第九話 ラケッティア、ほっぺもちもち選手権。
ジャックの足どりをたどるのは予想よりもずっと簡単。
うまい葡萄酒の割り方を教えてくれたとか、うちの娘をごろつきから守ってくれたとか、ハートフルなストーリーを追っていけばいい。
まあ、情報が集まるのは宿場町に着くなり、酒場で現金ばらまいてる効果もあるけど。
「あの兄さん、どこか陰のあるふうだったな。前にスクラって占い師が鋳物屋のマーゴットに死相があると言ったことがあったが、そんときのマーゴットの顔とそっくりな――なんつーか、顔色の悪さがあった」
「あら、わたしは好きよ。ああいうふうにどこか陰があって、常になにかから追われてる男って」
「追いかけられっぱなしじゃ落ち着いて所帯も持てねえじゃないか」
「馬鹿ね、所帯を持つばかりが女じゃないんだよ」
ガキが一匹、ワインを一壜かっぱらっていき、夫婦して命の危険も示唆する脅迫をかましながらそれを追いかけたので、きき出せたのはそこまでだった。
「ジャックさん、いいことしながら旅してるんですね」
「そうだなあ、そうやってジャックが積んだ善行をきくたびに銅貨一枚もらってれば、シデーリャス通りに屋敷が持てる」
「無事だといいですね」
日が暮れかけた宿場町に降りていた薄暗さは居酒屋の灯に照り消され、座敷みたいなテラスになっている酒場の二階からジョッキがぶつかる音やら酌婦の高い声やらが滝みたいに流れ落ちてくる。
連れているのはヴォンモだけである。
ツィーヌはおれたちがとった宿屋でミミちゃんの見張りをしている。
ミミちゃんは筋金入りのペロリストだから、見かけた幼女全部ペロろうとする。
そんなことされたら、やれ、クルス・ファミリーはロリコンの集まりだ、ペロリストの集まりだと後ろ指さされてしまう。
一度ペロリストの汚名を着せられたら、それを打ち消すことができるのは悠久の時間だけである。
悠久の時間というのは、ほら、中国の奥地の仙人が住んでそうな山のあいだを流れる大河で胡弓みたいな音をバックにした、そんな感じの時間だ。
「そうやって長大な時間が流れて、脳の記憶を司る部分が日々の暮らしの忙しさと加齢で疲弊していくのを待つしかないのだ」
「でも、どうしてミミちゃんは小さな子が好きなんでしょう?」
「分からん。正直、幼女の幼女好きなんて想像を超えてる。いいか、ヴォンモ。あいつにペロられそうになったら、大声で助けを呼ぶんだぞ。まさか、もうペロられてないよね?」
「ペロられてはいませんが、第二回ほっぺもちもち選手権はされました」
「なんと、うらやま――じゃなくって、怪しからん」
部屋を取った宿の前まで来たところで、突然、ヴォンモが立ち止まり、この子がちょっとものを考えるときによくやる、遠慮気味の顔をし始めた。
「うーん、と……」
「ん、どしたの?」
「その……マスターもしてみたいですか、ほっぺもちもち選手権?」
「つったって、おれのほっぺなんてもちもちしてもしょうがない――って、え?」
ヴォンモは顎を少し上げて、顔を前に出した。
そして、小さな手でおれの両手をやんわりつかむと、そのままおれの両手にヴォンモのほっぺが……。
「……」
「どう、ですか? もちもちしてますか? あの、マスター?」
――†――†――†――
「仙人さま、仙人さま」
「どうしたんじゃ、シャオユン」
「下界を見てください。ロリコンがほっぺをもちもちしています」
「そのようじゃな。人の性じゃ。それを克服せぬ限り、哀しき輪廻を脱することはできぬ。見てごらん、シャオユン。ロリコンを見る市井の人びとの目を」
「汚いものを見る目をしています」
「ロリコンとは不浄なのじゃ」
――†――†――†――
うわ、アカン! 悠久の時間流れてもうた!
