第四話 ラケッティア、初陣。
貧民街〈ウェストエンド〉は文字通り王都アルドの西の外れにある。
歪に建て増した木造家屋と漆喰が剥げかけた石の建物。
でこぼこした通りと道端を埋め尽くす安売りの露天商。
豚の鳴き声。ニンニクの匂い。舌でざらつく埃っぽい空気。
貴族が破産し、女優が娼婦になり、傭兵が解雇されると、西へ流れていく。
ウェストエンドとは破滅した流れ者のどん詰まりだ。
そして大勢の貧乏人。
明日のメシすらおぼつかぬ貧民が住むから貧民街なのだが、一概に貧乏人ばかりとはいえない。
治安の悪い街ならではの、賭博場や深夜営業の酒場、それにわいせつな劇をかける劇場などが集まる歓楽街としての要素もある。
それにきれいな王都の真ん中にいてほしくない産業もここに追い出されている。悪臭と汚水がひどい皮なめし業や屠殺業がそれだ。
そして、何よりも犯罪者にあふれかえっている。
銀の置物をかかえて歩くアル中の故買屋。
貴族も利用するという稀少犬専門の犬泥棒。
小壜で売り歩く怪しげな薬の売人。
街にはそれなりに顔が利くらしい盗賊騎士。
そして、質屋をよそおった高利貸し。
名前はゴルスというらしいが、とんだ質屋さんだ。
ガリガリに痩せていて、目がぎょろぎょろしている。自分以外の人間はみな自分のカネを狙っていると思っているのだろう。こいつに人の性は善ですなんて説こうとするなら、十年無駄にする覚悟がいる。
我がギルドのアサシン少女たちが知っているなかでも最もがめつい金の亡者としてこのゴルスなるじいさんを教えてもらったわけだが、なるほど、これは強欲だ。
カネを返さないやつはゴルスの子分に手足を折られるが、もっとひどいと、さんざん拷問されて、ドブ川の土左衛門になるらしい。
相手にとって不足なし。
むしろ、今度のラケッティアリングは相手が強欲であるほど、好都合なのだ。
「それで? いくらご入り用で?」
あまり日の差さない部屋で、ゴルスは厳重に鍵をかけた金庫の上から言った。
金庫が椅子なのだ。
たぶん自分のケツの下にあるのが地獄ではなくて、現金だと考えただけでハッピーな気持ちになれるんだろう。
金庫の鍵は腰から吊るしたリングにかかる鍵束のどれか一つと見た。
まあ、それは関係ない。
金庫のカネをいただくつもりなのは間違いないが、金庫はこのゴルスが開ける。
そして、自分でカネをおれのもとに運ぶのだ。
「参考までにきくけど、利率はどのくらい?」
「ささやかなものじゃ。一週間に二割で複利」
お前、ふざけんな。トイチよりも高いじゃねえか。
闇金がマザー・テレサに見えてくるぜ。
「実はぼくはお金を借りにきたのではありません」
「とっとと帰れ」
分かりやすいほどの手のひら返し。
とはいえ、人の頭に痕が残るほどかじりついた後、お腹いっぱいになったらいけしゃあしゃあとマスター呼びしてくるやつらほどではない。
「僕がこんな恰好をするのは理由がありまして。こうして、神に仕える巡礼として生きることで人々に幸福の預言を伝える役目を負わされています」
「とっとと帰れ。寄付ならせんぞ。帰らないと手下を呼んで、その首をへし折らせてやる」
「この質屋の前に枯れた木がありますね。その根元を掘ってください。きっといいことがありますよ」
「おい、誰か! 来てくれ! 来て、こいつを――」
「じゃ、さよならー」
質屋を出て、少し離れたところにある文書偽造屋の店の前で時間を潰す。
亜麻色の長い髪をした優男の偽造屋が鼻に丸い眼鏡をひっかけ、インクの染みがついた細い指で、偽造文書一枚一枚を我が子のように愛おしげに並べていた。
「この子に興味があるのかい? 目が高いね、お客さん。この子は森林権の期限付き使用許可証で値段はティアルデン銀貨五枚。でも、バレる前に薪になる木を伐れるだけ切って運んでしまえば、五十ティアルデンの売上。荷馬車の雇い賃と樵への口止め料、役人への賄賂を差し引いても、二十ティアルデンは手元に残るよ」
「ふーん。そりゃすごい。でも、もっときいていたいんだけど――」
おれが振り向いたので、偽造屋もそっちを向いた。
その視線の先にいるのは闇金ゴルス。めちゃくちゃ慌ててる。
そりゃそうだ。金の卵を吐くピッコロ大魔王を逃すまいと必死に探してるのだ。
