第二十四話 騎士判事補、続ヤギヤギ・クエスト。
樽のような胴を包むのは軍服に似た仕立ての二列ボタンのコート。
肉厚の胸を革の剣吊りベルトが交差し、切株みたいにどっしりした長靴には腐って崩れた落ち葉がこびりついている。
刃渡りは短いが幅広の剣を両手に持ち、その猫背気味の巨体から生えるのは巨大な黒山羊の頭。
外側に反った角、大きな耳、かさぶただらけの太い首、歯ぎしりの絶えない凶悪な歯並び。
見るものを恐怖に陥れるその相貌はとてもではないが、草食動物がもとになっているとは思えない。
地下六階、七階と氷漬けの教会風ダンジョンがつづいたところで、今度の地下八階は秋も深まったらしい森のなかへ出る。
天井のかわりに赤く色づいた葉が左右の大樹から綴じ込むように茂り、薄暗い道には様々な色合いの落ち葉と木の実が分厚く積もる。
二人の哲学者が宇宙の始まりについて論じながら歩くのにもってこいの小道も、凶暴な山羊の化け物が足跡を付けたい放題に踏みまくる。
「十六頭だ」
うろつくデビルゴートを草むらに隠れて、やり過ごした後、アストリットが言った。
「なんで分かるんだ?」
隣の茂みから顔を出したグレヴェザがつっかかる。
「数えた」
「同じやつを何度も数えたかもしれないぜ」
「特徴を覚えている」
「嘘だろ。みんな同じに見える」
「だが、違う」
グレヴェザは肩をすくめた。
なんで。
ロランドも是非ともききたい。
アストリットは偽名こそ使わなかったが、ロランドに対しては「初めて会うな。よろしく頼む」と言って、初対面を装っている。
だが、アストリットがこうして出向いたということは何かがあるからに違いない。
それがなんなのか?
アストリットはこっそり教えてくれる様子はない。
しっかしよぉ、とグレヴェザはマントについた木の葉を必死に払う。
「このまま放っておけば、あの山羊頭ども、腰のベルトに人間の生首をぶら下げるのも時間の問題だな」
「その前に討伐を完了したいものですね」
「でも、あの山羊野郎、なかなか手強そうだ。一度に三匹以上は相手にしたくないところだな」
「なら、一頭ずつおびきよせて倒す」
カレンが噛み煙草をペッと吐きだして言う。
「それなら心配いらねえ。ロランドがオトリになってくれるってよ」
「なんで、おれで決定してるんだよ。お前が行けよ、グレヴェザ」
「おれは頭脳労働者なんだ。山羊頭の化け物に追っかけられるなんて、流儀に反する。ほら、弱そうなやつから行こうぜ」
「こいつらに個体差なんてあるのか?」
「そりゃあるだろ。型にねじ込んで作ったんじゃなし」
「お前、さっきこいつらみんな同じに見えるって言わなかったか?」
「おれは過去を顧みない。未来を生きる魔導師なんだよ」
何が、未来だ、ばかやろー。
そうこぼすロランドだったが、エレットとアストリットの視線を感じると、別にいいところを見せようというわけではないが、覚悟はそれなりに定まった。
小道に出ると、かかとで落ち葉の層を除け、×印をつける。
ここまで逃げたら襲いかかれという意味だ。
太いが枝の分かれが低い樹の並ぶ道へ出る。
早速、一匹見つける。
殺したばかりのヘルハウンドの死骸を何かに取りつかれたみたいに切り刻んでいる。
「タチの悪い趣味だ」
死んだモンスターから牙や角を切り取るのはいい。毛皮を剥ぎ取るのもいい。
食べる目的で肉を切り分けてもいい(ロランドが食べるとは言っていない)。
だが、なんの目的もなく骸を刻み続けるのは悪趣味だ。
たとえ、頭が山羊の化け物だとしてもだ。
太腿に縛りつけた鞘から鋼の短剣を抜くと、その刃の先をつまんで、まっすぐ上にふりあげ、デビルゴートの首を狙う。
ザクッ!
投げた短剣は狙いをわずかに外して、長い鼻筋を横断する深い傷を残し、そのまま藪のなかに落ちていった。
「ゴオオオッ!」
怒った化け物がわめき、ロランド目がけて突進してくる。
「そら、こっちだ、山羊野郎! 悔しかったら、おれをその角にかけてみろ!」
ロランドはもう背を向けて逃げ、仲間の待ち伏せしている小道へと走り込んでいた。
血に飢えたデビルゴートが×を踏んだ瞬間、矢と炎、それにベテラン剣士の鋭い太刀筋が襲いかかる。
魔物のすさまじい悲鳴をきき、振り返る。
見れば、山羊の化け物は矢と炎をもろに浴びた左腕が崩れかけ、顔と右脚の付け根に深い刀傷をこさえていた。
ロランドは立ち止り、右の踵を基点にぐるりとまわると、剣の切っ先をデビルゴートの胸に向かって真っすぐ向け、一気に踏み込んだ。
ザスッ! メゴッ!
