「肌を覆う面積が小さすぎます。破廉恥ですよ」
「あたしゃ知らないよ。もらった札通りに水着を配ってるだけだ」
「じゃあ、これはお返ししますから、もっと恥ずかしくない水着をください」
「それは無理だね。札通りに水着を配るのがあたしの仕事なんだ」
「じゃあ、分かりました。着替えるのはやめます。不本意ですが伝道師の服のまま、飛び込みます。それにパンケーキ布教用パンフレットはもともと蝋を塗って防水してありますし」
「ちょっと待った。あんた、更衣室にやってきて、着替えずに出ていくつもりかい?」
「そうですが」
「そいつぁ看過できないね。ここは更衣室だ。ここで着替えなかったら、更衣室はただのどんづまりになっちまう。存在がかかってるんだ。これに着替えな」
「だって、みんなの水着は一枚なのに、わたしの水着は二枚じゃないですか」
「一枚得したね」
「いえ、布が肌を覆う面積は普通の水着の半分以下ですよ」
「面積がどうだってんだ。あたしのふたりの叔父はそれぞれ広い土地と狭い土地を相続したけど、きちんと作物が実ったのは狭い土地のほうだった」
「だから?」
「分からないのかい? あんたは作物が実る土地を与えられようとしてるんだよ? それもふたつも!」
結局、イヴリーは着替えさせられて追っ払われた。プールに飛び込む前にウィリアムを半殺しにしてやろうと受付を襲撃したが、もぬけの殻だった。
ウィリアムは逃げるとき、水着の割り当て札を全部持っていったらしかった。
それに詩作に使ったらしい落書きが何枚か落ちていて、自分の尻尾に噛みつく蛇の丸い輪の内側にびっしりと言葉が書き連ねてあった。文字は外から内へとくるくる螺旋状に書かれていて、中心には小さなピリオドが打ってあった。
来客数がどんどん増えていったのか、そのうち受付にはふたりの少女が入り込み、自分たちの陣地として占領してしまった。
飛び込む前には分からなかったが、プールはとても広かった。
毎分、水着姿の客がふたり、正装の客が七人、突き落とされるように飛び込んでいたのだが、プールが人でいっぱいになることはなく、全速力で泳いでもたっぷり三十秒は誰にもぶつからないでいることができた。
それでも中央の塔まで行くには、それなりの苦労をすることになった。
前をきちんと向いて泳いでいるのはイヴリーだけだった。
他の連中は男女でいちゃいちゃしながら水を跳ね散らかしていたので、次のどちらに進むかが分からなかった。
たいていは男は夜会服で女は水着だった。脱ぎ捨てられたドレスはあちこちに沈み、水が華やかに飾られた。
酒はどこから手に入れたのかと思っていたが、塔のふもとのカウンターからタダで配られているのを見て、とりあえずそこまで行ってみた。
カウンターにはやたら言葉に「にゃん!」を入れてしゃべる猫に扮したバーメイドたちがいた。
イヴリーには分からないが、男たちは「にゃん!」に弱かった。
たとえ、すぐ後ろで休憩中の少女たちが細めの葉巻を吹かし、ワインをラッパ飲みしてゲップしていても、カウンターで応対する少女が語尾ににゃん!をつけている限り、男たちにとって世界は異常なしなのだ。
イヴリーがカウンターにやってくると、十七か八くらいの猫耳カチューシャをつけた少女が早速やってきて接客した。
「いらっしゃいませだにゃん。ご主人さま!」
「あの、上の階に行きたいんですが」
「じゃあ、こっちに入るにゃん」
イヴリーはカウンターのなかに引っぱり込まれた。
休憩中の少女たちは猫耳をつけたまま葉巻を吹かし、自分たちはこの狂った世界で正気を保つ唯一の人類なのだと口々に言い合った。
「ここにいると男ってホントに下らないって思えてきちゃうのよね」
「だいたい、にゃん!とかなんだよ、くだらねー」
「あはは」
交代でイヴリーをなかに引き込んだバーメイドがやってきて、腰を下ろした。
「きいてよ。男どもときたら、ホントにバカバカしいの。誰のもんか分からない男物のパンツがプールに浮いてるのを見ただけで自分のやつじゃないかってパニックに陥ってさ」
「あいつらパニックが好きなんだよ」
「パニックに生き、パニックに死す」
「つーか、誰なんだろうねえ。プールのど真ん中に酒場のカウンターつくるなんてクソ素晴らしいこと考えついたやつって。ぜひとも会いたいもんだ。ちょっと言ってやりたいことがある」
