第三話 騎士判事補、クライム・サンクチュアリ。
聖院騎士団ロンデ支部の騎士デマルコが今回の作戦を統括することになっていたが、どうもこれがよくない。
慎重さが足りないのだ。
彼が司令官なのだから、わざわざ最前線の見張りに出てくる必要もないが、それはまだいい。
問題は望遠鏡だ。
真鍮製折り畳み式で全部伸ばせば、一メートルになる。
「よく見えるのだ」
「確かにそういう望遠鏡はよく見えますが、相手からもよく見えます。こちらの監視が暴露される可能性があるんです」
「問題はない。きみはきみの仕事をしたまえ」
これ以上、問答しても通らなさそうだし、このまま丘の上にいて、相手に見つかるのも面白くないので、ロランドは丘を裏のほうへと下る道を取った。
右手のふもと、少し離れたところにアーモンド畑があり、その向こうにある雑木林に第一部隊が待機している。
同じような部隊が五つあり、それぞれに五人の聖院騎士と五十人の兵士が所属していて、クルスの葡萄園を包囲していた。
カラカラに乾いた埃を巻き上げないよう注意しながら、丘の肩を下り、秘密の地下監視所をふさぐカモフラージュの灌木を持ち上げた。
この秘密の監視所はクルス・ファミリーの葡萄園で全国のボス会議が行われると知ったその日から作成し始めたもので、職人を雇うとそこから情報が漏れると思い、ロランドとイヴリーとアストリットの三人で掘った。
かがんで歩かなければいけない狭い道を八歩進むと、地下の部屋に出る。
そこは葡萄園に面した部屋で小さな穴を開けて、そこから葡萄園の門と玄関、さらにデマルコ司令官の位置からは見えない右手の庭園まで視界におさめられる。
観測窓は使わないときは内側から天人花の茂みを押し出して、巧妙にカモフラージュしていたし、望遠鏡のレンズが反射しないよう、奥行きをもって穴を開けている。
それに小さなテーブルにはインクと帳簿、それに蝋燭がちらちら燃える角灯がひとつ置かれていて、会合に参加したボスの名前や馬車、服装などを書きとめられるようになっている。
三人はそこでホコリまみれ泥まみれになりながら、クルス葡萄園を監視した。
「それで、司令官はどうだ?」
望遠鏡を覗いたままアストリットがたずねると、ロランドは半ば蔑むように、
「あのバカ、話になりませんよ」
「司令官と呼べ」
「でも、バカですよ。最初はあいつ、立って監視するとか言ってたんですよ。こそこそ隠れるのは性に合わないとか言って」
「それはバカだな」
「ほら、アストリットさんもそう思うでしょう?」
「言葉のあやだ。続けろ」
「そんなわけで、この絶好の監視所にも来るつもりはないそうです。そんなネズミみたいな真似ができるか、って」
「そうか」
「イヴリーはどこに?」
「食事を取りに行っている。監視をかわれ。もう五時間はこうしてる。首が痛くなってきた」
望遠鏡を受け取ると、早速、街道の北から二頭立ての箱馬車がやってきた。
並木道へ曲がり、車まわしに降りてきたのはサン・グレのボスであるウィルフレード・オルモスだった。
先代のボス、ペドロ・サルヴィアソは禁パンケーキ時代にパンケーキ・ミックスの密輸利権をめぐってクルスと抗争を引き起こし、部下のウィルフレード・オルモスに殺された。
現在、ウィルフレードは傀儡のボスとなり、サン・グレのファミリーは事実上、ヴィンチェンゾ・クルスの下部組織となっている。
馬車から降りたウィルフレードは玄関まで来ていたクルスと握手した。
かつてのボスを売ったことをいまだに引きずっているのか、ウィルフレードの顔は浮かない。
数分後、今度は重さで沈み込んだ馬車を四頭の馬が必死になって引っぱっているのが見えてきた。
〈樽〉こと、ルイス・モスカルドーの馬車だ。
鉱山都市ケホルメリダのボスで、ギルドを通じて鉱山を牛耳り、国王のように君臨している。
あだ名の由来はその肥満体だが、そのあだ名を面と向かって言ってしまった不注意なギャンブラーが落盤により事故死している。
ケホルメリダの聖院騎士と話したが、〈樽〉の悪食は語り草で、その一週間に食べたものがシミとなってシャツに残っているのだが、おおよそ清潔とは言い難いし、常に何かを食べている。
それにひどく好色でそのぶよぶよした体の下敷きになって死んだ娼婦の数はひとりふたりではないという。
玄関でクルスと握手したかと思ったら、もうスケルトンたちが設営した屋外ビュッフェに姿をあらわし、チキンやマトンをどっさり皿に盛り上げている。