胸を突き通し、剣をねじると、頑丈な骨格に守られた胸腔から気味の悪い音が立った。
膝をついた巨体に足をかけて、剣を引き抜く。
デビルゴートは炭となった骨を剥き出しにするように横倒しになり、軽い地響きで寿命が極まった落ち葉がバラバラと降りかかった。
「やった、んだよな?」
グレヴェザが足で骸を強めに突く。
「こちらが不意打ちを仕掛けたから倒せましたけど、正面切って戦っていたら、きっとかなり苦戦していましたね」
「はやく離れよう。血の臭いを嗅ぎつけて次が来るはず――」
ロランドの言葉が喉の奥で凍りついた。
小道の終わりにある広場に二匹のデビルゴートが現れたのだ。
「こっちもだ」
アストリットが言う。
小道のもう一方からもデビルゴートが二匹。
「くっくっく」
カレンが笑う。
「なるほど。施療院を怪我人だらけにするだけのことはある」
デビルゴートの恐ろしさはその膂力だけではない。
統率のとれた戦術も脅威の一つだ。
「まんまとはめられたな」
激戦を覚悟したグレヴェザの手がはやくも熱の陽炎をゆらめかせている。
「婆さん、あんた、なんで笑ってるんだよ?」
「あたしの死亡証明書はもう何十年も前に書かれてる。今はやっと埋葬許可証を出された気分さ」
「普段しゃべんねえくせに。あんた、状況が深刻になればなるほど饒舌になるタイプか」
グレヴェザはロランドを振り向いた。
「まあ、一匹は確実に仕留められる。後片付けはまかせたぜ」
バッと指を目いっぱい広げて、両手を伸ばすと虚空から燐光まばゆい光の玉が生み出され、迫りくるデビルゴートの一体へと放たれる。
光が退いていくころには胸に焼け焦げた大きな穴を穿たれたデビルゴートが地響きを立てて崩れるところだった。
ドサッ。
倒れたのは敵だけではない。
消耗の激しい技の代償として、グレヴェザが倒れた。
「グレヴェザ!」
「余所見をするな!」
アストリットが叫ぶ。
前からデビルゴートが二体、後ろから一体、一度に迫る。
カレンが一体を一人で引き受ける。
横薙ぎの二刀をバックステップでかわすと、弦から放たれた矢のように飛びかかった。
ゾゾゾッ!
必殺の三段突きを見舞う。
だが、出血を強いたものの急所は捉えきれず、逆に反撃の振りおろしをレイピアで受け流せず、吹っ飛ばされて、背中から樹の幹にぶつかった。
エレットは気を失ったグレヴェザのそばで膝をつき、立て続けに呪術矢を放つ。
火、氷、樹、稲妻さえ付与された矢は外套の胸に刺さりこそすれ、魔法は発動されない。
外套に呪術殺しの特別な加工がされているのだ。
「そんな――」
呆然とするエレットに、ロランドが叫ぶ。
「ひるむなッ、射ち続けろ!」
「は、はいっ!」
もはやクエストのことなど頭にはなく、生き残るための乱戦が始まった。
すっかり饒舌になったカレンはガレー船で魚の背中を掻いていた時代に覚えたらしい言葉で罵りながら、剣をふるう。
ロランドの相手はもう数太刀を食らって、コートの裂け目が血で黒ずみ、口の端から止まることのない血の混じった泡を吹いている。
合わせた剣を数合遡ったとき、剣をかつぐようにして打ち込んだ胴への一撃が肋骨を折って肺を切ったらしい。
切っ先を敵に向け、剣を握った両手を顔の前に引き寄せる〈鍵〉の構えを取る。
すでに負わせた傷へもう一撃、正確な突きを加えれば倒れる。
エレット! と声をかけ、返事をきく前に飛び出す。
呼吸を合わせた一矢がデビルゴートの顔を襲い、咄嗟に守りの腕が上がって、胴ががら空きになる。
これまで負わせた手傷の一つ一つが目に入った。
ロランドの狙うのは肋骨のすぐ下に開いた傷だ。
デビルゴートのほうは踏み込んできた剣に気づき、後退する。
が、剣術場で禁じ手にされたロランドの左片手突きは魔法のように伸びて、肋骨の下に滑り込み、肺を破って、背骨を砕いた。
皮を引き裂きながら、刃を外すと、次の敵――怒り狂い嵐のように刃物を振り回す山羊の化け物に襲いかかる。
無抵抗の丸太に斧をふるうような無造作な打ち込みで化け物の膝を叩き斬ると、化け物の頭ががくんと下がった。
「その首、もらったッ!」
アストリットの一閃が山羊首を刎ね飛ばす。
頭を失った魔物は二度、三度痙攣した末に落ち葉の海に沈み込むように斃れた。
悲鳴が背後から上がる。
見れば、カレンが自分で斃した魔物の下敷きになっていた。
なんとか引きずり出すと、カレンは時折り痛みに顔をしかめながら黙々と左腕に当て木をし、破ったシャツの切れ端を口でくわえて縛って固定した。
「折れた」
もう興奮も醒めたのか、その一言で説明を片づける。
「こっちもだ」
アストリットの剣は柄から指にして二本分のところで折れていた。
「勝てはしたけど――」
ボロボロだ。グレヴェザは力を使い果たして気を失い、カレンは左腕を折り、アストレットは剣が折れ、エレットの矢は尽きた。
もはやクエストどころではない。
退却しなければならない、が――、
「新手か」
デビルゴートが二体、それに見たことのない敵が一体。
三輪の車体の上に煙を吹く汽罐と呪鍛した鋼の魔導炉、機械仕掛けの曲刀、連射式クロスボウ、青く長い刃の上に固定された焼夷兵器がただ殺戮の効率のために組み合わさった鋼鉄と機械の魔法生物。
それが車輪をガラガラ鳴らしながら、間合いを刈っていく。
さて、問題は文字通り血も涙もないこの怪物にやられても半殺しで済むのかどうか。
まだほんのわずかでも戦える余力があることを自分に認めると、ロランドは十字型の鍔を顔の前へ引き寄せて、剣を真っ直ぐ立てて、誓いがわりに早々に生存をあきらめた。
そして、四人が逃げるための時間を一秒でも多く稼ぐために突っ込み、エレットの制止する声をききながら、戦いの高調のなかに意識を飛ばした。




