第三話 ラケッティア、レッド・ヘアー・スペシャル。
夏休みに田舎に行った高校生がナニカを見ると――まあ『八尺様』でも『くねくね』でもなんでもいいが――、それまでのんびりしてた田舎のじいちゃんばあちゃんが突然、顔をクワッとさせて孫の肩をガシッとつかみ「見たのか? 本当に見たのか!?」とがくがくゆさぶり、それからはお寺の和尚を呼んで来いだの、○○ばあさんからお札をもらってこいだので大騒ぎになり、ついでに田舎によくある『本家』の人なんかが来て、高校生はお札を張りまくった部屋にひと晩閉じ込められ、なにがあっても、明日の朝まで襖を開けるなと厳命される。
都市伝説によくあるパターンだ。
いや、田舎の出来事だから田舎伝説なわけだが、しかし田舎伝説なんて呼び名はいきがった田舎のヤンキーが卒業式前日に学校の窓ガラスを全部叩き割ったとかそんな感じの伝説っぽくて、どうもよくない。
しかし、あの手の怖い話では、じいちゃんばあちゃんが地元の幽霊に詳しかったり、和尚さまがこちらサイドの切り札になったりということが毎回起きる。
あーゆーのを読んでると、田舎の年寄りはみんなゴーストスイーパーなんじゃねえのかって気がしてくる。
ああ、ちなみにおれのじいちゃんとばあちゃんは幽霊とかに強くない。
身内の恥をさらすわけではないが、来栖一族には霊感が強いやつはいないが、飲み過ぎて幻覚を見て、それでおれには霊感があるとぬかす親戚は結構いる。
いや、まあ、飲み過ぎで天国が手に握れるほど近づいたのかもしれないが、まあ、どのみち馬鹿だ。
本当に怖いのは幽霊ではなく人間、ってフレーズもよくきくけど、本当に怖いのは人間じゃなくてエチルアルコールですよ、まったく。
そんな来栖一族が自己破産しないのは酒と女、酒とギャンブルといった相乗効果のあることをしないからだ。
彼らは常に酒と酒である。酒の一手あるのみなのだ。
キャバ嬢の酒代を持つなどアホらしいし、馬が走ったりパチンコの玉がチューリップに入ったりしても、体内のアセトアルデヒドは1マイクログラムだって増えない。
とにかく飲ませろ。話はそれからだ。
さて、ただいま〈ちびのニコラス〉の二階から田舎のゴーストスイーパーみたいにマジになってドドドド!と降りてきたクルス・ファミリー武闘派メンツがそれぞれの剣なり刀なり拳なり銃口なりを向けて囲む相手は『八尺様』でもなければ『くねくね』でもない。
殺し屋だ。見りゃわかる。
歳は十八か十九。現代日本なら未成年だが、こちらの世界では成人扱いだ。
ただ、正直、自分の行いについて、どれだけ責任が持てているのかは怪しい。
容貌は一度見たら忘れないほど印象的だ。
月並みな表現だが、血のように赤い髪。で、髪に全部血を吸い取られたみたいに真っ白な肌。顔色なんか紙みたいに白い。
そして目がデカい。異様なほどデカく、それがギラギラと光っている。体が細身で面長な顔は頬がこけているから余計に目立つ。
しかも若干猫背なので不健康なクマに縁取られ垂れた赤い前髪の向こうから大きな目が自然と上目遣いになるわけだが、それがまた薄気味悪い。
まるで水木しげるの世界から抜け出てきたみたいだ。
外見が怪異なだけならツィーヌもそこまで慌てないが、問題はその華奢な体から発散される凄まじい殺気である。
ここまで殺気を隠さないアサシンというのは珍しい。
だってこんなに殺気がみなぎってればどんなに鈍感な標的だって『あ、こいつ、おれを殺す気だな」ってバレる。
だから、腕のいいアサシンは殺気を抑える。
ところが、こいつは全然殺気を抑えていない。
表情こそ無表情プラス軽い嘲笑のツラしてるが、目がぜんぜん笑っていない。
おれを殺しに来たのかどうかは分からないが、そいつはその大きな三白眼をきょろきょろさせると、
「それ、売り物かい?」
と、闇の世界に脳内言語中枢置いてきましたぁ、って感じの気味の悪い声でたずねてきた。
自分に突き付けられた剣、刀、苦無、シャーリーンと名付けられた銃の筒先、握り拳(さっきからアレンカとミミちゃんがシャドーボクシングをしていた)を無視して、目玉野郎が指差した『それ』とは、カウンターの上に置かれたパンケーキ・オイスターだった。
「いや、あれは、その、ね、売り物じゃなくて、試作品っていうか、産業廃棄物っていうか――」
目玉野郎はクククと笑い、
「あれをもらうよ。いくらだい?」
マジかよ?
だって、あのパンケーキ、ツィーヌとクリストフがかじった跡があって、そこからカキが見えてるんだぜ?
