第六話 元剣士、シャベル剣術。
ルゾーが四と六を出したので、九以下の目を出せばよかったのにルージンギンが出したのは五と六。
これで最後の銀貨が消えてなくなり、ルージンギンは髭のなかでもぐもぐ悪態をつきながら席を立った。
鉱夫酒場を出ると、粗悪なワインのせいか目がくらんだ。
サイコロに見放され、赤ワインが目を血走らせ、常に人より利き腕一本分だけ不幸な身の上にはうんざりしている。
だが、サイコロの目を自在に操る技術などないし、酒はやめられないし、腕は生えてこない。
腕をなくして以来、ルージンギンは人間は複雑すぎると常々思っている。
せめてナメクジくらいに簡単なら腕も生えてくるだろう。いい生き方だ。ただ塩にだけ注意すればいいのだ。
だが、残念なことにルージンギンは人間だった。
かといって、複雑さの恩恵はまったく受けていない。絵が描けるとか音楽ができるというものはない。
ルージンギンができる複雑なこととは剣だった。利き腕を呪い病で失うまで、彼は人間としての複雑さを剣技の呼吸に還元して、名の知れた剣士となり、大公の護衛を務めたこともあるのだ。
だが、それもみな過去の話。
ルージンギンの毎日はつるはしを振るい、トロッコを押し、サイコロと安ワインでその日の稼ぎを使ってしまう。
鉱山とリヴォンブルク市街のあいだにある鉱夫街はその日の作業が終わった男たちであふれかえり、他にも娼婦、金貸し、犯罪者がそれぞれの考えで動き、カネを儲け、カネを使う。
肉屋の前に大きな鍋が吊るされ、ソーセージや切り落とし肉が焼ける音がきこえてきた。
文無しだと思っていたが、ポケットを探るといつ食べたのか分からないカチカチのパンの食べかけが見つかり、さらに銅貨が一枚あった。
肉屋の前に行き、鍋のなかを覗き込む。
豚の血で黒くなったソーセージ、香草漬けにした肉が油でぱちぱちと焼かれ、焦げがだんだん付き始めている。
食べごろになった肉が次々と売れていくと、ルージンギンはかたくなったパンを取り出し、肉屋の女将には銅貨一枚を渡した。
パンは肉汁の溶けだした油を吸い込み、ひたひたになって帰ってきた。
肉の焦げがこびりついて香ばしく、脂のおかげでそれなりに腹持ちがよい。
「ルージンギンさん、大会に出るって本当ですかね?」
質問に質問で回答するのは愚か者の証だという説は知っている。
それでもルージンギンは肉屋の女将にたずね返さなねばならなかった。
「大会ってなんの大会だ?」
「剣術大会じゃないの」
「おれは登録してないぞ」
「でも、スタクスの店には登録された剣士の名前が並んでいて、そこにあんたの名前もあったって」
「……ディウトはいるかい?」
「いますとも。あの子は裏手でシャベルをふりまわしてるよ」
肉屋の裏手には古い鎧の胸当てに向かって、斬り下ろし、突き、胴払いを繰り返す少年がいた。
まだ十三歳で顔には幼さが残り、それを鍛錬で消せると信じている若さがまばゆい。
「あ、先生!」
肉屋の息子ディウトはルージンギンに気づくと、シャベルを地面に突き立て、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「先生の言われた通り、打ち込み稽古をしてました」
それはボコボコになった鎧を見れば分かる。
この打ち込み稽古はまとわりつくディウトを遠ざけるために適当に言ったものだ。
どうせ剣士ものの講談をどこかできいたのだろうと思い、退屈な修行を言い渡せば、そのうち飽きる。
そう高をくくっていたが、本当に言われた通りシャベルをふりまわすとは予想外だ。
そして、もっと予想外なのはルージンギンの名前がスタクスの店に登録されたことだ。
「ディウト、おれの名前を大会に登録したのか?」
「はいっ。登録がまだだったので、代わりにしておきました」
「登録し忘れたんじゃない。登録しなかったんだ」
「でも、先生ほどの剣士がどうして大会に出ないんですか?」
「ひとつ、おれはもう五十三だ。ふたつ、剣がない。そして、最後のが肝心だが、おれには利き腕がない」
「でも、先生はおっしゃいました。たとえ腕が一本であろうと、剣士の魂までもぎ取ることはできない。その魂がある限り、剣士は剣士なのだ、と」
言った覚えがなかったが、たぶん酔っ払ったときに大ボラを吹いたのだろう。
剣士の魂はとっくの昔に失われ、いまはろくでなしの魂、別名負け犬の魂がその座を占めている。
「おれは他になにか言ってたか?」
「はい。剣はなくともシャベルがあれば戦える。リヴォンブルクの剣の祖はシャベルなのだと」
これは言った覚えがある。うっすらとだが。
もともとリヴォンブルクで剣が流行ったのははるか昔、たぶん二百年くらい前、気の荒い鉱夫たちがシャベルで殴り合う喧嘩を始めて、より相手を確実に殴り倒せる方法を編み出そうとしたのが始まりだ。
最初のうちはシャベルを使っていたが、多少はカネのある鉱夫が本物の剣を買い、使ってみると、しっくりくる。それとみなが真似て剣を持つようになり、リヴォンブルクは世界でも有数の剣術都市になった。
しかし、それは歴史であって、現実では剣術大会でシャベルを持ち込むやつはいない。
持ち込んではいけないという決まりはないが、持ち込んだら大恥をかくのが目に見えている。
取り下げないといけないが、ディウトはルージンギンのことを生きた伝説みたいに見上げてくる。
「やりづらいなあ」
でも、待てよ。
大会に出て、無様に負ければ、ディウトもおれにまとわりつくのをやめるかも。
「よし。分かった。出よう」
「本当ですか、先生!」
「ああ。まあ、いっちょやってみるか」
まあ、これも悪くないな。純真な子どもの期待を裏切るだけのやさぐれがあれば、簡単だ。
なにより、その状況に流されるような解決法がルージンギンの人生をあらわしたようだ。




