第十七話 ラケッティア、あきんどの意地。
スラム街のある崖のへこみのひとつにビリングス・スラッシュというへこみがある。横に長く伸びたへこみで奥行きは五メートルか七メートルしかないが、横の長さが多少の起伏はあるが、三百メートル以上。
地元の人間がただ『裂け目』と呼んでいるその岩棚はリヴォンブルクの工業地帯として機能している。
リンゴみたいに赤い下りどころの夕日差しが照らすスラッシュの道沿いには木製スチームパンクよろしく機織りの音がガタンガタンと湧いていて、そうした崖堀造りの工房のひとつには仕事を終えたばかりの九歳くらいの織工がパイプに高山植物混じりの安タバコを詰めていた。
隣に老人がいたので、孫が手元の怪しい老人のかわりにタバコを詰めているのだと思ったが、すぐそのガキんちょは鉄のカンテラから火を失敬すると自分でぷかぷかやり出した。
「まあ、そんな美談が通用するところだとは思ってなかったけどさ」
おれとセディーリャが歩いていたのはそういうタフな街だった。
この数年沈みかけの太陽しか拝んでいない人びとが鋳物やレンガ、布、糸をつくってはべらぼうな安値で買い取られ、パンの価格が上がったりした日にはハンマーで割らなきゃいけないほど固いビスケットで食いつないできたのだ。
「さて、もうすぐだ」
セディーリャは例の革命家に合わせてくれるといって連れてきたのはぬいぐるみ工場だった。
奥行き二メートル、左右三十メートルというお寺の廊下みたいな工場でそこでは本来ならば、ぬいぐるみで遊んでいるくらいの年齢の子どもたちがせっせと綿を詰めた人形をつくっている。
かわいそうに児童就労だと思っていたが、その製造スピードは明らかに熟練労働者のそれだし、ちょっと休もうとすると、決まって懐から取り出すのは博多明太子くらいの太さのある葉巻である。
それをブルックリンの魚市場のオヤジばりに吹かして、おいら(あたち)はぬいぐるみ遊びは卒業したといわんばかりににやりと笑う。
「葉巻は全部スラッシュで消費する。上のやつらにはもったいない」
「でも、ここじゃ崖の高山植物をタバコの葉に混ぜてるんじゃないのか?」
すると、その男はガキんちょみたいに葉巻を吹かして、にやりと笑った。
「寒冷地でも育つ最上級のタバコの葉は崖にしか生えないんだよ」
と、言うなり、そばの子どもが作り終えたぬいぐるみをひょいと取り上げ、おれに放り投げた。
正直、鍵とか一口サラミとかを投げられてそれをキャッチするのはヘタクソなのだが、ここで落としたらかっこつかないなと思って頑張りました。
で、そのぬいぐるみ人形だが――ロムノスを三頭身くらいにした代物だ。
それが真面目そうな眼をして口をきゅっとへの字に曲げているので、またよく似ている。
短い腕はなにかを抱えるような形になっていて、しがみつき機能があるらしい。
「なかなか上等なもんだろ。上のほうにスパイを送って、しっかり観察させた」
「ああ。これと同じものを一日にいくつ作れる?」
「三十」
「もっとつくれないか?」
「無茶を言うな。他の人形も三十ずつつくってるんだぞ」
「こっちは一週間足らずで革命を起こすんだぜ」
すると、男は葉巻をとって、にやりと笑った。よく笑う口だ。
頑丈そうな顎に無精ヒゲを散らし、オレンジ色のバンダナを巻いたこの男が革命グループの中心人物であるヴィクトル・イーヴォ。
セディーリャの話ではこのイーヴォはスラッシュの顔役で他にもいくつかの工房を経営しているらしい。
つまりブルジョワ革命家ということになるが、その外見はどう見たって荒くれ剣士だ。実際、若いころ、と言ってもまだ三十代だが、剣士として放浪したこともあるらしい。
それに居住区制限でスラム街を出られないが、あちこちに息のかかったものがいるから、このスラッシュにいながら、金持ちたちの街の動向を金持ちたち本人よりも先につかんでいる。
同じ商人でもフォン・メドフとは対象的だ。
「おれたちが望むのは別に国の支配じゃあねえ。そんな七面倒なものは貴族どもにくれてやる。おれたちが欲しいのは適正価格さ。スラッシュでつくったものは独占的な商人どもが安く買いたたく。おれたちは法律が邪魔して、そいつら以外に品物を卸せねえんだ。それになにが一番むかつくかってあいつらはおれたちのつくったものを買いたたくとき、必ずおれたちの品物をけなす。クズみたいな品なんだから買ってやるだけ恩に着ろって言うんだよ。あれが一番殺意が湧くな。おれたちのつくる品物はどこの国の産物と比べても負けやしねえ。それを分かってるから、強欲な政商どもはおれたちを囲い込みにかけようとする」