だって、もーちもちぃ!なんだもん。
うわー、ヤバい。
ミミちゃんの気持ちが分かりかけてる自分がいる。
なんかもう、柔らかすぎるし、短く切ったヴォンモの髪がちょうど人差し指の付け根に触れるんだけど、その毛先の柔らかさがもうヤバい。
ダメだ、語彙が死んだ。ヤバい。
「ほんとヤバいから、いっぺんもちもちしてみ?」
ツィーヌの視線は銃刀法違反並みに尖っていたわけではないが、それでもなにか手遅れなものを憐れむ影があって、それがコピー機のスキャンみたいにおれのダメっぷりを読み取ろうとしている。
だが、それよりもミミちゃんの「お、ようやくお前も幼女の良さに気づいたか。心配せんでもええで。わしが一から幼女のええとこ、教えたるさかい」と言わんげなドヤ顔がむかついた。
「言っとくがな、ミミちゃん。おれはこっちから無理やりほっぺもちもち選手権をしたわけじゃないぞ」
「みんな最初はそういうんだよね。事故だった、不可抗力だ、同意の上だ」
はぁ~、とツィーヌはため息をついた。
「あほらしくて付き合ってられないわ」
ベッドからすっくと立ちあがると、どこにあったのか籐の籠。これに石鹸やらタオルやらアヒルちゃんやらを入れて――あ、これってもしかして――、
「お風呂?」
「覗いたら殺すからね。ヴォンモ、行こ」
ヘンタイの鑑なミミちゃんはためらうことなく覗きに行くと宣言した。
「幼女が幼女の風呂覗いてなにが悪い!」
「お前、話きいてなかったのかよ? 覗いたら殺すって言ってただろうが」
「といいつつ、浴場の窓の下まで来ている時点できみも同罪だよ?」
「おれは見ない。聴覚だけでもエロいんだよ、こういうのは」
源泉かけ流しの浴槽があり、岩のあいだからお湯が塊になって湧き出し続けているらしく、窓からは常に湯気が濃く逃がされていて、ミミちゃんは幼女の体をくぐった湯気だと必死にクンカクンカしている。
「浴場? 欲情!」なミミちゃんを見ていると、男はみんな変態、なんて軽々しく言えないなという気がしてくる。
ちょっとエロいだけで変態を自称するのはむっつりスケベと言われるのを嫌がって予防線を引いたような心の狭い話だ。
本当の変態とはまさにここにいるミミちゃんがそうだ。
もうおれは少なくともあの十分の一の水準に行くまでは変態を自称しまい。
変態というと、クルス・ファミリーはポルノで稼いでいるが、児童ポルノは扱わない。
そもそもエロ・カードを描いているディアナは世の中への復讐のつもりでポルノを描いている。
そして、その「世の中」に子どもは含まれていない。
おれが児童ポルノを描けと言えば、次の瞬間には袈裟懸けにずんばらりんだ。
さて、第三回ほっぺもちもち選手権が開始。
わあ、ヴォンモのほっぺ、やわらかいとか、師匠のお肌もとてもきれいですといったやり取りをきくだけでなく、目で見ろ、その内容を教えろ、お前みたいなモテない主人公はこういうときは覗くもんだろうが、このダボスケ!とのたまう紳士諸兄に言っておこう。
たまには想像力を働かせたまえ。
ミミちゃんは風呂場にあらわれた極楽浄土を目にして、このために生まれたと拝んでいる。
違うぞ、このアホ。お前はダンジョンでアイテム売るために生まれたんじゃ。
さて、ツィーヌとヴォンモが風呂から上がり始めると、おれとミミちゃんは慌てず騒がず余裕を持って、部屋に戻り、ここでずっとふたりだけでダウトをしてましたよ、って顔で戻ってくるツィーヌたちを出迎えた。
「ふたりだけでダウトなんかしてたら、一生終わらないわよ」
「道理で。なかなか決着がつかないなと思ってたんだよな。な、ミミちゃん」
「ほんと、ほんと」
「ふーん……」
「な、なんですか、その、ふーん……っていうのは?」
「別にぃ」
「マスターもお風呂に入られてはどうですか。気持ちいいですよ」
「お、じゃあ、ヴォンモがそう言ってくれたわけだし、お風呂、いただきまーす」
――†――†――†――
「ヴェ~イ、たまらん」
熱々のお湯が浴槽からあふれ続けて、溝を流れ去るのを見るのはなんともぜいたくな気分だ。
この宿屋は基本混浴だが、それでも扉にひっかけるための樫の札が二枚あり、それぞれの札には「男が入ってます」「女が入ってます」と書いてあるが、この札をかける意味はあるのかどうか、はっきり言って怪しい。
世の紳士諸兄は「女が入ってます」なんて札を見かけたら、浴場に突撃するだろうに。
まあ、でも宿屋には宿屋の都合がある。
ここのメシを食ってみた限り、この宿屋の売りは混浴可能なラッキースケベ風呂だけらしい。
それにしてもまずいメシだった。
スモーク・アンチョビとオリーブオイル持ってきて大正解だ。
マリネなんだかムニエルなんだか分からない中途半端な焼き加減の鱒、パサパサで堅いパン、なぜか南米の軍事クーデターを想起させるちょい悪サラダ。
メシの減点は風呂で取り返す。
お背中お流しサービスと書かれた看板があって、紐がぶら下がっている。
どれと試しに引いてみる。
別の部屋のベルにつながっているらしく、リンリンと鳴るのがきこえた。
さて、やってくるのは風俗じゃないほうの本物のトルコ風呂に出てくるレスラーみたいなマッサージ師か、ロシアの蒸し風呂名物の白樺の枝で叩きまくるおっさんか。
あらわれたのは……。




