第二十三話 ラケッティア、脅しと寛大のボキャブラリー。
すげえ人気だ。
ヤバいぐらいの人気だ。
なにって、マリスのシガリロ・カッターだよ。
その日のマリスの対戦相手は三度のメシより殺しが好きそうな、というか三度のメシをろくに食ってなさそうなサイコパス剣士だったのだが、マリスはこいつと向かい合うと、まず剣を指二本分だけ抜いて、下からフリエタの吸い口をスパッと切った。
で、そのあと、懐に入れていた真鍮ケースのなかの真っ赤な鉄綿でシガリロに火をつけ、サイコパスをあっという間にあの世に送ったのだが、そのときの歓声のヤバいのなんの。
マリスを追っかける少女たちの特徴はマリスのようになりたがるという点にある。
現状打破の要求だ。
このファンタジー世界、女は黙って家で家事をしろ的な保守的家父長的価値観が幅を利かせているし、修道院が事実上、花嫁訓練学校となり、セックスは穢れたものであるという考えに凝り固まった花嫁をどしどし世に送り続けているのだが、そんな女の子らしさとお別れしたい少女たちのなんと多いことか。
そんなわけでマリスそっくりの格好――二十個のボタンで留める黒革のゲートル、裾を短めにしたジャケット、闘牛士みたいにきつきつのズボンとシャツに赤いベレー帽をした少女たちがあの煙草を売ってくれとファンクラブに押しかけた。
少女たちはさらにマリスと同じ剣をほしがった。
「あの剣と同じものつくれる?」
「それができたら、あんたらに武器の輸送隊を襲えなんて言わないさ」
ヴィクトルの言うことはもっともだ。
だが、このビジネスチャンスを逃すつもりはないらしい。
「代替品をつくれないか検討はしている」
「サンプルができたら、すぐにくれ。今度、マリスが葉巻吹かすときはそのサンプルで吸い口を切らせる」
スラッシュにある工場のひとつではすでにシガリロ〈フリエタ〉が大増産中だ。
葉巻愛好家の子ども労働者たちはどうしてジャスミン・ティーで葉巻をつくるのかさっぱり分からないといった顔だが、カネになるのだから、黙ってつくってもらおう。
セディーリャが帳簿を持ってきた。
マリスの試合では2対1で突きが勝ったが、昨日の斬首の記憶がギャンブラーたちの脳裏に残ったらしく、結構賭けが散った。
おかげで金貨81枚の儲けだが、ファンクラブはマリスのだけで金貨229枚の儲けが見込まれる。
それにディアナ、ロムノス、ヨシュアのファンクラブの利益も合わせれば、金貨500枚の儲けは固い。
現実日本でもファンのグッズ購入は使用、保管、布教の三要素で買われるが、それはこちらの世界も同じこと。
各ぬいぐるみは飛ぶように売れているし、フリエタはもう在庫を全部売りつくしてしまった。
こんなんじゃブッキーする意味ないじゃないかとよい子のみんなは思うかもしれないが、ブッキーは憧れもあるのでやめられない。
現世ではもうコンビニでくじが買える時代だから違法ナンバースやノミ行為はすっかり廃れてしまったが、そうなる前、ナンバースとブッキーはマフィアのクリーンな稼ぎの代表格だった。
麻薬や売春、労働組合を通じたピンハネに比べると、ナンバーズとブッキーは禁酒法時代の密造酒と同様、あんまり人に迷惑かけていないとみなされた。
どちらも小さくやろうと思えば小さくやれるが、郡単位で丸ごと囲い込むほどの大規模なブッキーになれば、年に二百万ドルの利益は堅いと言われた時代もあったのだ。
いまのところ、ファンクラブとブッキーは両立できるし、準決勝、決勝と扱う額がデカくなるのは間違いないのだから、たとえ利益で負けていてもブッキーは続ける。
さて、葉巻工場の衝立で区切った部屋にはおれとセディーリャとヴィクトルが帳簿を開いて、減らせる支出や資金洗浄に利用できそうな費用がないか調べていた。
とはいえ、葉巻ブームの到来が近く、とても楽観的になっていたので、おれら三人、すっかりくつろいでいた。
セディーリャとヴィクトルは本物の、おれは例のロミオを吹かしながら、ありあまるカネをどう使おうか贅沢な悩みに頭を抱えていた。