それ誰のこと? もちろん、おれのこと。
おれは偽造屋の店前からあっという間にゴルスの質屋に引っぱられた。
「さっきの預言だがね。他にもあるのか、そういう預言が」
ゴルスは相当慌てて走り回ったらしく、ぜーぜーと言葉がつながらない。
「ああ、信じてくれるんですね」
そりゃ、信じるだろうさ。
枯れ木の根元を掘ったらティアルデン銀貨が一枚、日本円三万円相当が出てきたんだから。
「……別に信じておるわけではない。だが、神さまが親切にしてくれるのを無下にはできんからな」
そりゃ、めちゃくちゃ信じてるとは言えないわな。
弱みを見せることになるんだから。
でも、分かる。こいつの頭のなかは金を埋めた場所を教えてくれる預言のことでいっぱいだ。
「預言は他にもあります。もっと大きな幸福の預言もありますよ。金貨にして一千枚分の預言です」
まったく欲の皮突っ張らせやがって。少女たちに教えてもらったのだが、この世界では金貨はコルドと呼ばれていて、一コルドは予想としてだいたい二十四、五万円だ。
自分の前に金のなる木がいると思って、活力が湧き出したのか、ゴルスは背筋がぴんと伸び、顔つきまで三十歳は若く見えるのだからすごいもんだ。
『カジノ』でロバート・デ・ニーロが言ってたけど、この手の欲張りは一枚の金貨を得ても、それを一枚の得ではなく、九枚の損だと思うのだそうな。
もっと稼げるもっと稼げると、欲にボケて手痛いしっぺ返しを食らう。
「大きな預言にはお金がかかります」
「いくらだ?」
身銭を切るにしてはずいぶんあっさりしているが、まあ、守銭奴は目の前の小銭に弱い。
「三十ティアルデンです」
「そりゃ高い! 十ティアルデンが相場じゃ!」
週に二十パーセントの利息とってりゃ、そのくらいポンと出せるだろ!
当初の目標は銀貨一枚を十枚だったが、予定変更。
ここで妥協はしない。なにせ相手は神さまのご託宣だと思ってる。
神さまを安売りするものではない。安売りしたが最後、一気に胡散臭くなる。
「しかし、どうしようもないのです。金貨一千枚のもとへとあなたを導くには、どうしても三十ティアルデンが必要なのです」
「わかった。では、十一ティアルデンでどうじゃろう?」
「いえ、三十ティアルデンでないと」
「じゃあ、十三ティアルデン。これ以上は出せん」
「三十ティアルデン」
「十五ティアルデン。これが嫌なら、ここから出ていけ」
「残念です。あなたに預言を授けられなくて」
席を立つ。店を出る。前庭を通り過ぎ、路地へ出る。
……くそっ。追いかけてこないな。
この寸借詐欺に全財産突っ込んでる。
察しはついてると思うが、ゴルスが見つけたティアルデン銀貨はギルドに残されたあの最後の一枚だ。
ここでゴルスが食いつかなければ、餌のとられ損であり、詰んだということになる。
こういうときはシカゴ・マフィアの歴代ボスの名前を挙げて、心を落ち着けるのもいいが、もっといいのはゴルスの身になって考えることだ。
今、ゴルスは一人金庫の上に座っている。
あれが本当なら、ゴルスは一千枚の金貨を得る機会を失うことになる。
だが、それよりも許せないのは他の誰かがあの小僧に三十ティアルデンを払って、一千枚の金貨が埋まっている場所を知ることだ。
自分が得るはずのカネがどこの馬の骨とも知れんやつの手に渡る。
ゴルスは発狂寸前だ。頭のなかの守銭奴は三十ティアルデンなどとんでもないとサイレンを鳴らすだろうが、金貨一千枚が脳みそをじわじわ侵蝕していく。
三十ティアルデン=三十万円<1000コルド=二十四億円。
簡単な数式が今やゴルスの精神の中心だ。
ゴルスは飛び上がり、腰の鍵で金庫を開けようとする。
手が震える。鍵が踊る。鍵が落ちる。
急げ、急げ。誰かがあの小僧の預言を横取りしているかもしれない。
やっと金庫が開く。なかには借用証書の束と一緒にティアルデン銀貨を百枚入れた袋がある。
冷や汗をかきながら、震える手で三十枚の銀貨を取り出すと、金庫の扉を閉め、鍵をかけ、そして、飛ぶように走る。
前庭で蹴つまずき、危うく銀貨をばらまきそうになるが、体をねじって、体勢を立て直し、走る。
そして、走った先にはさっきの小僧ことおれがいて……。
さあ、魚が針を飲み込んだ。
あとはもう釣り上げるだけだ。




