第十三話 ラケッティア、死ぬほどうまい。
それはカラヴァルヴァの路地ならどこにでもある店だ。
〈ちびのニコラス〉から歩いて三分のところにだってある。
典型的なスープ屋は店の前にでかい鍋をかけ、肉屋が『クズ』呼ばわりする傷んだ臓物をあちこちから買い集めて、夏はボウフラの湧く雨水桶の水と一緒に煮る。沸騰すると液面を覆い尽くす妙に粘り強いあぶくを掬って冷やしたら蝋燭が作れたって話だ。
たいていはヒゲもじゃの男がスープの番をしている。
いや、ひょっとするとヒゲもじゃの女かもしれないが、とにかくヒゲもじゃだ。
おれの知らないフランチャイズチェーンがあって、そこの雇用条件にヒゲもじゃが朱書きされてるんじゃねえかと思うくらいヒゲだらけだ。
おれはあのヒゲが作ってるスープに入っちまうんじゃないかとひやひやする。
しかも、なぜかスープ屋のオヤジのヒゲはいつだって縮れている。
で、縮れた毛ってのは、ほら、分かるだろ? チン毛によく似てる。
こいつらが股ぐらをごしごし掻いた手でスープを混ぜないって保証はどこにもないわけだし、顔つきが気に食わないってだけでどんな細工をするのか知れたもんじゃない。
ウェストエンドのスープ窟を思い出す。
あんときゃひどい目にあったもんだ。
だが、妙なことにこのスープ屋を見ると、スープが無性に飲みたくなる。
と、言っても、こいつらのスープじゃない。
魔族の居留地を入ってすぐの城壁沿いに――ということはデ・ラ・フエンサ通りとケルベロス通りの連結地点なのだが――そこにはやはりスープ屋がある。
〈闇の力に落ちた精霊の王〉みたいな魔族が天地創りたもうた神に見捨てられた不細工な魚から黄金の脂が浮くスープをつくってくれる。
「魚ん顔面、プリミティブなほど、いいダシが出るんよ。パラヤを見るだや。あんなテリブルんフェイスなんにオーブンで焼いたら、まじサタン、めちゃうまなんよ」
すると、クレオがスープさじを置いて――、
「まあ、おいしいんだけど、震えるほどじゃないかな」
「オー、レッドヘアのブラッダ、ブルブルしたいだや? それならフグの姿焼きンうまい店知ってるんよ。魔王通りの〈大当たり亭〉言うんよ。これ食べると大当たりでブラッダみんな震えて死ぬんだや。で、ちょっとサタンとお話ィしてテン・カウントで戻ってくるんよ。ヒューマンのブラッダも試すといいんよ。マジおいしいんよ。サタンもご照覧だや~」
好奇心でケルベロス通りを下ってみた。
〈大当たり亭〉は食あたり的にも経営的にも大当たりをとっているらしく、前庭のある田舎屋敷風の店はだやだや歓談する美形の魔族でいっぱいだった。
奇妙な造りでホールのど真ん中に井戸があり、そのまわりに厨房があり、そして厨房を包囲するようにテーブル席が五十ほど並んでいる。
コックの帽子をかぶった魔族たちがせっせと料理をしている。
その外見同様、盛り付けにもかなり高い美意識があるが、残念、全部毒である。
客用のスペースは上から見れば、ドーナッツの輪のようになっている。
時折2LDKくらいの広さがある大きなテーブルがあり、そこには本日の目玉料理がどでんと乗っている。
体長五メートルの魚竜がカキ殻みたいな鱗をつけたままオーブンで焼かれ、舌にパセリの束を乗せられた状態で皿の上に横たわっている。
これはバイキングみたいなもので、大銀貨一枚でどこの部位でも早い者勝ちの食べ放題。だが、アレンカに昔きいたのだが、魚竜を食べると呪われるらしい。それもかなりハードな呪われ方で、家系ひとつ潰れる覚悟が必要だとか。
その呪われた魚竜ローストのまわりにはナプキンの端をタートルネックの首元に突っ込んで、ナイフとフォークを手にした魔族たちが集まっている。
もう半分は食べられているが、誰も呪われる気配はない。
いや、よく見ると、魔族たちの頭上に呪いが具現化したらしいものが浮遊している。
アレンカがハードな呪いというだけあって、その呪いどもは紫色のガス状で大きな目玉がひとつぎょろぎょろしていて、きれいな歯並びの口があちこちに開いている。
触手か血管みたいなものを伸ばして魔族たちに憑依しようとしているのだが、ちょっとでも魔族たちに触れると、呪いのほうが断末魔の悲鳴をあげて消え去ってしまう。
「いま、誰かなにか言ったんだや?」
「なんも言ってないんよ~」
「ぎゃ~っ、ってきこえたんだや」
「おいしいもの食べるといつもきこえるだや」
呪術素人のおれにも見えるくらいだから、相当きっつい呪いのはずなのだが……。
魚竜のまわりだけではない。
魔族たちは料理が運ばれてくると、馬十頭分の致死量のかたまりをひと口食べては白目を剥いて痙攣しながらぶっ倒れて死に、きっかり十秒後によみがえって、また食べてぶっ倒れて死に、きっかり十秒後によみがえっていた。
「ククク、なかなか期待できそうだぁ」
「おれは食わないぞ」
「お、おれもです」
「どうして? ちょっと死んで、地獄に挨拶して、現世に戻るだけじゃないか」
「お前の言う通り、ちょっと死ぬだけだがな、椅子が気に食わねえんだよ」
シックな制服に身を包んだ魔族の少女がいそいそと毒ガエルの串焼きを運んでいるところを声をかけ、少々待ってから席に案内された。
その後、メニュー表を見てみた結果、フグの姿焼きが〈大当たり亭〉で一番マイルドな食い物だと分かった。
最小致死量でいうならトラフグの五十倍はあるポイズン・バグのから揚げや食えばかなりの高確率で石化するバジリスクのレバー炒めに比べれば、フグなんて健康食品だ。
いや、まあスクランブル・エッグというのがある――メニューにはただ『スクランブル・エッグ』と書かれていたが、しかしだね――、
【お品書き】
デッド・スコーピオンのハサミ・グリル
サラマンダーの溶岩ソース
ミノタウロスのカブト焼き
ガーゴイルのたたき
季節の毒キノコ盛り合わせ
悪霊の憑依蒸し
スクランブル・エッグ
フライド・コカトリス
皇帝ヘビの活け造り
ターコイズブルー・パンケーキ
――悪霊の憑依蒸しとフライド・コカトリスのあいだに綴られた『スクランブル・エッグ』ほど信用できないものはないのだよ。
おれとヴォンモは仕方なくミネラルウォーターを頼み、クレオはミノタウロスのカブト焼きを頼んだ。
皮を剥がれ、オーブンで焼かれ、これまた舌にパセリをのせられたのはミノタウロスの頭ではなく牛の頭だと自分で自分をだまそうとしたが、頬肉をひと口食べたクレオが痙攣しだして泡をふいてぶっ倒れると、それも無駄なあがきとなった。
そのまま死んだままかと思ったが、二十七秒後にはよみがえった。魔族より時間がかかったが、こっちは生身の人間だから、それを考えれば大健闘のタイムである。
「いやあ、ここは美食の宝庫だ。ククク」
「痙攣してたぞ」
「歓喜の震えだよ」
「体が拒否してんだよ。胃袋から声がきこえないか? 『やめろ、おれを殺す気か!? そっちがそのつもりならこっちもお前を殺すぞ!』って」
「そんなことはないよ。もう、ひと口食べれば――ごふっ!」
バタン!
「吐血したーっ!」




