第十八話 ラケッティア、雷属性。
「ああ、その子なら覚えてるよ」
インクの匂いがする仕事部屋。
相変わらずのコーヒー党エルネストはさっき挽いたばかりだという豆でとびっきりの一杯の淹れた。
「いまどき魔法契約書の偽造なんて持ち込む人はいないからね。張り切ってつくったんだ。そっちは? 最近の調子はどうだい?」
「悪くない。おれから盗んだ馬鹿をとっちめて、あんたに会いに行く途中で犯罪組織を一つつくった」
「好調で何より」
「あんたも。五体満足なところを見ると、無事、ウェストエンドから脱出できたんだな」
「ああ。まったくひどいもんだったよ。元からひどい街だったけど、メッタ刺しの死体が道の真ん中に当たり前みたいに転がるほどじゃなかった。ヴァレンティ・ジュニアはただのバカで、自分で金の卵を産むガチョウをつぶすような真似ばかりしている。でも、ヴァレンティ商会は規模が大きいからね、フライデイが簡単に負かせる相手じゃない」
「ギルドの屋敷はどうなったかな?」
「ぼくが発つときはまだきちんと立っていたけどね。きみたちの恨みを買ってまでして、あそこに押し入ろうとするやつはいないし、火をつけるやつもいないよ」
「でも、またずいぶん辺鄙というか人の入りづらいところで商売を始めたな」
「よき文書偽造屋のもとには仕事のほうから寄ってくるものさ、と言いたいところだけど、立地が悪すぎてね。偽造よりも代書の仕事のほうが多いくらいだ。代書の仕事は退屈だね。つくった書類がオリジナルになってしまうから」
「そんなら、うちへ来ないか? 実はダンジョンで八百長を仕組んでて、それが結構うまくいってる。人は増えてるし、脛に傷持つやつらが集まって住んでいる区画もあるんだ。それに冒険者ってのはダンジョンで得た儲けについて、あれこれ書類を交わす。だから、あんた向けの仕事も出てくると思うんだ」
「それはいいね。ここの仕事場を片づけたら、すぐに引っ越そう。ところで、もうかなり遅いけど、宿は取ったのかい?」
「いや。まだだ」
「じゃあ、うちに泊まるといいよ。この家、二階と三階に使ってない客間が三つもあるんだ。雨もやみそうにないし――」
ゴロゴロゴロ。
「雷も」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
――†――†――†――
「うー、腹いっぱいだ」
はりきって腕をふるった鶏のスパイス・リゾットと玉ねぎのスープ、それに丸パン二つが腹にこなれて、どっしり重くなった体をベッドに落とす。
寝台にはバネがきいていて、布団もふかふかだ。
エルネストの客間と大銀貨六枚払った宿屋の部屋はどちらも同じくらい快適と言っていい。
違いがあるとすると、宿屋の額縁には小麦畑とか春の大雨で増水した川とか、他愛のない風景画がはまっているが、エルネストの客間には偽造した結婚証明書がはまっている。
他にも偽の営業許可証とか偽の私掠認可状とか偽の異端審問所逮捕令状とかが飾ってある。
偽造書類を我が子とかわいがるエルネストからすれば家族の写真を飾る感覚なのだろう。
それにしても、今日はよく悪事を成した。
泥棒どもをションベンちびるほど脅し上げ、怪しげな地場産業を犯罪組織に作り変え、最高の腕を持つ文書偽造屋をダンジョンへと呼びこむのに成功した。
毎日、これくらいの悪事を成せれば、投資した金貨六千枚はすぐに取り返せるだろう。
収益は右肩上がりで、医療インフラは順調に稼働していて、冒険者がどんどん集まってくる。
たぶん次の月は上りが金貨で六百枚か七百枚になるだろう。
そういえば、あのあたりをもともと持っていたブノワンとかいう貴族がおれとの売買契約を無効にできないか必死に知恵を絞っているらしい。
あの土地があんなに化けたもので欲が出たのだろう。
変なちょっかいかけてきたら、ぶち殺すのもいいかもしれないが、まあ、当分は何もできまい。
ダンジョンが繁栄して人が集まったおかげで、まわりの土地に権利を持つ貴族たちにもカネが転がり込んでいる。
家屋の需要が高まれば材木が売れるし、宿屋や酒場は大量のワインを欲しがっている。
小麦もじゃがいももいくらでも売れるし、羊肉も喜ばれる。
こうしたもの全てが周囲の貴族の土地の産品であり、そのおかげで貴族たちは宮廷で贅沢するカネをなんとかひねり出すことができるようになった。
もちろんブノワンは貴族だから貴族同士でつるんで階級闘争に打って出るかもしれないけど、大事なのはどちらのほうがカネになるかだ。
ただ、ブノワンの従兄は異端審問官だという噂もある。
教会を買収するなんて、やり方は見当もつかないが、準備だけはしておいたほうが――、
ドカピシャ! ゴロゴロゴロ……
うおお、今のは近かった。窓ガラスがびりびり震えた。
中世ヨーロッパ風世界に避雷針はあるのかなあ。
まあ、城壁の塔が一番高い建物だから落ちるなら、そっちに落ちると思うけど。
ピシャ! ゴロゴロゴロ……
ちょっと遠のいた?
ズドドガピシャ! ゴロゴロゴロ……
やっぱ近い! やばっ、めっちゃテンション上がる!
