第二話 ラケッティア、しゃれおつグリニッジ・ヴィレッジ。
天気よし。気温よし。
ワイン五樽、ビール三樽、牛二頭、豚十頭、鶏たくさん、カノーリどっさり。
料理は屋内と屋外の両方で出せるようにし、掃除や会場の設営には農園のスケルトンたちに加え、近隣のスケルトンたちも雇った。
「おい、誰か尾骨を落としてるぞ」
「そんな骨、あってたまるか」
「だから、テーブルはこっちのほうがいいって言ってんだろが!」
「そっちじゃ配膳係の動線に引っかかるって言ってんだろが!」
「おい、そこの馬鹿ふたり。大腿骨で殴り合うのはやめて、仕事しろ」
「なあ、誰かあの娘っ子どもをナンパしてみろよ」
「ばーか。ありゃ、アサシンだぞ」
「だから、なんだ。おれたち、もう死んでるじゃねえか」
「このロリコンめ」
「好き勝手に生きられないんじゃ、なんのために骨になったのか分かりゃしねえ」
「だから、おれたち死んでるんだって」
「骨になっても先立つものは必要ってことよ」
「カネが空から降ってこないかねえ」
「なあ、クルスの旦那はおれたちの何人かを給仕に雇うって話だぞ」
「おめえみたいな煤まみれの骨を誰が給仕に雇うってんだ?」
「おれみたいに雪みたいに白くてヒビが入ってない滑らかな骨が雇われるんだ」
「このナルシストめ。どんだけ気取ったところで、てめえなんか、骨じゃねえか」
「メシはどんなのが出るのかな?」
「胃袋もねえのに食いもんの心配してどうする」
「ちょっと言ってみただけだろ」
「なあ。門の外の向こうの丘から見張ってるのって聖院騎士だろ? なんか差し入れしてやるか?」
「あいつら、いっぱしのサツだからな。骨の情けは受けねえさ」
「判事とか警吏とか騎士ってのは、どうしてこうスケルトンを嫌うのかねえ」
「あいつらだって死ねば骨になるのにな」
「ああいうお高くとまってるやつらが自分のなかには一本の骨だってありゃしねえ、って顔するのはむかつくよな」
「馬鹿らしい。骨がないなら、そりゃあイカ人間じゃねえか」
「ナメクジ人間」
「タコ人間」
「結局よ、人間死んで焼かれてから、そいつが骨太かどうか分かるわけだ」
「サツは焼いても塩の跡が残るだけさ」
スケルトンたちがしゃべくりまくるのに任せて、おれはおれでおめかしする。
ゴッドファーザー・モードで黒い外套にチョッキ、落ち着いた色のクラヴァットの結び目を銀のピンで止めれば、『バラキ』に出てくるジョセフ・ワイズマン演じるサルヴァトーレ・マランツァーノそのもの。
あのサルヴァトーレ・マランツァーノは本当に上品なマフィアだった。
本物のマランツァーノは神学校に通っていたからラテン語でガリア戦記を読めたというが、なるほど、『バラキ』のマランツァーノは確かにラテン語が読めそうだった。
『バラキ』に、マフィアの序列と威厳について印象的なシーンがある。
禁酒法時代、チャールズ・ブロンソン演じる主人公バラキは銀行強盗の運転手をやり、警察の車をまく途中、車ごと海に突っ込む。
ずぶ濡れのバラキは、かつて刑務所で一緒だったギャップというチンピラに「困ったことがあったら、このレストランにたずねて来い」と言われたのを思い出し、ギャップのボスであるマランツァーノのレストランへ訪れる。
「お前、もう、なにかやらかしたのかよ!」とギャップはバラキをレストランの厨房へ連れていく。
ちょうど食事中だったマランツァーノはそれを見て、
【マランツァーノ】「あの男は何者だ?」
【相談役】「わかりません。おい、あいつは誰だ?」
【幹部】「おれにもわかりません。おい、ギャップ、ありゃ誰だ?」
【ギャップ】「あいつはバラキって野郎でさ」
【幹部】「名前はバラキというそうです」
【相談役】「名はバラキです。ドン・マランツァーノ」
【マランツァーノ】「なぜ、ずぶ濡れなんだ?」
【相談役】「ドン・マランツァーノはなぜずぶ濡れなのか、おたずねだ」
【幹部】「へい。おい、ギャップ。あいつはなんでずぶ濡れなんだ?」
【ギャップ】「分からねえ」
【幹部】「(黙って首を横にふる)」
【相談役】「分からないそうです。ドン・マランツァーノ」