いや、実際、問題がないわけではない。
ヴィクトルたちが革命したがる理由を思い出してほしい。
彼らは一部の商人としか取引できないのだ。
それをおれたちはぬいぐるみとフリエタを大っぴらに買い付けた。
これまで独占的な商売してきたやつらが文句を言うのは目に見えている。
ハンス・ルッツというすばしこい何でも屋の少年がひとり、さっと衝立ルームに飛び込むと、マントイフェルのクソ野郎が来てる、と伝えてきた。
「マントイフェル? 誰だ、それ?」
と、おれがたずねると、ヴィクトルが、
「聳え立つクソの山さ」
「あまり好意的ではないようですね」
「そりゃあ、おれたちのつくるものをもう二十年以上、けなしながら買い占めてるんだ。好きになれってのが無理なもんだ」
「ヴィクトルの旦那。追い返しますか?」
「さあて、どうしたもんかなあ」
「いいじゃないか。呼びつけて、酒の肴にしよう」
と、酒の飲めないおれ。
マントイフェルはなるほどお上品な男らしく、ヒゲと手袋と靴の裏に香水をふりかけた野郎だった。
それでも加齢臭はごまかしきれていないが、聳え立つクソの山にしてはまだマイルドなにおいなのかもしれない。
そばに連れているふたりの子分は帯剣していた。
どうもこの街では商談に剣を持ち込むことが流行っているようだ。
「久しぶりだな、ヴィクトル・イーヴォ」
「そうでもねえぞ。お前、先週やってきて、うちがつくった鍋を買っていっただろ? ゴミ入れにしかならねえって言ってな」
「そうだったかな?」
「ああ、そうだ。で、なんのようだよ」
「噂をきいたんだ。おれの聞き間違いだと思うんだがな――」
と、マントイフェルはちらりとおれのほうを見た。
光栄なことにこの富豪さまは初めて、おれが存在することを認めてくださったらしい。
「あんたがつくった品をよそ者の商人に卸したって噂をきいたんだよ」
「なあ、マントイフェル。おれから買ったゴミ箱は売れたかい?」
「在庫を抱えて四苦八苦しているよ。いいか、この街でお前らがつくったものを買ってくれる奇特な人たちのおかげでお前たちは暮らしていけるんだ。そういう人たちに対して、お前ら、最近、感謝の念が足りないんじゃないか?」
「そりゃおかしいな。上の街でも最上級の料理屋があるだろ? ほら、こないだ大公の母ちゃんがそこのシチューをメチャ誉めしたって店。そこのシェフがおれたちのゴミ箱を買ったって話だぜ。看板メニューのシチューを煮るためにな。しかも、そのゴミ箱をシェフはひとつ金貨一枚で買っていったそうじゃねえか。高い高いと文句言っていたが、絶妙な熱加減はそのゴミ箱でしかできないから仕方がないってあきらめてるらしいぜ。それにお前の倉庫だけど、すっかり空っぽで仕入れ担当がなにか保管できる売り物がないか探して四苦八苦してるって話もきいた」
「お前、おれの会社にスパイを送り込んでいるのか?」
「失礼、根が卑しいゴミ箱づくりなもんでね。でも、そのゴミ箱づくりのつくったゴミ箱を銅貨三十枚で買って、金貨一枚で売るお前はゴミそのものじゃねえか」
「おい、口に気をつけろよ。ヴィクトル。この街じゃな、階段から足を踏み外してそれっきり消えちまうやつが大勢いるんだ」
「そりゃ脅してるのか?」
「そうだ。文句あるか?」
ヴィクトルはおれ、続いてセディーリャを見た。
で、セディーリャはおれを見た。おれはうなずいた。
ヴィクトルは肩をすくめた。
「まあ、いいや。で、ここにはおれを脅してタマを縮み上がらせるために来たのか?」
「いや、商談をしにきた」
そこで、おれはマントイフェルがまだ立ったまま話しているのに気がついた。
あんまり長居してもらいたくない客なのは確かだが、もしヴィクトルが咄嗟に殴りかかるつもりなら座らせておいたほうがやりやすいだろうと思い、マントイフェルに椅子をすすめた。
「そこに座らないか?」
マントイフェルはおれを無視したが、結局座った。変な野郎だ。
「それで、マントイフェルの旦那。商談ってのをきこうか?」