「わかってるよ。だから、ほしいんだ。とてもおいしそうだなぁ。ククク」
蓼食う虫も好き好き。
いや、人間も食べるんですよ、蓼。
蓼でつくったお酢で鮎の姿ずしをつくると生臭さがきれいに抜ける。
でも、パンケーキ・オイスターで酢をつくれたという話はきいたことがない、というか、つい今さっきまで、この世にはパンケーキ・オイスターなんて暴虐アイテムは存在しなかったのだ。
そのゲテモノをこの目玉野郎くんは食べたいとおっしゃっておられる。
……いいじゃないか。本人が食いたいって言ってるんだ。
たとえ死んで化けて出たとしても、カレイラトス産のラムひと瓶やれば、お祓いしてくれる酔いどれ司祭をひとり知ってる。
「どーぞ、どーぞ。お代はいりませんよ」
「そうかい? クク、悪いね」
目玉野郎はパンケーキ・オイスターを持ち帰ったが、そうすると部屋のなかに蔓延していた殺気が栓ぬいた風呂の残り湯みたいに消えていった。
やれ、あいつは何者だ?と話が持ち上がり、誰かが――つーか、シャンガレオンが今日は下見に来たんじゃねえの?というと、アサシンたちは、ぶっ殺しちまおう、いまならまだ追いつけると飛び出してしまった。
「殺し屋ねえ。むしろツィーヌの暴力が止まったから命の恩人――(げしっ!)――いてえっ!」
飛び出し際のローキックを食らって転がってると、トキマルが、
「頭領、進歩なさすぎ」
「いいか、トキマル。おれがいた世界にはな、『三歩進んで二歩下がる』というありがたーい言葉がある。いま二歩下がっているのは次に三歩進むための布石かもしれないのだ」
「おれには二歩進んで三歩下がってるように見えるけど」
「ホラ、このカネやるから、お前、眼鏡つくってもらってこい」
「忍びが眼鏡に頼るとか終わってるでしょ」
思わぬ珍客とパンケーキの暴君登場でバタバタした午前は終わりつつある。
そして、ここ〈モビィ・ディック〉で焦がした樽の香りみたいな上品で大人な午後が始まるのだ。
ドアの鈴がちりん、ちりんと鳴った。
ジャックは拭いていたグラスを置いて、短剣に手を伸ばしたが、おれが止めた。
「大丈夫。イヴェスだ」
残業疲れなのかこの世に悪人が多すぎるのを嘆いているのか、イヴェスはお疲れのようだ。
イヴェスは何十年も通い詰めた常連客のようにカウンター席に座ると、
「なんでもいい。強いのをくれ」
と、言ってきた。
くそっ。マジかよ。
マフィアからは絶対に賄賂を受け取らず、井戸の水だって飲むことを拒むイヴェスがジャックに酒くれって言ってる。
しかも勤務時間中の飲酒。
これはタダ事じゃねえ。
失恋したか、グリード級のヤバい事件が発生したか。
「コトレ銀行が襲われた。売り上げのほとんどを奪われ、七人が死んだ」
レリャ=レイエスとオルギンがカネを出し合ってるカジノじゃねえか。くそ。
どこかの命知らずが自分のしてることも分からず、地獄のかまどに火をくべてやがる。
そして、燃え移ったおうちの梁が落っこちる先は善良なラケッティアの頭頂部といつも決まっている。
「死者のうち、ひとりは警吏だ」
そう言って、グラスの〈命の水〉を飲み干した。
つまり、こういうことだ。
どこかの命知らずはカラヴァルヴァで最も凶悪なギャングである警察まで敵にまわしたということだ。
「手の込んだ自殺をしやがる」
「一応、アリバイをきいておこう」
「ずっとここにいたよ。朝から。パンケーキ・オイスターをどういうふうにつくるか考えてた」
「パンケーキ・オイスター?」
と、きいて、イヴェスはすげえ嫌そうな顔をした。
そうだよな。これが正常な反応ってやつだよ。
「まあ、いい」
「いいんかい?」
「今回の事件はよそ者の仕業と見ている。カラヴァルヴァの犯罪者であんな無茶をするものはいないし、あんな強力な魔法や武器を扱えるものもいない。……お前のアサシンたちはどこにいる?」
「お菓子買いに行ったけど?」
「……この二十四時間以内に見なかったか? 人間の体をたやすく両断し、ほんの数秒で骨まで焼けるような魔法を使えそうなよそ者だ」
「知らないな。見たら真っ先に伝えるよ」
と、心にもないことを言った。
見た。目玉野郎。
でも、イヴェスには悪いが、この手のことはおれらの世界で片づけるべきであって、サツの手を借りるべきではない。
そりゃ、警吏がひとり殺されてりゃ治安裁判所が怒るのは無理ないが、こっちはヤクザが六人死んでる。1対6でヤクザの勝ちだ。
とりあえずボスが集まって、話し合いだな。
レリャ=レイエスもオルギンもまさかおれが襲ったなんて思わないだろうが、それでも対策は決めておかないといかん。
骸騎士団絡みの抗争では不干渉主義決め込んで、最悪な結果を招いた。
人間、学習が大切だ。学習して次に生かす。
ひょっとすると、パンケーキ・オイスターだって学習を重ねるうちに成功するかもよ?
あはは。




