第十二話 アサシン、うまく立ち回る。
アサシンの職業病のひとつに刃物を見ただけでその寸法が一発分かってしまうというのがある。
来栖ミツルが面白がって、刃物寸法グランプリをやったが四人とも誤差二ミリ圏内まで健闘した。肉に深々と刺した場合は誤差は五ミリに拡大したが、それでも大健闘だ。
だから、ツィーヌは今はなくなったナイフの寸法が頭のなかにあるうちにお誂え向きのナイフを探すことにした。
ただ、このナイフ、買うことはできない。
あとでローデウェイクがどこで売っていたもので、誰が買っていったか商人たちにたずねるに決まっている。ローデウェイクには『お袋に墓石なんてない』などという言い訳は通じないから、必要な情報を引き出すだろう。
それでツィーヌがそのナイフを買ったと吐けば、ツィーヌは第一級殺人罪で逮捕だ。
だから、盗むのだ。こっそりと。
変装くらいはお手の物、とツィーヌは早速、そこいらに転がるボロのなかからまあまあマシに見えるものを買い、頭からかぶった。
「あー、アーッ、ああ……あぁ。よし、こんな感じね。あぁ」
と、あわれな家なき子の声を出せるよう調整する。
拾ったボロはまあまあなものをひろったが、それでも泥のすえた嫌なにおいがした。
はやく帰ってお風呂に入りたいが、ローデウェイクは徹夜でガサ入れを繰り返すかもしれない。
こんなことになって、いったい誰を殺せばいいのやら。
あの死体はもう死んでいるから問題外。
ローデウェイクは殺しても死ななそうなほど威圧感。
では、ポン引きを殺した真犯人は、というと恨みの線からでは、お誂え向きだが、もうアルトイネコ通りから逃げ去って、市外へ街道を走っているころだろう。
やはり全ての元凶はカラヴァルヴァで暴れまくるふたり、セオドアとテオドラを殺すのが筋だ。
しかも、ふたりを殺せば、〈アカデミー〉は身内の問題を外様に解決させたという夢のようなペナルティがつくのだ。
あの不気味な殺気マン、クレオもバカを見るというわけだ。
そのとき、サン・イグレシア大通りにある大聖堂の鐘鳴らしがトチ狂ったみたいに六時を乱打した。
気づけば、街は刃物だらけになっている。
研ぎ屋の石車にあてられて火花を散らす錐のようなナイフ、獣脂まみれの肉切り包丁、抜き出せるのはなにも魚のハラワタばかりではない湾曲した漁師短剣、机にひろげた手の上で度胸比べに使われる軽めのナイフ、スリの元締めが使っている子どもを脅かすときに使う実用性ゼロの大型ナイフ。
泥濘の路地を歩くあいだに見た刃物の数は五十。
どれも大きすぎる、薄すぎる、厚すぎる。
だが、ほしいナイフは向こうから飛んできた。
ツィーヌのボロ切れの裾に刺さったナイフは刃渡りも長さも切れ味もちょうどよかった。銅製の柄をつけていて、多少曇りがあるが、よく磨かれている。
振り向いてみると、ほっそりとした胴着の若者三人がゲラゲラ笑っていた。
ナイフ屋——人を殺す度胸のない連中が娼婦の顔を切ったり、盲目の物乞いから金品を脅し取ったりするのだが、どうやらツィーヌの裾を道に縫いつけたのはナイフ屋のお遊びのようだった。
凄腕のアサシンとして以前からナイフ屋には興味があった。
つまり、彼らにはどれだけの根性があるのか?
ツィーヌはサッとナイフを抜き取ると、そのまま持ち去った。
すぐナイフ屋たちの叫び声がきこえたが、ツィーヌは角を曲がりながらボロを脱ぎ捨て、例の哀れな殺人現場へ。
相変わらず死体は死んだままなので、とってきたナイフをぶすりと刺す。
ナイフ屋たちはやってきた。
自分のナイフが死体に刺さっていて、しかも〈チーズの切れ端〉からローデウェイクが出てくるところだった。
長いコンパスでのっしのっしと迫ってくる〈鬼警吏〉を前に三人のナイフ屋たちができたのは顎を砕かれる前にクソッとこぼすことだけだった。
――†――†――†――
「次はあそこだ」
第二の木賃宿は歪んだユーモアから〈自由牢獄〉と呼ばれていた。
脱獄囚をかくまうには一番の木賃宿であり、そして、ここにはかなりのセヴェリノ人がいる。チンケな盗みから宮廷政治の失脚劇まで、様々な理由でセヴェリノ王国を後にせざるを得なくなったセヴェリノ人がひとまず落ち着く場所でもある。
ローデウェイクがドアを蹴破り、討伐隊は見かけたセヴェリノ人を片っ端から殴り倒し、ポケットをまさぐって、見つけたものを懐に入れた。
コイン、縫い針、火打石、猥褻な絵柄のカード、小瓶に入った火酒、イドの根、美しい女性の絵が入ったロケット。
ここに逃げる途上に親切で泊めてくれた家から盗んだであろう銀食器など換金すれば悪くない値段になるものも見つかったが、残念なことに換金してくれる故買屋は今まさにガサ入れを食らって虫の息になっている。