「どうせそいつも男だよ」
「猫耳付きカチューシャを考えたやつも?」
「男」
「あのー……」
「ん?」
「わたし、上に行きたいんですが」
「マジで? でも、上に行く梯子の鍵持ってるやつがいないんだよね。——ちょっと、イザベル! 接客中止! 上の梯子の鍵がほしいんだってさ!」
わかった、と言ってバーをまかされている少女たちは全員カウンターを離れ、猫耳カチューシャもどこかに放り捨てて、好き勝手にやることにした。
果実酒の栓を開け、紫煙をくゆらせ、ヤマネコの狩猟本能とともに遠征し彼女たちよりもずっと華奢な美少年をひとりかっさらって酒の肴にした。
「よーし、ボク。お名前なんての?」
「サ、サビアです」
「よーし、サビア! これ、つけな!」
「な、なんですか、これ?」
「こいつはねえ、猫耳カチューシャって洗脳装置さ。こいつを頭につけて、あんたはこれから語尾ににゃんをつけてしゃべるんだ」
「そんな――」
「どうせあんたもおっさんになったら、こういうのつけてる女の子が好きになるんだから、何事もさ、ほら、社会勉強だと思って、ほれ」
イヴリーは隣にいたバーメイドにきいた。
「あの、上に行く鍵はどうなったんでしょう?」
「大丈夫。そろそろ来る」
酒場の床がすり鉢みたいな音を立て、横にずれたかと思うと、床下からフリル襟に縁取られた太っちょの顔があらわれた。
「おい、お前ら、仕事はどうした?」
「やめちゃった」
と、イザベルが返す。
「なに!? お前ら、ふざけてるのか! お前らがカウンターにいないで、客はなにを飲めばいいんだ!」
「プールの水とか」
「それにおれが徹夜でつくった猫耳カチューシャはどうした?」
「ああ。あれ、あんたの手作りだったの。ほら、いまはサビアがつけてる。はい、サビア、精いっぱいご挨拶!」
「にゃ、にゃーん!」
「お前ら、ラリってるのか?」
「じょーだん! 今のあたしたちは最高に頭が冴えてるよ」
「特にこの気色悪いカチューシャ外してからね!」
「いいか。いまならまだ許してやる。さっさとカチューシャつけて、カウンターに戻れ」
「ごめんだね、ペイロ。そんなにカチューシャ好きなら、あんたがつけな」
「気色悪りぃーィ」
「最後通告だ。カチューシャつけてカウンターに戻れ。さもないとビリャカーニャスさんに報告するからな」
「分かった、分かった、分かりました。戻りますよ、戻ればいいんでしょ? でもさ、ペイロ。その前にちょっと確認したいんだけど?」
「なんだ?」
「あんた、ここから上に通じる梯子の鍵、どっかに落としてない?」
「なに!?」
ペイロは懐をまさぐり、銀でできた鍵を取り出した。
「なんだ、脅かしやがって。ちゃんとあるじゃねえか」
ところが、イザベルはその鍵をサッと取り上げると、ペイロの顔を踏んづけて梯子の縦穴に落とし、二度と顔を出せないようにワイン樽で塞いでしまった。
イザベルは樽に上ると、天井の鍵穴に鍵を差し、扉を開けて真鍮の梯子を引き下ろした。
――†――†――†――
二階で悪魔酒の飲み過ぎで幻覚を見ている狂乱の楽団を昇り過ぎ、塔のてっぺんでセオドアとテオドラは踊り疲れて、それぞれ寝椅子に横になってるところだった。
「わお、見て。セオドア! かわいくってセクシーな子がやってきたよ!」
セオドアはゆっくり起き上がった。
溌溂とした若さに洗練された服装を着合わせて、そこにたっぷりワインと銀紙の吹雪がふりまかれていた。
「ハロー、ちっちゃい子。何の用かな?」
イヴリーはその後、どうして自分でもそんなことをしたのか分からないが、とにかくそのときの彼女は、
「パンケーキは人類を救います」
と、パンフレットを渡していた。
「わお! あたし、パンケーキ大好き!」
「おれもお前が好きなもんなら、みんな大好きさ!」
「これってパンケーキの色?」
「はい」
「すごくスペシャルな色だよね」
「食べたいか?」
「うん!」
「なあ、今度、このパンケーキを持ってきてくれないか?」
「え?」
「顔パスで通るようにするからさ」
「は、はい」
「でも、セオドア。その前に――」
ぞっとするような寒気に襲われ、振り向くとテオドラが空間にできた闇の裂け目から巨大な死神鎌を取り出そうとするところだった。




