第十一話 魔法剣士、蛇のお腹からこんにちわ。
その森では水の上に木漏れ日が写し取ったみたいにのっている。
透明な水のかたまりは深い底の岩のあいだから湧き出すので、水面が乱れる心配はなかった。
静寂の水の上、神秘の水に根差す幽玄の樹々のあいだを古い道が走っていた。
道といっても、土手を盛り上げたようなものではなく、木の杭を打ちこんで板を挟んだような道で、それがときおり石畳に代わることはあったが、街道と呼ばれるものは皆無でそんな造作に人を拒む様子がうかがえる。
そんな森の主ともいうべき大蛇が腹を上にして、浮き島の上にひっくり返っている。
その口から吐き出されたのが三人。
サアベドラと〈インターホン〉、それに――。
「いやあ、助かったぞ、若人たちよ。危うく蛇の腹のなかで養分となって消えるところだった」
妙に元気な老騎士。
サアベドラはあきらかにがっかりしている。
水銀の森に入った変わり者とはこの老人のことであり、ヤクの売人はいないのだ。
「じいさん、いつから、あいつの腹のなかにいたんだ?」
「さあな。かれこれ三日か」
「三日! よく消化されなかったな」
「このご先祖さまより受け継いだ鎧のおかげだ」
すっかり茶色に錆びたその鉄鎧はおそらく蛇の消化液に浸る前から錆びていたに違いない。
ちょっと動くと鉄板の継ぎ目から錆びクズがこぼれた。
それにバーベキューに使えば、百人分の肉を焼けそうな大きな盾。
髭も眉毛も兜に隠れた髪も真っ白だが表情は少年のように溌剌としている。
とっておいたチーズケーキを食ってやったくらいではへこまない明るい気性はサアベドラには眩しすぎるらしい。
「これは失敬。自己紹介が遅れたな。我輩は騎士ドン・ミゲル・デ・ロロコ。ロロコ荘園の領主にして――」
その後、ドン・ミゲルは彼が所属している三十あまりの騎士団の名を上げたが、どれもきいたことのない騎士団だった。
「それであんた、ここでなにしてるんだ?」
「この森には魔物が巣食うというのでな、どれ退治してみようと思って――そこの少女、なにやら気落ちしているが、どうかしたのか?」
「いや、なに、彼女はあんたがヤクの売人かなにかだと思ってたんだ。ぶん殴る相手があらわれたと喜んでいたんだが、あてが外れた」
「ふむ、少女よ。麻薬を憎むか。それなら、この森に――」
と、ドン・ミゲルは言葉を切って、盾を振り上げた。
枝を削って尖らせた矢が跳ね返り、宙を相手に踊るように飛び、水のなかへシュッと泡をひとつ引いて消えていく。
弓の使い手たちは重く垂れ下がる緑の枝葉に擬態して思わぬ方向から矢を飛ばすが、ドン・ミゲルの盾と剣が全てはね返し払い落す。
すると矢は浮き島に刺さり始め、無臭のガスが水を噛んだ音を立てながら抜けていき、島が沈み始める。
水の上を走る木道は一本だけでそこを逃げれば、当然待ち伏せされているだろう。
枝葉から飛び降りる影――葉が鱗のように細い体を覆い、手足は節だらけの木の枝でできたこの魔物は専門家のあいだでは『樹人』と呼ばれていた。
人間に対しては友好とは言い難く、森に入った人間は狩りの得物でしかない。
おまけに彼らは木の実などの植物食であり肉は食べないから、純粋に楽しむために殺すというわけで、樹人を退治するためにときどき騎士団が懸賞金付きの遠征に出ることもある。
森のなかは彼らのテリトリーであり、そこで樹人と戦うのは無謀だったが、サアベドラは規格外だ。
木道から足のバネの力だけで飛んで、五メートル離れた水面から生える樹幹にしがみつくと、おてんば姫の木登りといった様子でサアベドラの姿はするすると樹冠まわりの茂みのなかに消えた。
と、思えば、森全体が揺れるような白兵戦が繰り広げられて、頭上の葉全てが揺れた。
バキバキと枝を折る音が続き、ほんの数秒の静寂がやってきて、また枝が立て続けに折れる音、そして、サアベドラは厄災の星のごとく降ってきたのだが、その両脇には樹人を抱え込み、左足は別の樹人の胸を踏み抜いている。
巨大な水柱が上がり、その波紋が森全体に広がっていくが、その中心からサアベドラが顔を出す。
木道によじ登ると、サアベドラはこんなものを見つけたといって、樹人たちが持っていたらしい雑草の繊維でつくった袋を取り出し、中身を〈インターホン〉の大きな手にあけた。
「このねじくれたカビみたいな花、これはイドか。それもかなりデカい」
「我輩が言いたかったのはそれだ。この森には邪悪な魔法使いがいて、そやつは樹人を使役してイドをつくっている」
「このあたりのイドの供給源よ。潰せば、少しは世の中まともになる」
サアベドラは頭に斜めに刺さっていた矢を引き抜き、ふたつにへし折った。