「おえっ。見てるだけで気持ち悪くなってくる」
後ろから、遮蔽を取り除く音がして、ただいまもどりました、とイヴリーの声がきこえた。
「カノーリが三つ手に入りました。いやあ、大変でしたよ。補給に不手際があって、パンのかわりにお菓子が届いたんですけど、それも数が足りなくて」
「たった三つ? 三人で割ったらひとりひとつじゃんか」
「む、ちゃんとクリームの挟んである、大きめのカノーリですよ」
「そもそもクリームが挟んでなかったら、カノーリじゃないだろ」
「食べたくないなら、別にかまいませんよ。ロランドさんの分はアストリットさんと半分こにします」
「食べないとは言ってないだろ。ほら」
ロランドが手を伸ばすと、大きめのカノーリがポンと置かれたが、その重さは贔屓の引き倒しにしても、せいぜい中くらいのカノーリだ。
ロランドの覗くレンズのなかでは〈樽〉が欲望の赴くまま、ローストビーフやカップケーキを食い荒らしているのに、こちらは中くらいのカノーリがひとつだけ。
「あのデブ、がつがつ食いやがって。張り込みはつらいぜ」
「世の中間違ってますよね」
「黙って仕事しろ」
「でも、アストリットさん。こうも貧富の格差を見せられたら愚痴のひとつもつきたくなるってもんですよ」
「わたしたちが突入するまでに、ちょっとは料理が残っていればいいんですけど」
「さもしいことを言うな。作戦が終わったら、夕食をおごってやる」
「ほんとですか?」
「騎士に二言はない」
「そう言われたら、やる気が出てきました」
「現金なやつらめ」
カラヴァルヴァでお馴染みの顔、ケレルマン商会のガエタノ・ケレルマンが馬に乗ってやってきた。馬車ではない。くたびれた帽子に荒目に仕上げた毛織物を肩にかけていて、あまりめかしこむのは好きではないらしい。
左右には火縄銃と蛮刀で武装させた子分をふたり連れている。
どこまでも武骨で、どこまでも凶暴なこの老人は山賊だった気質がいまだに抜けていなかった。
グリードを巡る抗争で商会を率いていた甥たちが死に、その利権を受け継ぐべく子分たちとやってきたのだが、この老山賊がやってきてから、カラヴァルヴァでの殺人事件の件数が跳ね上がった。
ガエターノには敵対する人間の首を切り取って、人通りの多い道にさらす悪癖がある。
もともと銭勘定で成り立っていたケレルマン商会がロンドネ最悪クラスの武闘派集団になると、もともといた幹部たちの首がスカリーゼ橋やカザルス塔にさらされた。
イヴェス判事はこの歩く殺人衝動みたいなガエタノ・ケレルマンをぶち込もうとしているが、事件が起きてもガエタノの報復を恐れて、誰も証言したがらず、証拠も集まらないで苦労しているようだ。
足りない食事にお腹がきゅうきゅう鳴るが、そんなことはお構いなしにボスたちは次々到着する。
ルルディーヤのシリョス・アルベルティ。
ベタンコロのベネト・カバネリャス。
ビトリア・デ・ラ・カテナのリカルド・リャノ=ヴィゴン。
ルルディガの〈紳士〉のセギスムンドと〈煉瓦〉のロドリーゴのスカリス兄弟。
ロランドが読み上げる特徴をイヴリーのほっそりとした指におさまった葦の茎ペンが帳面を引っかき文字にする。
地味な働きではあるが、この後の手入れで誰が誰だか分からなくなったり、あるいは農園の外に逃げた際の指名手配に必要な作業だ。
「それにしても、ロンドネだけでこんなに悪党どもがいるんだなあ」
「人手が足りないわけですね」
「どいつもこいつも悪人面してんなあ。でも、十人にひとり、田舎町の司祭みたいなやつがいる。人畜無害なようだけど、こいつも相当な悪党なんだろうな」
「ヴィンチェンゾ・クルスは?」
「悪人というよりは魔法大学の教授みたいに見える」
「来栖ミツルは?」
「若干の悪人面だけど、あの慌てぶりを見てると、クルス・ファミリーのナンバー2だってのがウソみたいに思えてくる」
「油断ができないってことですか?」
「まあ、そんなとこだな。最近、クルス・ファミリーが目指してるのはなにか知ってるか?」
「なんですか?」
「この世界の全ての人間の収入を倍に増やすそうだ」
「あの人たち、犯罪組織ですよね」
「間違いなく犯罪組織だ」
「でも、みんなの収入を二倍に増やすって? なんだか、そこらへんの王さまよりまともなこと言ってる気がします。でも、どうやるつもりなんでしょう?」
