第三十話 アサシン、耳にタコ。
ファンクラブを使ったラケッティアリングとはいえ、こんなに目立っては正業に支障が出る。
正業とはもちろん暗殺である。
〈マンドラゴラ〉に押しかけて、わちゃわちゃやった後に強引に帰されたが、その前にマリスはちょっと噛みついた。
「あんなにボクの真似っこが出ると困る」
「世の少女たちの解放を望む声は思ったよりデカいですな」
「目立ち過ぎ。ボクがアサシンなの忘れてない?」
「いいか、マリス。イタリア系マフィアの世界では殺しだけではやっていけないのが現実だ。ほら、アイドルが歌とダンスだけではダメでコントや演技が求められてるようなものだ。その点、マリスは殺しプラスアルファがついた。ファン・ビジネス。もっと喜んでいいぞ。うん」
「顔が売れすぎるのはねえ」
「マリス、マリス、マリス。ちょっと考え方をひっくり返してみようぜ。そこいらじゅうに自分のそっくりさんがウジャウジャしていたらさ、天下の大通りで大勢が見てる前でぶっ殺しても、目撃者は赤いベレー帽にぴっちりしたズボンの女の子が殺したくらいしか言えない。そんな子、それこそウジャウジャいるわけだから。1985年12月のマンハッタンで――」
「ステーキハウス〈スパークス〉の前でガンビーノ・ファミリーのボス、ポール・カステラーノが手下のジョン・ゴッティに殺されたんでしょ。ゴッティが用意した四人の殺し屋はロシア人みたいな格好をしてたから、目撃者はみんなそのことしか思い出せなかったって。もう百万回はきいたよ」
「おおっ! やっと覚えてくれたか! マフィア文化が浸透してくれて、お父さんは嬉しい」
「なにさ、ボクがキスしたときよりも嬉しそうに」
「だって、あれはマリスがアレサンドロ謹製空飛ぶパンケーキに乗ろうとしてたときの『行ってきます』のキスだろ?」
「さあ、どうだったか」
〈マンドラゴラ〉から追い出される前にそんなやり取りがあったのだ。
大会宿舎の、マットレスが豪華すぎる気もする寝台に靴とゲートルをつけたまま仰向けになり、これまで何度もきかされた来栖ミツルのマフィア話をいくつか思い出してみた。
麻薬を拒みスロットマシンで財をなしたフランク・コステロ。
砂漠の真ん中にカジノをつくったバグジー・シーゲル。
ドン・ヴィンチェンゾの元ネタといわれるサルヴァトーレ・マランツァーノ。
そして殺人株式会社代表取締役社長のリトル・ニッキー・レンジリー。
「まったく。ボクもしょうもないことばかり覚えてるなあ」
床屋で殺されたアルバート・アナスタシア。
レストランで殺されたジュセッペ・マッセリア。
ステーキハウスのすぐ前で殺されたポール・カステラーノ。
「そりゃ、ボクは暗殺を生業にしてるんだから、普通の女の子って言うつもりはないけど、でも、普通の女の子はこんなこと覚えたりしない。というか、普通じゃないアサシンの女の子だって、こんなこと覚えたりしない」
が、こんなこと覚えても何の役にも立たないとは言えない。
なにせ来栖ミツルのラケッティアリングの発想の源泉は過去のマフィアたちにある。
そして、それを利用してとんでもない利益を上げている。
つまり、先達の故事をうまく生かしているということだ。
「まあ、そういうところは素直にすごいと思うけどさ」
と、相手を認めただけでなんだか頬が赤くなった気がする。
ボクもウブだなあ、と他人事みたいに言っている。
「それとヨシュア。女の子の部屋に入るときはノックは絶対」
ちょうど蝋燭の灯が届かない部屋の隅の暗がりのなかから影そのものから生み出されたみたいにヨシュアがあらわれた。
「これは同業の興味としてきくが、いつから気づいていた」
「カーテン揺らしたでしょ」
「窓は開いていたし、風もあった」
