第十五話 ラケッティア/ギルドマスター、血とカネ。
あ、〈ラケット・ベル〉が置いてある。
〈銀の杯〉のなかは石づくりの酒場になっていて、梁からソーセージがぶら下がるカウンターがあるのだが、その端っこにスロットマシンが置いてあった。
それだけでも素晴らしいのだが、なにより床の下に鍋なおし屋がないというのがまた素晴らしい。
――†――†――†――
まずい。
ジーノは背中に冷や汗をだらだら流しながら、ドン・ヴィンチェンゾが〈ラケット・ベル〉をじっと見つめているのを見守った。
このじいさんなら、にっこり笑いながら、お前、これ蹴飛ばしたな、死ね、とか言いそうだ。
ついてないことにいま、ここには彼とロレイアしかいない。
ドン・ヴィンチェンゾはというと、アサシン少女を三名連れている。
そのうちふたりはかなり幼いが、ひとりはアサシンらしい装束に身を包み、もうひとりは大きなリュックを背負って、ハアハアと荒く息をつきながら恍惚の表情を浮かべている。
間違いない。リュックの中身はこれまで殺した人間の白骨死体だ。
よく殺した相手の耳や舌を集める暗殺者のことはきくが、白骨化した全体を持ち歩くなんて、本気でイカれた話は初めてだ。
ロレイアはアサシンマスターらしく、いざとなったらドン・ヴィンチェンゾと刺し違える覚悟だが、刺し違えた後、ひとり残されたジーノがどんな目にあわされるのかまでは考えがまわらないらしい。
とにかく、こっちもギルドの頭なんだから、それらしい威厳というか、とにかく弱いところを見せると、即殺されそうなので、そうならないためにもここはいっちょなけなしの根性かき集めて、空威張りするしかない。
もちろん――と、葡萄酒の壜を手に取りながら思う――威張るのは相手の気が悪くならない範囲でだが、その塩梅が難しい。
「なにか、飲むか?」
――†――†――†――
「いや、結構だ。どうも歳になると、昼間の酒を受け付けられなくなる」
おれはいつ飲んだってひどい目に遭うし、一週間くらい記憶も飛ぶ。
しかし、参ったな。
おれと同い年くらいだが、どうもこいつがギルドマスターらしい。
この齢でギルドマスター張るくらいだから、相当イカれてるんだろうな。
それにもうひとり女の子。
女の子呼ばわりなんてしたら半殺しにされそうだ。
アサシン娘たちと暮らして手に入れたスキルだが、おれはその女の子を見ただけで、その子が人を殺しまくれるかどうかが分かる。
この子は間違いなく殺しまくれる子だ。
しかし、そんなふたりでもミミちゃんの異常ぶりは目に余るらしい。
この不良自販機、さっきから体の線がぴったりとしてるヴォンモの後ろ姿をクンカクンカしてる。
腹いっぱいになるまで偽造通貨を入れてやりたいが、ファミリーのドンがあんまり自動販売魔法生物のことでせこせこしていてはかっこがつかない。
「分かっていると思うが、仕事を頼みにきたのではない」
――†――†――†――
もちろんジーノは分かっていた。
クルス・ファミリーは誰かを片づけるとき、他の組織の手など借りたりしない。
「ああ。分かってる」
「アナスタシアのことだ」
スロットマシンのことではないらしい。
ジーノはひとまずホッとした。
それで、最近ギルドに加盟したアナスタシアがどうしたのだろうと相手が話をつなげるのを待つ。
「そのアナスタシア、いまはあんたのギルドのアサシンだそうだが、そのアナスタシアがわしの身内の命をつけ狙っている」
顎がパカンを開かないようにするのにかなりの気合を要した。
事態はスロットマシンよりも逼迫していた。
ギルド所属のアサシンがクルス・ファミリーのメンバーの命を狙っているのだ。
「やめさせてもらいたい。もちろん、礼はする」
熊のアップリケをつけたリュックから大きな箱がカウンターに置かれ、ドン・ヴィンチェンゾがそれを開けると、金貨がぎっしり詰まっていた。
入っているのは金貨だけではなくサファイアの指輪や美しい短剣などで、まるで海の底の海賊船から引っぱり出したみたいに宝にあふれていた。
「金貨換算でざっと二千枚はあるはずだ。これで手を引いてもらいたい」
〈銀の杯〉はリーズナブルな悪党殺しを謳っているので、たぶん一年三百六十五日、悪党を地獄に送り続けてもこの四分の一だって稼げない。
こんなにもらえるなら手だけでなく足だってヘソだって引いてもいい。
クルス・ファミリーのカネまわりの良さについては裏の世界ではそれにまつわるジョーク集ができるほどだが、実際、目の当たりにするとこんな資金力のある犯罪組織、敵にまわしてタダで済むわけがないなと恐怖さえ覚えた。
ここは素直に大金をもらって、アナスタシアには仇討をあきらめるように言うとしよう。
「ふざけるな。一度出した任務を取り消すなんてできない」
――†――†――†――
やっぱりな。
そう来ると思った。だって、ふたりともめっちゃプライド高そうだもん。
もうちょっと現金積んでみるか?
――†――†――†――
なに言ってんだ、おれは!
ジーノの心のなかではドラゴンに襲われた城砦都市まるまるひとつ分のパニックが踊り狂っていたが、ロレイアはよくぞ言ったと目を尊敬のまなざしでらんらんとさせている。
「なら、いくらならいい?」
ちらりとリュックを見ると、まだまだずっしりしている。
もうひと箱追加もできるかもしれない。
「カネの問題じゃない」
「ところが、こっちはカネの問題にしたい」
それはジーノも同じだった。
とっととカネもらって、この件は終わりにしたかったが、ロレイアからの熱い視線がそれを許してくれそうにない。
はっきりさせておきたいんだが、とドン・ヴィンチェンゾ。
「わしはジャックをむざむざ死なせるつもりはないし、それにあんたのところのアナスタシアを死なせるつもりもない。このロンデでは血が流れ過ぎた。血を流さずとも解決できることのためにも血が流されている。このままじゃ、この世界はケダモノだらけになる。だから、わしはジャックとアナスタシアの問題を血の問題ではなく、カネの問題として解決したい。わしらのような人間にだって理性があることを世間に知らしめるためにもだ」
「だが、おれたちの生業は流れる血のなかにある」
「わしの生業は悪しき知恵のなかにある」
「知恵は血が流れることを拒むのか?」
「そうだ」
アナスタシアがやってきたのは、問答がうまい具合にカネの問題に収まりそうだとジーノがひそかに小躍りしたそのときだった。