室内から見る台風とか雷ってなんでこんなにテンション上がるんだろ?
まあ、土砂崩れ起こしそうな崖のそばとか水っぺたに住んでたらシャレにならんけど、ここには洪水の心配がないし。
ドドン! ピシャ! ガラガラガラ!
「うおっ、最高記録三発連続! この記録はそう簡単には破れないだろう――」
ドドン! ドン! ピシャ! ガラガラガラ!
「と言っているそばから、四発いただきましたぁ! この雷どもはいったいどこまでおれを喜ばせれば気が済むんだっ!」
トントン。
「ん? なんだ、急に雷の音が小さくなったな。ひょっとして鼓膜破れちゃった?」
トントン。
「ああ、ノックか。どうぞー、開いてるよー」
てっきり子煩悩なエルネストが夜中、唐突に湧き上がった衝動を抑えきれず、すごく出来のいい偽造書類でも見せに来たのかと思っていた。
だから、覆面を取り、くまのぬいぐるみをぎゅっと抱きかかえたパジャマ姿のジルヴァの姿が目に入ったときは腰を抜かすかと思った。
「ふぁっ!?」
「マスター……一緒の布団にいても、いい?」
「か、雷、怖いの?」
ジルヴァはすごくためらったが、
ズドン! ピシャ! ゴロゴロゴロ……
音と閃光に体を震わすと、小さくこくんとうなずいた。
「……いい?」
「え、あ、ああ、大変粗末なお布団ですが、よろしければお入りやがりください――」
いろんなことが一度に起こりすぎて、おれ言語中枢めちゃくちゃです。
マリスたちはジルヴァが眠るところを見たことがないと言っていた。きっとあの黒装束に覆面のまま、立って寝るんだろうと思っていたら、くまのぬいぐるみとピンクのファンシーなパジャマという二段構えに雷が怖いというヤバい属性を乗っけてきて、こちらを殺しにかかってるだけでもヤバいのに、今、同じ布団にもぞもぞと入ってくる。
普段からおれはスケベだ、エロいんだと大口叩いたけど、今現在、面と向かう度胸がなくて、ジルヴァには背を向けて寝ております。
うわーっ、ヤバい! 何がヤバいか言葉にできないけど、とにかくヤバい!
背中に人肌の温かさ、ヤバい! おわーっ!
「……マスター?」
「ふぁっ!」
「マスターは、雷、平気?」
「へ、へいきです」
「マスターは強い……」
「いえ、もう、全然強くないです。ミジンコ並みです」
「マスターがいた世界にも雷はあった?」
「ありましたよ、ええ、ありましたとも。お腹だして寝てたらオヘソとられるって言い伝えがありましてですね――」
ぎゅっ。
間違いない。今、この子、オヘソおさえてる。
つーか、顔を見せることすら嫌う冷徹なアサシンが実は雷怖くて、寝るときはぬいぐるみのクマちゃんがいないと眠れなくて、今もこうして、オヘソを押さえてるってどういうこと? 普段は垣間見せない乙女が炸裂? これ、大丈夫なの? おれ、後で追徴課税とかされない? ほら、人生ってゼロサム・ゲームじゃん? プラスがでかいとやっぱマイナスのデカいのもドカンと来るでしょ?
と、錯乱していると、トドメの錯乱材料が容赦なく投下される。
ぎゅっ。
ジルヴァはおれの寝間着の裾を小さくつかんだ。
「……みんなには、内緒にして」
内緒って何を? どれを? 雷が怖いこと? 寝るときはピンクのパジャマにクマのぬいぐるみを抱いてること? 一人で寝るのが怖くて、おれの布団に入ってきたこと?
馬鹿野郎! 全部まとめて沈黙の掟に決まってるだろ! この来栖野郎!
――†――†――†――
台風が空気中の塵を全部さらってどこかに行くと、日の出は途方もなくきれいになる。
薄青の空で雲がオレンジに色づいて、太陽というのは世界最高の宝石なのだということを光と色彩で叩き込まれる。
こんなきれいな朝で一日のスタートを切ることができるのは幸福だ。
――ただし、一睡もしていない場合を除く。
ええ。寝れませんでしたよ。それが、何か?
だって、これまで隙を見せたことのないジルヴァが何もかも隙だらけにして、おれの隣で寝てるんですよ?
こっちは寝返り一つ打てず、ひょっとして、おれ、明日の朝、口封じに殺されるかもって思ったくらいですよ、はい。
さて、ジルヴァの手が相変わらずおれの寝間着のすそをぎゅっと握りしめてるから、首だけなんとか動かして、振り向くと、ジルヴァの寝顔がそこにある。
「すー、すー」
心の底から安心しきった寝顔。
この寝顔を見ていると、おれ風情が安眠に貢献できるならいくらでも寝不足になってやりますよ、って気になれるのがすごいところだ。
アサシン少女の不意打ちはそれだけの価値がある。
まあ、試す機会があれば、試すといい。
しかし――、
「こうしてみると、普通の女の子だなあ」
やっぱり普通の女の子の暮らしに憧れることもあるのだろうか?
こればっかしは心の底でも覗かない限り分からないし、それを無暗に知ろうとするのはヤボだってのもわかってる。
わかってはいるんだけど、気になるなあ……。