〈自由牢獄〉にはどの商会ともつるんでいない独立系の故買屋がいて、そのドアが鋼鉄を二枚重ねにした代物だった。
ローデウェイクは建物全体が揺れるくらいの力で鋼鉄の扉を蹴りながら、ツィーヌとジルヴァに三階の端にある部屋を調べるように言われた、というより指を差された。
ノックすると中年女の声で「ここには誰もいないよ!」とこたえが返ってきた。
「おやおや。どう思う、ジルヴァくん?」
ジルヴァはくんくんと空気を嗅ぎ、
「……樟脳のにおいがする」
「よし」
ツィーヌはもう一度ノックした。
「そっちが服の故買なのは分かってるわよ。わたしたち、〈ラ・シウダデーリャ〉のコーデリアの知り合いだから、そっちが大人しく協力すれば、ドアの修理費を払わなくてもいいし、商売の邪魔もしない」
「あんたたち、どこの身内だい?」
「クルス・ファミリー」
覗き穴が瞬きみたいに開いて閉じ、それから七つの錠が解かれる音がした。
「だましたりしたら、承知しないからね」
「はいはい」
入ってみると、そこには服、服、服。服だらけだった。
箱に入った服、吊るされた服、婦人服、紳士服、木綿の服、絹の服。赤い服、青い服。
安いものはひとかたまりに山となり、高い服は用心深く奥に隠す。
そこには十歳の少女から二十代後半の身を持ち崩した仕立て屋が働いていて、高級生地でできた服をバラシて、小物に変えている。
今も作業台では毛皮の外套一着が五つの毛皮帽子に生まれ変わる途中だった。
「高い服は持ち主が警吏に届けを出してるからね。そのままさばくと足がついちまう」
ここを取り仕切っている女が言った。
五十歳くらい。黒い喪服の襟のそばでは頬と首の肉がたるんでいるが、顔のつくりには若いころの美貌がうかがえる。
「言っておくけど、あたしの顧客にはお偉方が大勢いるんだ。それに盗んだものばかりじゃなくて自分でつくることもある。マダム・マリア―ヌがドレスを頼みに来たこともあるんだ」
「つくるって言っても、どうせ生地も盗んだものでしょ?」
「ふん。生きるために盗むんだ。なにが悪いってんだ?」
「わたしたちにそんなこと言われてもね。ところでここは逃げてきたセヴェリノ人もかくまってるんだって?」
女の目が一瞬だが泳いだ。
「そんな連中知らないね」
「だってさ。ジルヴァ。じゃあ、怪しいと思ったところをいっせいので指差すのはどう?」
こくっ、とジルヴァがうなずく。
「じゃあ、いっせいの、せっ!」
ふたりが指差したのは木綿のドレスが隙間なく吊るされた壁際だった。
女は金切り声を上げたが、構わずドレスを押しのけると、中くらいの部屋に出た。
男が十三人、女が八人、粗末な毛布の上に雑魚寝したまま、ひょろ長いパイプをせっせと吹かして、その煙をちゅうちゅう音を鳴らして吸っていた。
服を扱う故買というだけにしては樟脳がきつくにおい過ぎると思っていたが、それもこの煙のにおいを隠すためだった。
「服の故買屋が〈蜜〉まで吸わせてるなんて多角経営よね」
「はやく出ていってくれよ! 生きるためさ! 仕方ないだろう!」
「そんな言い訳、ローデウェイクに通用すると思う」
「なんてこった。ダミアン・ローデウェイクが来てるのかい? クソッタレめ」
「あいつは悪と分かれば、女でも容赦なく殴るって有名だからね。しかも――」
「顔面マジパンチ……」
「グーで殴る」
「グー……」
「ねえ、ジルヴァ。サイズ三十の足の大男が二枚重ねの鋼鉄扉を蹴破るまで、どのくらい時間がかかるかしら?」
「五分?」
「わたしたちがここに来るまで三十秒、開けて入れてから四分。残りは三十秒」
「わかった、なにが知りたいんだい?」
「人を探してる。セオドアとテオドラ。セヴェリノの〈アカデミー〉を脱走した暗殺者なんだけど、ここに来た?」
「ここに来たセヴェリノ人の名前なんかいちいちきかないわよ」
「ローデウェイク~、ここに〈蜜〉が~」
「本当に名前は知らないんだよ! こんなふうに追ってくるやつらがいるから名前は絶対に言わないんだ!」
「若い男と女。殺人現場に『カラヴァルヴァをカモにする』なんて血文字残すほど威勢がいい」
「……心当たりはある」
「どんな?」
「五日前、そんな感じのふたり組がやってきた。二日だけいた。ガキみたいにやたらとはしゃいでた。実際、ガキみたいな年齢だった」
「それはあなたから見た年齢であって、わたしたちからすると年上ってことよね そいつら、〈蜜〉は?」
「いくら勧めても、あいつらは吸わなかった。そんなダウナーな遊びは趣味じゃない、って言って」
「運がよかったわね。そいつら、爆撃魔法使えるから、やつらの機嫌を損ねたら、吹っ飛ばされてたわよ」
「ダミアン・ローデウェイクよりマシさ」