【マランツァーノ】「ふむ」
チンピラは直接ボスに声をかけられないし、幹部は相談役の頭越しにボスに話しかけられない。
【マランツァーノ】>【相談役】>【幹部】>【ギャップ】の不等式は絶対。
マフィアの世界に≧というものはない。
上か下か、でなきゃ死体にするかだ。
マフィアの世界ではこのマランツァーノのように旧来然としたマフィアのことを『口ひげピート』と呼んでいたが、『バラキ』のマランツァーノには確かに十九世紀風の灰色の口ひげが、そう、おれがいま鏡で見ているように立派に整えてあった。
本物のマランツァーノに口ひげはないのだけど、まあ、そんなこと言ったら、『ゴッドファーザー』だって、おとぎ話だ(ルイジアナのボス、カルロス・マルチェロ曰く、映画のゴッドファーザーはマフィアを題材にしたファンタジーなのだとか)。
いくつかあるマフィア映画のなかでサルヴァトーレ・マランツァーノは演じられた。
ダンブルドア先生だってマランツァーノを演じたことがあるのだ(役名はなぜかファレンザーノになっていたのだが)。
たぶん『ボードウォーク・エンパイア』の最終シーズンに出てきたサルヴァトーレ・マランツァーノが本物のマランツァーノに一番近い外見をしていたが、声が高すぎたのか、あまり威厳がなかったし、ラテン語が読めるタイプには見えなかった。
なにより致命的なのは、この最終シーズンだけ日本語化されていないので、日本における知名度がほぼゼロなことだ。
もっともおれがこっちに飛ばされた後、日本語化された可能性もあるが……。
あーあ、異世界に飛ばされる前に見たかったなあ。『ボードウォーク・エンパイア』の日本語版最終シーズン。
まあ、とにかくだ、サルヴァトーレ・マランツァーノになるには威厳が大切なのだ。
なにせ本物のマランツァーノをナイフで襲った殺し屋たちはあまりにもマランツァーノが威厳たっぷりだったので、死んだマランツァーノのズボンとパンツをずりおろしてやろうとしたくらいなのだ。
相手を辱めるためにズボンとパンツを脱がすという考え方はもう小学生そのものなのだが、殺し屋たちはだいたい小学校をドロップアウトしているので、その辺が影響しているのかもしれない。
ところが、ズボンに手をかけられたところで息を吹き返したマランツァーノは激しく抵抗し、銃で撃たれた。
デカい音がなってしまい、警察が来ると慌てた殺し屋たちはズボンおろしをあきらめて逃げ去った。
実際、やや不鮮明だが、マランツァーノの殺人現場写真がある。
それを見る限り、殺し屋たちはズボンの前を全開にするまでは成功したようだ。
禁酒法時代のズボンの前はジッパーではなくボタンでとめるから、ちまちま苦労したことだろう(これはファンタジー異世界も同じだ。立ちションがしづらいったらない)。
だが、やらねばならなかった(立ちションじゃないよ)。
それほど威厳たっぷりだったのだ。サルヴァトーレ・マランツァーノとは。
ちなみに『バラキ』のマランツァーノはズボンを脱がされたりしていないし、死に臨んでも威厳があった。
殺し屋たちが逃げた後、【幹部】はマランツァーノの部屋からボスの声を聴く。
【幹部】がおそるおそる部屋を覗くと、瀕死のマランツァーノが臨終の祈りを唱えていた。
マランツァーノは【幹部】に対し、
「来い、裏切り者……お前の心に後悔があるなら、わたしの指で十字を切らせろ……残された家族にまで罪を背負わせたくない」
相手陣営に寝返り、殺し屋たちを手引きした【幹部】はマランツァーノの手をとって、十字を切らせ、マランツァーノは「父と子と聖霊の御名によって」と祈り、死んでいく。
ちなみにこの【幹部】ことトニー・ベンダー、本名アンソニー・ストロッロは、後にアパラチン会議を開くというヘマをしたあのヴィト・ジェノヴェーゼに文字通り消されることになる。
「ちょっと出かけてくるが、すぐ戻る」と妻に言って出かけたきり、行方不明になってしまったのだ。
マフィアの世界はなにがどこでどうつながるのかが分からない。