「新しい産業を生み出すんだそうだ。たとえば、自動販売魔法生物業。ベンダー・ミミックと呼ばれているが、これは無人の販売機械だが、カラヴァルヴァのダンジョンにひとつ、市街地にふたつ、すでに設置されていて、自動販売魔法生物に関わる労働者系ギルドの設立申請がされている」
「なるほど。新しい仕事ですか」
「おれたちが食ってるカノーリといい、自動販売魔法生物といい、クルスのやることは分からない」
「ちょっと超越した感じですね」
「超越?」
「わたしたちが善だ悪だと日々を生きている遥か上で、善も悪も関係なく、好き勝手に生きているクルスがいる。わたしたちの頭上へクルスの為した善なのか悪なのか、わたしたちはそれに引きまわされるけど、クルスにはそんなことはどうでもいいんじゃないですか?」
「そうかもな――おっと、今度は大物がきたぞ。ゼネットだ。」
今度の会議を主催した三人のうちのひとり、ロンデのマルコ・イラリオ・ゼネットは黒紅樹製の無蓋車を青毛の若駒を二頭に曳かせて、自分の土地を見に来た貴族のような優雅さを身にまとって葡萄園にあらわれた。
ゼネット商会は表向きは成功した染物商だが、実際は旧第二城壁区とオルテガ地区を中心に、賭博、売春、窃盗団、高利貸し、そして麻薬で稼いでいる。
手下は八十人で三人のボスのなかでは二番目の規模だが、抜け目のないところがあって、サラザルガ会議開催が決まると、食品販売店をつくり、ロンデ最大のアンチョビ販売店になった。
カノーリ同様、アンチョビもクルスが考案した食材であり、ゼネットの購入するアンチョビはクルスの工場がつくったものだ。
ヴィンチェンゾ・クルスはイワシの塩漬けを買い取ってくれたくらいで支持を出すほど安いボスではないが、会議開催前から、もうボス同士の外交が活発化しているという意味では油断ができない。
ゼネットの外見を読み上げるのは骨が折れた。
赤ビロードの外套は最新流行のウェストを絞ったシルエットで、後ろのベントは銀ボタン付きの両端折り燕尾になっているが、シルクのポケットチーフの山形に刺されたピンは純金製。襟はチョッキをしっかり強調するために丸く深くくってある。
外套だけでこの調子なのだから、青更紗を張ったチョッキや蛇樹のステッキ、フェルトの羽根つき帽子などもいちいち口述していては間に合わない。
それにゼネットほどの大物になれば、服など二度使っただけで捨ててしまうに違いない。
ひょっとすると、行きと帰りで違う服を着るかもしれない。
「その通りよ。行きは洒落者、帰りは囚人服だ」
正午近くになって、ほとんどのボスが顔をそろえたが、まだ来ていないボスがひとり。
辺境伯領のアルコルゼン・ア・ローニャを縄張りとするアルファロ・レウスだ。
レウスについてはロランドも興味がある。
この商会はクルス・ファミリーを除けば、麻薬を一切扱わない組織なのだ。
商会というよりはアサシンギルドに近い形態の組織で、ボスのアルファロ・レウス自体、その世界では名の知れた敏腕の暗殺者だったのだ。
レウス商会が会合に呼ばれたのは、請負殺人以外にも小規模だが、違法賭博と高利貸しをしていたおかげで、かろうじて〈商会〉にカウントされたおかげでもあるし、辺境伯領唯一の犯罪組織であったことも大きい。
麻薬を扱わないファミリー同士の同盟ができるかどうか、ひょっとするとクルスもその可能性を考えているかもしれない。
その点で言えば、レウス商会はこの会議の影の主役だとロランドは見ている。
いや、実際に見ているのは望遠鏡越しに見える街道なのだが。
「まったくトリで来るとは、よっぽどの大物なんだな。ボスどもが待ってても構わないってわけだ」
「多数の組織がレウス商会に暗殺を依頼してますからね。そうそう邪険にできるものでもないんじゃないですか?」
それにしても遅い、とアストリットがこぼす。
まるでこれからレウスと決闘でもするみたいに焦れていた。
いつも冷静なアストリットがそんなふうにいらつくのは滅多に見ないなと思ったが、以前、ディアナ・ラカルトーシュというアストリットと同じ戦場で戦った女騎士がアストリットのこととを猛進公とかそんなふうに呼んでいたのを思い出した。
飲み会でそのあたりのことをきいてみるのもいいかもしれない。
楽しみがひとつできたが、それを気取られると非常にまずいので、ロランドは仕事一筋人間みたいにせかせか動き、望遠鏡のレンズに張りつくくらい目を近づけて、街道の北の果てにレウス商会の姿が見えるのを待ち構えた。




