第二十一話 怪盗、人助けの流儀。
トキマルはサンタ・カタリナ通りの豪邸に打たれた金属板の文字を指して言った。
「おれを棒でつつこうとしたやつの家だ」
「なんだって?」
「おれを棒でつつこうとしたんだ。この家のやつら」
「どうして?」
「知ーらない」
〈銀行〉――来栖ミツルの言葉を借りるなら『ストリップ大通りじゃなくてノース・ラスヴェガスのスポーツ賭博専門店みたいな程度の低いカジノ』の支配人ピッツーコ氏とその家族に遊び半分にトキマルがつつかれたのはついこのあいだのことで、このむかつく記憶が色あせるにはまだまだ時間は足りないし、あんなふうに狂人をつついて笑うやつらなら、別に死んでもいーんじゃない?とトキマルは割と本気で言ったが、クリストフはその最悪一家の命を偽クリスの魔の手から助けてやることにした。
「なんで?」
「怪盗の流儀だ。こういうとき、忍者の流儀はどうなんだ?」
「アズマには火遁の術専門の修行場にオミカグラ山ってのがあるんだけど、そこのてっぺんには赤い溶岩がぐつぐつ煮立ってる湖がある。いっぱしの忍びを遊び半分に棒でつつくなら、その溶岩湖に放り捨てられる覚悟が必要だ」
「ぼくだってつつかれました」
「じゃあ、判事助手の流儀をきこうか?」
「まずピッツーコに対して訴訟を起こします。ピッツーコはその訴訟に対する答弁として書類を提出用の他に予備の答弁書を用意しますが、この答弁書はD44形式にのっとって作成されなければいけません。D44形式はB23形式と非常によく似ていて、これを間違えると訴訟はまた最初からやり直しになり、また提出用と予備の答弁書を一から作成しなおします。で、これが作成できたら、裁判が開始されますが、裁判の行われる予定は完全に未定であり、裁判所の気分で審理の日にちが決まります。そして、裁判所が今すぐ審理をすると決めると、たとえトイレのなかにいようと問答無用で引きずり出されて、裁判の被告席に座らないといけません。裁判所は訴訟内容の確認をして、ピッツーコに対して、異議申し立てがあるかときくんですが、素人がよく引っかかるのは、ここで本当に異議を申し立てることです。異議申し立てがあるかというのは礼儀としてきいているだけで、訴えられた人間は異議があっても、いいえ、裁判長、ありません、とこたえないといけないんです。でないと、裁判官がヘソを曲げます。ここで異議ありとこたえれば、その裁判は負けですね。もし、異議ありとこたえてしまって、そして裁判で負けたくないのなら、審理無効を訴えて、また最初からやり直し。D44形式にのっとって答弁書をつくって、いつ呼び出されるかビクビクしながら暮らすわけです」
「溶岩に放り込まれるほうがマシじゃん」
「こうなると聖院騎士の流儀をきかないとね」
「人命第一。生け捕りが肝心です」
クリストフが塀を越えると、主人の乗馬姿をかたどった銅像が見つかった。
あくどい成金たちはみな申し合わせたように乗馬像をつくるのだが、それと同時に必ずその乗馬像の台座に隠し通路が設けられている。
隠し通路にはクリストフがひとりで潜り込み、あとの三人は屋敷の裏口を目指した。
小さなカンテラひとつを頼りに地下道を進み、道の終わりにあらわれた扉を開くと、邸宅にいくつもある客間のひとつに出た。
隠し扉は鏡になっていて、枠の左側の裏に小さなボタンがあり、それで扉の留め金が外れる仕組みになっていた。
その部屋にはざっと金貨千枚相当の絵画や彫像が飾ってあった。
〈銀行〉の支配人はカラヴァルヴァの犯罪食物連鎖の上位に属するタイプの犯罪者だが、それにしては羽振りが良すぎた。
つまり、イカサマ賭博のアガリだけでは説明のつかない収入がある。
それこそ、今回のコピー・キャット事件の真相なのだ。
血のむせるような鉄くささ。
廊下に男がひとり倒れている。
「くそっ。出遅れたか」
死体は召使のお仕着せをつけていたが、その割には体つきががっしりしていて、しかも飾りではない実用向きの剣をつけていた。
剣が抜かれようとした形跡はなく、自分が死んだことに気づかず、心臓に穿たれた穴から盛大な血だまりをつくることになったようだ。
袖をめくると、サソリの入れ墨。大聖堂や金塊市場で雇えるならず者剣士が好んで彫る柄だ。
近くで小さな長持ちがカタカタ震えていた。
そのまわりには長持ちにもともと入っていた衣服や反物が散らばっている。
なかには子どもみたいに小さなメイドがひとり。
悲鳴を上げそうになるのを軽く口を押える。
「大丈夫だ。助けにきた。賊はどこに?」
メイドは上を指さした。
「ここに隠れてるんだ。いいね?」
メイドは何度もうなずいた。
二階へ続く螺旋階段を上がると、物騒な物音がした。
それは寝室でトキマルが壁に叩きつけられる音だった。
クリストフがドアを蹴破ったとき、偽クリスの短剣がギデオンの首を狙って横薙ぎにしようとしていた。
ワイヤーを放ち、その剣に巻きつくや強く引くと、剣は偽物の手から離れて、金貨三百枚相当の『蓮の浮く池の聖人』という絵にグサリと突き刺さった。
ギデオンのほうは避ける動作を大きく取り過ぎて、窓からベランダに転げ落ちたらしい。
ピッツーコ親子は部屋の隅でぎゅっとおさまっている。そうしていれば、壁と同化できると信じているある種の狂人みたいだったが、自分の命が本当に危機にさらされると、どうしたって人間、狂ったようになるものなのだ。
偽クリスは歪んだ笑みを見せ、クリストフに飛びかかった。
両方の袖から短剣が滑り込んで手におさまると、その歪んだ刀身が突きかかり、薙ぎかかる。
咄嗟に投げつけたつづれ織りがズタズタになり、そのあいだに稼いだ時間で短剣を抜いたが、次々と繰り出される相手の一撃は手が痺れるほど強かった。
交差した短剣が済んだ高い音を鳴らすと、クリストフの短剣はくるくるまわって天井に突き刺さった。
喉をつかまれて壁に押しつけられたとき、クリストフは磨くように砥がれた刀身にのった欠けた月の姿を見た。
偽クリスは剣の持ち手を顔のすぐ横に引きつけて、切っ先がクリストフの首の付け根へ斜め上から差し込まれるように構えた。
強風が草を撫でるような一瞬の音の後、クリストフは聖ルブの刀身に高く刎ね飛んだ偽クリスの首の姿を見た。
首なしの死体から力が抜けて崩れ落ちると、クリストフはイヴリーの手から剣をもぎ取って、しっかり抱きしめた。
イヴリーがあまりにも震えるので、クリストフは騒ぎをききつけた警吏たちが踏み込むので逃げる直前までイヴリーを抱きかかえて、落ち着くために耳にささやいてやらないといけなかった。