「葉巻なんてここでしか見ないしな」
「だろう? おれたちは自分たちがつくったものを誇りをもって好きなやつに売りたい。こんな簡単な願いを叶えてくれりゃあ、こっちは革命なんかから足を洗うさ。ところが、フォン・メドフを筆頭に強欲な政商とそれにそいつらと結びついた貴族どもはそれを許さねえ。アホな連中だぜ。譲歩ってもんが分からねえらしい」
ヴィクトルの言うことには一理ある。いや百里ある。
この『わくわくロムノスちゃん人形』だって非常に良い出来だ。
とくにケモミミとふわふわ尻尾の触り具合には並々ならぬ技術とこだわりを感じる。
『どきどきマリスちゃん人形』や『きびきびディアナちゃん人形』、『きらきらヨシュアちゃん人形』だって、それぞれの表情をとらえていて、きっと凶暴なファンクラブのみなさんは喜んで買っていくだろう。
「じゃあ、早速ビジネスの話だ。こっちはあんたたちがつくったぬいぐるみをひとつにつき大銀貨一枚で買う準備がある」
「それで白銀貨一枚で売るのか?」
「いや、大銀貨一枚で売る」
「それじゃ儲けにならねえだろ」
「それがなるんだな。書類の上ではあんたたちはぬいぐるみを90個売るところを100個売ることにする。そして、その差引10個分をファンクラブ運営委員会のファングッズ買い取りエージェントであるこのセディーリャへ個人的にキックバックする。それでおれたちは使えるカネがぬいぐるみ十個分増える。グッズ製造はぬいぐるみに限らず、カバンなり食用油なりつくってもらって、それを買うたびにキックバックをもらう」
「よく分からんが、まあ、いいさ。それで商業革命が成功するならな。ただ、こっちの条件についても知ってもらわないと困る。ちょっと来てくれ」
――†――†――†――
スラッシュからさらに奥の坑道には地下水脈があり、その落水を利用した製粉所がある。
スラム街を上の街の従属的立場にとどめ置くため、スラム街でパンをつくることは禁止されているのだが、スラムの住人たちはこっそりパンを焼いていた。
極秘の製粉水車と極秘のパン焼き窯があり、パン焼き窯の排気口から流れる香ばしいにおいはふたつの崖のあいだに開けた場所へと導かれ、乱気流でバラバラになる。
この秘密のパン工場がある限り、スラムの人間はギリギリの生活ができる。
「この場所に案内するのはそっちのセディーリャと、そのセディーリャが信用していいと言ったあんたを信じてのことだ。万が一、ここが上の連中バレるといろいろ厄介なことになる」
そこはパンこね場で屈強な男たちがせっせとパン生地をこねている。
大きなベージュ色のかたまりに腕を突っ込むたびに筋肉が脹らみ、血管が皮の下から追いやられ、ぷっくり浮かび上がる。
その大部屋の端に衝立で区切られた部屋があり、そこには仕立て屋によくある胴体マネキンが鎧を着せられて突っ立っている。
「公国軍のごく一般的な鎧だ」
と、前置きしてから、テーブルの上にあったナイフを取り、思い切り鎧の胸を突いた。
ナイフはぐにゃりと真横に曲がり、鎧にはほんの小さな引っかきキズが残るだけ。
「これがおれたち革命軍の主力武器なんだよ。酒で身上を崩した釘打ち専門の鍛冶屋がつくったものだが、これじゃお話にならない。この鎧が温めたバターみたいに簡単に切れる剣が必要だ」
セディーリャは手帳を取り出し、尖らせた木炭の端をなめた。
「具体的にどのくらい必要ですか?」
「剣が五百、鎖帷子が六百、鋲を埋め込んだフレイルが三百。フレイルは百姓が使うような殻竿じゃなくて、柄の長いきちんとした軍用のやつだ」
「いつまでに用意すればいい?」
「今夜中」
「それ、ジョークだよね?」
「割とマジだ。実はさっき言った武器が今夜、まあ、あと数時間後にリヴォンブルクの軍倉庫に納入されることになってる。こいつを横取りすれば、おれたちは武装し、やつらの武器がなくなるわけだから一石二鳥だ」
「うちの武闘派メンバーが全員大会宿舎に泊まってる」
「力ずくでやれとは言ってない。頭を使わないとな」
ヴィクトルが角に真鍮を打ちつけた箱を開ける。
なかには聖院騎士の外套が詰まっていた。




