第二十話 ラケッティア/騎士判事補、演出する。
地下六階。
青く凍りついた教会は裏切られた信仰の証なのだろうか。
太陽から遠く隔たれたにもかかわらず、階層はさわやかと誤解する光に満ちている。
氷漬けになった側廊、祈祷祭壇、聖具室、女神像に光が反射して影は六つの方向へ走って消えた。
ロランドからすると、初めて見る階層だ。
グレヴェザは世知に長けたところを見せ、ここまで何度も来たことがあるかのようにふるまっているが、氷の床を歩くときの足の運びがひどくぎこちない。やはり、ここまで来るのは初めてなのだ。
エレットは柱の陰に吹きだまった粉雪をすくいあげている。
「エレット、どうかしたのか?」
「いえ。昔、雪合戦をしたことを思い出してました」
「へえ。女の子でもやるんだ。雪合戦」
「お兄さまが握った雪玉にぶつかれる貴重な機会を逃すはずはありません」
「そう来るか」
「でも、お兄さまは生まれついての優しさと紳士的稟性でわたしにぶつける雪玉はぶつかっても痛くないよう、とても柔らかく握るのです。男の子に当てる雪玉は石のようになるまで押し固めるのに。それで、わたしは男の子のために握ったお兄さまの雪玉に当たりたくて、何度も当たりにいったものです。だって、もしお兄さまが固く握った雪玉に当たったら、お兄さまは勝負を捨てて心配して駆けつけてくれます。ああ、そんなお兄さまの必死な顔を近くに感じたい。わたしを傷つけたかもしれないと心配するお兄さまの心臓の鼓動と共鳴したい。そう思うことは罪でしょうか?」
グレヴェザが、別に罪じゃねえけど、と口をへの字にする。
「その話、他ですんなよ。アタマおかしいと思われるからな」
「お兄さまの美と優しさにあてられた人は誰でもおかしくなってしまうんです」
グレヴェザがロランドを見る。
その視線はこう語っている。
お前、よくこれを我慢できたな。
ロランドも視線でこたえる。
正直、限界だった。被害が分散して助かってる。
ブラコンの相手は疲れるのだ。
そんななかで超然としているのが、カレンだ。
グレヴェザは相変わらず婆さん呼びをしているが、ロランドとエレットは名前が分かったので名前を呼んでいる。
このパーティが地下六階まで来ることができたのはカレンの剣技に依るところが大きい。
年齢が体力を削っているのは間違いないが、老練な技術と判断力がそれを補っていた。
それに剣さばきが遅いわけでは決してない。
ひとつ前の階で豚鬼と対峙したとき、反撃を許さない乱れ突きでオークのつけていた革のベストをなかの胴体ごと蜂の巣のようにしてしまったからだ。
「どこで剣を覚えたんですか?」
前衛として雪の迷路を歩きながら、ロランドがたずねる。
「ガレー船」
そう言われて、次の句が継げなかった。
何かで罪を得て、ガレー船で漕刑囚になったということだ。
ガレー船での漕刑は一日のうち眠る以外の五分の四を巨大なオールで海を叩き船を前進させることに費やされ、少しでも動きが遅れると鞭が降る。
酷使された体は日に日に衰え、生きて刑期を満了できるのはほんの一握り。
カレンはその一握りだったということだ。
「あの、すみません。思い出したくもないことをきいてしまって」
「気にしていない」
カレンはちらりとロランドを見て、
「運が向かないこともある」
と、だけ言った。
これ以上はきかないでおこう。
そう思い、見通しのいい氷の廊下を警戒し始めたとき、グレヴェザが後ろから声をかけてきた。
「そういやよ、ロランド。おれ、今日、ダンジョンに潜る前に面白い噂をきいたんだよ」
「なんだ、それ?」
「それがな――」
グレヴェザが咄嗟に言葉を切り、次の瞬間――、
バリッ!
尖った氷の破片がロランドの頭上で炎とともに破裂した。
グレヴェザがアチチと手をバタバタふって、撃ったばかりの炎の残り火を散らしている。
「もう一発来る!」
左へ飛び込んで、転がる。
投げつけられた氷柱が凍りついた灌木の並びを九柱戯のピンみたいに薙ぎ倒していく。
立ち上がりながらの抜刀し、突然、ぬっとあらわれた敵の白い影を三度、逆袈裟に切り下げる。
ところが一太刀目と二太刀目は相手を捉えたはずなのに刃は表面をずるりと滑る。
ザクッ!