「外にいるとき風を感じたからってその風が必ず部屋のカーテンを揺らすとは限らない」
「参考になった」
「どういたしまして。ありがたいと思っているんなら、マスターから手を引いて」
「それはできかねる」
「どうしてそんなにマスターが好きなんだい?」
「お前は言えるか?」
「マスターはお馬鹿だし、っていうかマフィア馬鹿でいつもあっぷあっぷしてるけど、あれでいてやるときはやるし、それに優しいし。それも悪者の優しさってことだけど、ってボクがこたえるんじゃなくて、そっちがこたえるんだよ」
ヨシュアは開いた窓枠に腰かけ、外を眺め、目を細めた。
手練れの暗殺者がそんなふうな目つきで外を見たら、誰か賊が入り込んでいると思うものだ。だが、ヨシュアは質問のこたえが外のどこかにふわふわ浮いているのを探すようにも見える。
「悪に惹かれる」
と、簡潔にこたえる。
「悪党なんてたくさんいるんだから、そっちにちょっかい出してほしいもんだね」
「来栖ミツルの悪は他の悪と違う。悪の色の下に、なにか温かい下塗りを感じる」
「きみが絵画評論をするとは知らなかったよ」
「ふん、茶化したければ茶化せばいい。そういえば、さっき宿屋に押しかけたとき、なにか話していたな」
「別に大したこと話してない。ボクの真似っこが増えて困るって話」
「ああ、あのファン・シュリンプとかいうやつか」
「ファン・クラブね。きみだって他人事じゃないだろう?」
ヨシュア親衛隊は近衛師団と名を変えつつあるほど拡大していた。
世の男性方には面白くないかもしれないが、彼女たちは本気であり、決して少なくない少女たちがアサシン顔負けの慎重さを持って、大会参加者宿舎に忍び込み、ヨシュアにキリング・ミー・ソフトリーを要求してくるのだった。
それに対し、ヨシュアは――、
「女と子どもは殺さない」
と、簡単だがイケメンが言うと恐ろしく映えるセリフで返したので、親衛隊員の恋慕はますます大きくなっていった
「正直、迷惑だ。おれの心に決めた人はひとりだけ。来栖ミツルだけだ」
「ボクは絶対に許可しない」
「そう言うな。お義父さん」
「ボクはお義父さんなんかじゃないぞ、バカ。ほら、さっさと出てけ」
ヨシュアは肩をすくめ、まだ少女たちが潜んでいる自分の部屋に戻ることにしたが、その前に、
「もうひとつ話していただろう。誰かが誰かを殺したとかいう話だ」
「ああ、ジョン・ゴッティがポール・カステラ―ノを〈スパークス〉の前で殺したって話。もう何度もきいたから暗唱できるくらいだよ。それがどうかした?」
「いや。別に」
と、言って、ヨシュアは出ていったが、マリスはヨシュアが去り際に見せた微笑になにか陰謀めいたものを感じたのだった。
ただ、今日はもう疲れた。
なんだかいろいろあった気もするし、なかった気もするがとにかく疲れた。
ふと、タバコはそうした疲れをいやす効果があるときいた。
マリスはベッドの下に押し込んだフリエタの平らな箱を取り出し、端を今や知らぬものはいない方法でサクッと切ると、燭台の火でフリエタをつけた。
すると、部屋に穏やかで心が広くなれる香りがひろがった。
大会会場ではいくら吹かしてもこんな香りは感じなかった。
どうやら、狭い空間でくゆらせるとフリエタの煙の香りがはっきり浮き出てくるらしい。
来栖ミツルはお馬鹿だが、趣味はいい。
それだけは、いや、それだけではないのだが、まあ、認めておこう。
マリスの脳細胞はカラヴァルヴァに帰った後に他の子たちにどうやってこのフリエタを自慢しようか(なにせマスター自ら、絶対に似合うからともらったプレゼントだ)、そのキャンペーンを支える有効なスローガンを考えるといういかにも少女らしい運動にかかりきりになった。