「お前、今度のことで葉巻や人形をつくってるな?」
「おれは実業家だぜ。なにかつくるのが仕事だ」
「その品だがな、おれが買い取ってやってもいい」
「寛大な申し出だな」
「こっちが提示するのはぬいぐるみがひとつ銅貨二十枚、葉巻が一本銅貨一枚だ」
「相場の十分の一ってところか」
「そうだ。それにこれからお前がつくるものはみんな相場の十分の一で買い取る。これは商工会議所の決定だ。お前が無断でよそ者に商品を卸した報いとしてな。全部タダで奪い取っちまえって意見もあったが、お前も知っているとおり、おれは寛容な男だ。少しは銭をやらないとお前らはすぐに逃げちまうと思って、買い取り取引の形を維持してやった」
「ありがたいねえ。商工会議所のお歴々によろしく」
「さて、取引成立だな。荷をもらおうか」
「ちょっと待ってくれよ、マントイフェル。おれはその取引に乗るようなことを言ったか?」
マントイフェルは人間存在そのものが最大最笑のジョークなのだと気がついたニヒリストみたいに大笑いした。
「お前に選択の余地があると思ってるのか?」
どうなんだろうなあ、とヴィクトルがおれにたずねたので、おれはぬいぐるみを大銀貨一枚、フリエタ一本を銀貨一枚で買い取るつもりだと伝えた。
香水のふりかけすぎのせいか、マントイフェルの顔色は変わりかけの信号機みたいにチカチカめまぐるしく変わる。
ノーと言われ慣れていない権力者はみんな顔が信号機になっちまう。
その点、おれなんて、権力あるはずなのに思い通りにならないことだらけで、今だってヨシュアがおれをものにしようと狙っておれのタマを縮み上がらせ、カラヴァルヴァじゃミミちゃんが変態だし、トキマルはぐうたらしてるし、ロンゲのイケメンたちはおれの想像の及ばない狂い方をしていて、とにかく大変なのだ。
「この……よそ者野郎が……。お前がカラヴァルヴァでどれだけ大物でも、ここじゃただのよそ者だってことが分からねえのか?」
「なに言ってんの。おれはよそ者だよ。だから、よそ者らしく現地住人には敬意を払って取引している」
「敬意を払う相手を間違っているぞ」
「そうは思わないけど」
「いいか、この街から生きて帰りたかったら、商売から手を引け」
「もし、断ったら?」
「階段が割れて、谷底に落ちるかもしれねえぞ」
これだ。この手のやつらはこうなのだ。
脅しひとつするにしてもボキャブラリーが貧相なのだ。
「それは脅しか?」
「そうだ」
このボケがノコギリで崖から突き出た板切れをギコギコやっている光景が浮かんだ。
「なあ、ちょっと待ってくれよ。おれはここにビジネスしに来たんだ。なにもヴィクトルがつくるものを全部買い占めるつもりはない。あんたが買いたいなら、おれと同じ値段でヴィクトルから買うことができるんだ」
「このガキが。このおれと同じ立場に立てると思ってるのか?」
「というより、あんたがおれと同じ立場に立たなきゃいけない。なぜなら、おれの立っている場所以外の全ては底なし沼だ。変な意地を張って、おれと違う立ち位置にいれば、あんたは沈んで、窒息死しちまう」
「お、おれを脅してるのか!? このクソガキ!」
「いや、脅してるんじゃない。懇切丁寧に頼んでるんだ。どうかお願いだから、おれと同じ条件でヴィクトルと取引をしてくれ。おれにボタンを押させないでちょーだい、って」
「ボタン?」
「それを押したからって、今すぐどうにかなるってことはない。少なくともあんたはこの工場から自分の足で歩いて出ていけるし、スラッシュからも安心して立ち去ることができる。家に帰って、メシ食って風呂入って女房とファックしてベッドに入ることもできる。だが、あんたは明日の朝、目が覚めたら、ベッドのなかでバラバラになっている。あんたは眠ったまま死ぬ。と思ったけど、やっぱり朝日は拝ませてやることにした。バラバラになるのはその後だ。いたぶるのはなし。すぐに死ぬ。最期の瞬間、あんたがきくのがこの音だ」
おれはフリエタの端っこを鋭いナイフでスパッと切った。