三太刀目で浅いながらも、やっと手ごたえ。
「下がれ!」
そう叫ぶと同時にカレンの手がロランドの襟ぐりをつかみ、後ろへ引きずり戻す。
ロランドを追って巨大な赤い手が迫る。
ひゅんっ、と風を巻く音。
巨大な手から鮮血が噴き出して、動きが止まり、怒りの咆哮がツララを振り落とす。
カレンの瞬速の突きが指の股を深々と裂いたのだ。
「踏み込み過ぎだ」
ロランドを後ろへ転がしたカレンが一言つぶやき、雪に突き立てた短剣を左手で抜いて構え直す。
スノーマン。
大男ほどの背丈ですら不釣り合いに見えるほど大きな赤い顔を持ち、刃を受けつけない白い剛毛で体を覆われた魔物は凍てつく息を吐きながら、血の垂れた手で氷塊をしっかりと握っている。
もし、グレヴェザとカレンがいなければ、今ごろロランドの体は粉々に砕けていただろう。
だが、ひるんでいるヒマはない。
ロランドも立ち上がり、切っ先をあいだに挟んで、〈敵〉と対峙する。
――†――†――†――
相談役。
ボスの知恵袋だ。
ゴッドファーザーではこの知恵袋を非イタリア人が務めていて、そこにマフィアのイタリア人体制をうまい具合に表現していた。
知っての通り、うちのファミリーはボスと殺し屋しかいない。
ショバ代を納めに来るやつは大勢いるし、カトラスバークに出来上がった出口案内人ギルドもおれのことを真のボスのような形で見ているが、どれもクルス・ファミリーの正式組員ではない。
「というわけで、善良な偽造文書屋エルネスト・サンタンジェリがクルス・ファミリーに加入するにあたって、演出をする」
さあ、良い子のみんな。あっつまれ~!
来栖先生のわくわくマフィア教室がはっじまっるよ~♪
生徒は四人のアサシン娘。段取りはあらかじめ教えておくに限る。
「まず、衣装を整える」
「あのアサシンウェアを着てもいいのか?」
「許可する。今回は儀式性重視だ」
「で、どんな儀式なの?」
「まず、気心の知れたオーナーが経営するレストランの奥にある特別室を貸し切る。うちの場合は〈ちびのニコラス〉ということになる。そこに主なメンバーが立会人として集まるが、まあ、この場合はお前ら四人がそれになる。で、テーブルの上にマフィアの商売道具である銃とナイフを置く。銃は、あれだ、おれが殺されかけたときに手に入れたやつを使う」
「ナイフはボクのを使ってくれ。切れ味抜群だ」
「アレンカのほうが切れ味がいいのです」
「どうしてもっていうなら、わたしのは毒塗りナイフ使わせてあげるわよ」
「わたしも……」
「残念なことにナイフはおれがもう選んで買ってある。これだ」
細身のスティレット・ナイフ。
おれの選んだナイフに四人は嫉妬してあれこれチャチを入れた。
「刀身が細すぎる。こんなもの、レイピアで叩けば、すぐに折れるな」
「これで刺しても傷が小さいので致命傷にならないのです」
「血流しの溝もないし、だいたい華がない」
「安物……」
「儀式に使うだけだから、これでいいの! ――コホン、とにかく、これと銃をテーブルの上に置く。そして、ファミリーに入るにあたっての約束事をあれこれ教える」
「自分のカノーリには自分の名前を書く」
「名前を書き忘れたら食べられても文句を言わないのです」
「名前の書いてあるおやつを食べた場合は窃盗と見なす」
「厳罰……」
「もっと大きなお約束! だいたい、お前ら、おれの名前書いたケーキは平気で食うじゃないか」
「マスター。よく言うでしょ? 甘いものは別腹。マスターのおやつも別腹なの」
「よくわからんジャイアニズムみたいなこと言いやがって。まあ、この話は保留。先に進む。ファミリーに入るにあたってのお約束を読んだ後、人差し指をピンで刺して、血を少しだけ流す」
「質問だ。なぜ、人差し指なのだ?」
「いい質問だ。それは引き金を引く指だからだ」