ちなみにこのストロッロ、その縄張りは世界が羨むニューヨークのしゃれおつスポット、グリニッジ・ヴィレッジである。
芸術と文化の発信地グリニッジ・ヴィレッジは1950年代、マフィアのポケットのなかにあり、そして、ストロッロはグリニッジ・ヴィレッジの麻薬王だった。
ジャズの伝説チャーリー・パーカーが55年にヘロイン中毒で死に、その時代、ジャズ・プレイヤーにヘロイン中毒者が数多くあらわれたが、ジャズの評論家曰く、それはプレイヤーたちがチャーリー・パーカーの高みに昇りたくて、それでヘロインをやったことが原因だそうだ。
実際はストロッロがグリニッジ・ヴィレッジの黒人ミュージシャンを狙って、ヘロインを流しまくったせいじゃないかと思う。
ゴッドファーザーでもありましたね。『おれは麻薬は反対だ。青少年に売るのは悪魔の所業だ。おれのシマではニガーにだけ流す。やつらがどうなろうが知ったことじゃないだろ?』
ストロッロにとって、黒人のジャズ・ミュージシャンは『どうなろうが知ったことじゃない』人びとだったのだ。
そして、グリニッジ・ヴィレッジにはもうひとつ『どうなろうが知ったことじゃない』人たちがいた。
ゲイである。
グリニッジ・ヴィレッジは当時のゲイにとって、ゲイがゲイであることを大っぴらにできる唯一の街であり、ゲイ・バーがたくさんあったし、他ならぬストロッロ自身、恐喝のネタ探しにぼったくりオカマ・バーを持っていた。
ストロッロのヘロインはあっという間にゲイ社会を汚染し、ゲイ偏見に一役買った。
和気あいあいとしていたゲイ・コミュニティは、ヘロインを血管に走らせるためならダチもタレこむカッパライ集団に成り果てて、ゲイ=ろくでもないやつの図式をより完璧なものにしてしまったのだ。
うん、マフィアというのは基本的に極悪人だ。
それは分かるし、おれ自身、もう極悪人なわけだけど、やっぱりどうしても麻薬だけは受け付けられない。
偽善だが、それでも嫌なものは嫌だ。
組織犯罪にゲソつけた以上、麻薬に対する態度を不明瞭なままにすることはできない。
麻薬に反対するなら反対するで、麻薬で莫大な利益を上げた連中を凌駕する武力、資金力、組織力が必要なのだ。
残念ながら、クルス・ファミリーは少数派だ。
今日、ここに呼ぶボスたちはみな麻薬を大っぴらにさばいている――ただひとりを除いて。
辺境伯領のアルコルゼン・ア・ローニャを縄張りにしているレウス商会。
総帥はドン・アルファロ・レウス。
辺境伯領は慢性的な戦争状態だから、かなりタフな土地だときいている。
そんな縄張りの顔になるんだから、どんなやつだか、楽しみで……。
「おーい、クルスくん」
「ん、カールのとっつぁん。どしたの?」
「ずっと肩を叩いていたんだぞ。まあ、それはどうでもいいんだ。いますぐ四人娘とヴォンモの服装を褒めたほうがいいぞ」
「へ? なんで? いつもと同じ、アサシンウェア姿じゃん」
「よーく見ると、細部が違う」
「どう違うの?」
「分からないのかね? やれやれ。わたしはきみの命の恩人というわけだな。マリスは腰を細く見せるために鯨骨のコルセットを胴衣に仕込んだ」
「いまのままでも十分痩せてるのに」
「アレンカは逆に胸の部分に綿を詰めてる」
「おれは巨乳教信者じゃないんだけどなあ」
「ツィーヌはリボンのかわりに猫耳をつけている」
「それって、ヨシュアのときの――イヤーッ! 思い出したくない!」
「ジルヴァはスカート丈を一センチ短くした」
「あの服、スカートの下にあるのはパンツじゃなくて、真っ黒な全身タイツじゃん。無意味だよ、んなこと」
「ヴォンモは首にリボンネクタイを結んでいる」
「あ、それは普通にかわいい」
「いま、エルネストが『今日から始める通行手形偽造講座・三十分コース』を開いて、あの子たちを足止めしている。そのあいだにいま言ったことをきちんと覚えて、褒めるんだぞ。これはきみの命にかかわることだ」
「んな、大袈裟な」
「結婚生活四十年大ベテランのカンを信じなさい。服装と髪型の変化に細心の注意を払わなかったと言って旦那を殺した人妻をわたしは裁判官席から大勢見てきた」