「ボクは納得いかないな。剣を握るうえではむしろ小指が重要だ」
「却下。小指というとヤクザを思い出す」
「ヤクザ? それはなんなのですか?」
「おれがいた世界の悪いやつら。そいつらの世界ではヘマをするとケジメといってな、自分で左手の小指を切り落とすんだ。……お前ら、そんなヒィーみたいな顔してるけど、お前らがやってることのほうがずっとえぐいぞ。まあ、とにかく、小指を切り落として、迷惑かけた相手にホントすいませんでしたって、いくらか包んで、小指をそえて謝る」
「お金と小指を一緒に送る? 嫌がらせにしか思えない」
「おれもそう思う」
「受け取った小指はどうするの?」
「さあ。ヤクザ事情はあまり詳しくないから知らないな。ホルマリンにでも漬けて、金庫にしまいこんでるかもしれん。そんなわけで小指はなし。人差し指で行く。で、その人差し指から血を滴らせるんだけど、なんか宗教関係のお札はないかな? できれば、女神とかが描かれているのがいい」
「一枚持ってる。これだけど――」
「おっ、ツィーヌ。これはなかなかいいぞ。雰囲気出てる」
「それをどうするの?」
「人差し指から血を垂らした後、エルネストの手の上で燃やす」
「ヤケドしちゃうのです!」
「もし、ファミリーを裏切ったら、自分はこの女神のカードのように焼かれても構いません、って儀式なんだ。まあ、ヤケドが心配なら、そこは何か魔法のアイテムを使う。ツィーヌ、ヤケドを防ぐ薬とか膏薬とかあるだろ?」
「はいはい。つくっておくわよ」
「で、手のひらでカードを燃やしたら?」
「それで儀式は終了」
「あっさり終わったのです」
「問題はこの儀式が秘密の儀式だってことだ」
「〈ちびのニコラス〉の奥の部屋なら誰にも見られないさ」
「いや、まあ、建て前は秘密だけど、こっそり誰かに見てほしい。で、クルス・ファミリーってのは独特の入会儀礼があるちょっとイカした犯罪組織なんだってところを漠然と広めたいんだ」
「秘密にしたいけど秘密じゃ困る? うー、アレンカにはチンプンカンプンなのです」
「それとなく、エルネストが相談役になることを街に流して、好奇心旺盛なやつが一人か二人、儀式をやる部屋を盗み見るようにできればベストだ。エルネストには手紙を出して、あらかじめどんなことをするのか教えておく。他に何か質問は?」
「特にない。なんだか楽しみになってきた」
「エルネストもアレンカたちと家族になるのです」
「はあ、薬の材料あったかなあ。あー、めんどくさい」
「ツィーヌ、嬉しそう?……」
――†――†――†――
エレットの放った二本の矢がスノーマンの足の甲を貫き、地に突き刺さる。
弓術士の呪い矢は寄生樹に姿を変え、根を張り、縛りつけ、スノーマンの足を完全に縫いつけた。
「ゆくぞ、ロランド!」
「はい!」
刃筋を立てたロランドの払いが、飛び違いざまにスノーマンの胴を薙ぐ。
すでにカレンは剣を小手うちで返して、顔へ雷のごとき一刃を叩き込んでいた。
純白の毛皮にどす黒い血が飛び散って、魔物は大きく口を開けて、立ったまま絶息した。
「これで最後か」
「ああ。今のはヤバかったな」
スノーマンの毛で刀身の血をぬぐうと、ロランドは剣を鞘に納めて、その場で座り込んだ。
「おい、どうした?」
「疲れて立てない。しばらく休むぞ」
「いいんじゃねえの? おれも座る。別に急ぐもんじゃない」
「そういえば、何を話そうとしてたんだ?」
「何って、なんだよ?」
「おれが知るか。面白い噂をきいたって言ったのはそっちだ」
「ああ、あれか。別に大したことじゃない。ダンジョンの元締めのクルスが新しい幹部を迎えるとかで入会の儀式を――」
「いつ! どこでだ!」
「なんだよ、お前。もう立つ気力もないんじゃなかったのか?」
「相手がクルスなら話は別だ。それで、場所と時間は?」
「今夜だよ。〈ちびのニコラス〉で」