カールのとっつぁんと入れ違いに、アサシン娘たちがどやどや入ってきた。
『今日から始める通行手形偽造講座・三十分コース』をきいていたわりには機嫌はよさそうだ。
少女たちはおれのほうとちらっ、ちらっ、と見ながら、
「ね、マスター」
「ん?」
「なにか変ったと思わない?」
「なにが?」
「マスター! 乙女心が――」
「分かってるって。いつもよりおしゃれしてる」
おれのドーピング観察力にパアッと笑顔の花が咲く。
少女の笑顔というものはいつ見てもいいものだ。なんか、こう、がんばらなくちゃ、って気持ちになる。
「マスターが気づいてくれて、アレンカは安心したのです。もし、マスターが気づかなかったら、胃袋がキリキリ縮れる毒薬を打つってツィーヌが言ってたのです」
「あ、アレンカ、ずるい! あんただって、マスターの足の裏、炙るって言ってたじゃない!」
「ボクはマスターが気づかなかったら、髪と眉毛を剃り落とすなんて、ちっとも考えていないから」
「くすぐりの刑……」
「おれは落とし穴を掘るつもりでした」
「はっはっは。まったく、おれも信用ないなあ」
「だって、マスターは確かに女の子好きだけど、こういうマフィアなシチュエーションのときはマフィア優先で女の子のこと、全然考えられなくなるんだもん」
「ちゃんと分かってるって。みんなグリニッジ・ヴィレッジから来たみたいにおしゃれに決まってるよ。マリスの新しいリボンネクタイがかっこかわいいし、アレンカはいつもよりもスレンダーで、ツィーヌはちょっと胸が発育よくなってるよね? ジルヴァは猫耳がかわいいし、ヴォンモはスカートがちょっと短くなってセクシーに――あ、やべ、間違えた」
「マスター!」
「なんで褒めるところがひとりずつずれてるんだ!?」
「さてはマスター、カンニングしたのです!」
「ばばば、馬鹿いうんじゃねえよ! おおお、おれがカンニングなんてするわけないだろ! 現代日本にいたころだってカンニングはしなかったんだぜ。ただ、英語教師が車に鍵をかけずに残していった中間テストの問題を全部コピーして元通りに戻して、売りさばいたことはあったけど、それだって一回だけ――」
「ひどいです!」
「……めっ」
どうしよう。フライング土下座も最近使い過ぎで、効果が減少してる。
こうなると他力本願で行くしかない。
「エルネスト! 小娘たちが講座をききたいって!」
しょうがないなあ!と目をらんらんとさせながら部屋に入ってきたエルネストの手には紙芝居。
どうやら、エルネストは紙芝居に教育ツールとしての可能性を見出しているようだ。
教育に目覚めたエルネストの『きみにもできる! 公証人証書偽造・一時間コース』に全てを丸投げして、ぎゃー、一時間コースだあ!と少女たちの悲鳴を残し、屋敷の玄関口へ逃げさせてもらった。
そこは広い車まわしがあり、ポプラの並木が門まで続いている。
右側は厩舎、左側は庭園につながる道があり、門は外の街道とつながっている。
その街道の向こうに灌木が点々とする小さな丘があるのだが、そのてっぺんで聖院騎士がおれたちを見張っている。
さっきから望遠鏡のレンズがチカチカ反射しているのでバレバレだ。
え? 聖院騎士に監視されてるのになにもしないのかって?
こういうときは気づいたふりをしてはいけないのだ。
そんなことしても相手を怒らせるだけだし、もっと巧妙に隠れようとするだろう。
だから、こっちは知らないふりして、バレていないものといい気になっているあいつらに好きなだけ覗き見させる。
だけど、現金の受け渡しみたいな起訴につながる本当にヤバいシーンは見せないでおく。
「おーい、旦那。お客が来ましたぜ」
スケルトンの知らせに、あいつらから逃げるために崩れた服装をぱっぱと整え、ボスのお迎えモードに移行して、難しい顔をつくる。
アサシン娘たちも部外者が来れば、任務遂行以外のことに興味を示さないっぽく見える冷酷アサシンモードにならないといけないので、これ以上ぷんすか怒ることもないだろう。
さてさて、第一回マフィア・コミッション。
最初のお客は誰かな?




