第五話 皮肉屋、似たもの同士。
ロデリク・デ・レオン街の西側、赤ワイン通りに医術学校があった。
それはどこにでもあるごく普通の医術学校だった。
投薬治療が魔法の一種とみなされていて、体のなかの血管の位置をきちんと勉強した医者が少ないので外科手術が運試しみたいなもので、その他占星医学やら薬草を練り込んだ粘土やらが流行ったり廃れたりして、また半年に一度、死体保管室から死体がごっそり消えて、患者を実験台くらいにしか思っていないマッドサイエンティストが騒動を起こし、教会関係者を交えての倫理医学委員会が開かれるが、それは公的資金で飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎの口実に過ぎないというよくある医術学校なのだ。
クルス・ファミリーの忍術隊長にして皮肉屋筆頭を務めるトキマルの舌の餌食になってもおかしくない医療施設だが、いまは熱で頭がぼうっとして、幻覚が見えていた。
幻覚はイヴェスの助手であるギデオンの形をとっていた。
ギデオンについてはあのとんでもないカードを出しに南洋海域くんだりまで出かけさせられたこともあり、自分もあのギデオンに比べれば、素直の標本みたいなものだと熱でぐらぐらしている頭でぼんやり考える。
一方、ギデオンのほうでも熱が頭にまわって、トキマルの幻覚が見えているのを見て、今際の際に見えるのがクルス・ファミリーのぐうたらと評判のスパイとはいよいよ悪い熱が脳みそを茹で上げたらしい、これは死んでしまうかもしれないと思い、自分がいなくなった後、誰が先生の世話をするのだろうと切なくなった。
物置みたいな待合室でふたりの美少年が苦しげに息をつなぎながら、熱にうなされ、来世を眺めるように目を細めているのはとても耽美的で、それもすぐに死神にさらわれてしまいそうな危うさがあった。
もちろん、ふたりを知るものなら、トキマルにしろギデオンにしろ井戸に突き落として、上から石を放り込んでも死なないと分かっただろうが、なにも知らない人びとは見たものを詩で表現する才のない凡庸さを悔やむくらい、高熱で苦しむふたりははかなげで詩情を誘った。
しかし、人が風邪をひいてひどい目に遭っているのに、それを詩情を誘うだなんて言うのは、まさにトキマルとギデオン向きの話だが、当の本人たちが熱の餌食になっているのだから救われない。
「そこにいるのは、同性愛嗜好のカードを描かれたことのある忍者さんですか?」
「死ね」
「本当に死にそうなくらい辛いときに死ねと言われるのは普段死ねと言われるのとはどうも違いますね」
「消えろ」
トキマルは手をバシッと叩き合わせた。
「どうしてあなたが手を叩くとぼくが消えるんですか?」
「お前はおれの幻覚。なら、手を叩けば消える。幻覚って、そういうもんでしょ?」
「ふむ。あなたはぼくが幻覚だと思ってる。おかしいですねえ」
ギデオンは指をパチンと弾いた。
「なに、それ?」
「あなたが消えるか確かめたんですけど、消えませんね。要するにぼくもあなたも幻覚などではなく、ここに実在しているわけですよ」
「最悪。よりによってなんでこいつと」
「別にぼくはかまいませんよ。相手が誰であろうと海のように広い心で迎えましょう」
「その海、汚い海藻だらけ」
「おや、ぼくの心の海が見えるんですか? すごいですねえ、じゃ、もっと面白いものをお見せしますよ」
ギデオンはなんとか立ち上がると、よろよろと歩いて、トキマルの隣に座った。
「ちょっと、あっち行ってよ。ビョーキが感染る」
「まあまあ。これを見てくださいよ」
と言ったのは、この世に十枚しか出回っていなくて、そのうち五枚はヨシュアが買ったという来栖ミツルのアサシンウェア姿が描かれたカードだった。
トキマルは咳が止まらなくなり肺が刺されたみたいに痛くなるほど大笑いして、また咳き込み、体をくの字に曲げて、ひくひくしたが、絵のなかの来栖ミツルは「くっ、殺せ」といった気高い恥じらいのようなものを表情に乗せていて、それが余計に笑えてくる。
とはいえ、これは諸刃の剣だった。
ギデオン自身、このカードを見ると死にそうになるほど笑いと咳が止まらなくなり、呼吸困難を起こすのだ。
「ゲホッ、ゲホッ! はあ、はあ……肺病みで心中したいなら、他をあたれ。このバカ」
「でも、笑いは力を与えてくれるっていうじゃないですか?」
「死ね」
「それはさっきききました」
「じゃあ、なんで死んでないんだよ?」
「あなたも愚かですねえ。死ねといわれて死ぬような人がわざわざ病院に来たりするわけないじゃないですか」
まったく、こんなやつ首まで土で埋めて竹のノコギリで「ひとつ挽いたら千僧供養、ふたつ挽いたら万僧供養」って具合に挽いてやればいいのだ。
「うわ、くそ。坊さんのこと考えたら、アタマのなかが坊さんだらけになった」
「ぷくく。それは大変ですねえ。きいた話ではアズマの聖職者は小さな男の子のことを『オチゴサマ』と呼んでかわいがるそうじゃないですか」
「もういい。死ななくていいぞ。おれが殺すから」
「ふふ。いまのあなたにぼくが殺せるか、見物ですね」
苦無片手にふらふら歩くトキマルをおちょくるように逃げるギデオンもやはりふらふらしていた。
熱はいよいよ頭のてっぺんまで茹でつくし、そのうちふたりはどうして待合室のなかをふらふら歩きまわっているのかも分からなくなった。
そして、ついにとうとう本物の幻覚が見え始め――、
「あっ、シズク。いや、断じて病気などではないぞ。これは鍛錬だ。毒慣らしの修行でいつもより強めの毒を飲んだのだ。忍びは常に修行と生死の境に己が身を置いてこそ、その技を磨くことができる――」
「あっ、先生。いえ、聖院騎士団の壁に落書きしたりなんてしてませんよ。『高給取りの無能集団』なんて落書き、ぼくは知りませんし、『来栖ミツル参上』なんて落書きだってぼくは知りませんからね――」
「シ、シズク。兄と妹の身でそのような、いや、お前を愛する気持ちに変わりはないが、あばばばば」
「せ、先生。い、いえ、怯えないでください。拒絶なんて。ぼく、嬉しいです、おろろろろ」
待合室にやってきた医者は床の上でバタンバタンと寝返りを打つふたりを見て、うんざりした様子で助手に行った。
「見ろ。典型的な錯乱病患者だ。ここは風邪とか麻薬の過剰摂取を治す場所であって、狂人の収容場所じゃないんだぞ」
「でも、先生。過剰摂取の患者を救えたことなんて一度もないじゃないですか」
「お前はそんな下らない揚げ足ばかり取ってるから、いつまで経っても助手なんだ」
「それとこれとは関係ないですよ。ぼくは責任の少ない助手暮らしが気に入っているだけです。ところでどうします?」
「なにを?」
「このふたりですよ」
「知るもんか――いや、待てよ。パトリオパッツィ教授が新しい狂人を欲しがっていたな。サケが生まれた川を上るみたいに狂人は狂人のもとに行くのが世の道理ってやつだ。こいつら、ふたり、パトリオパッツィに引き渡せ」
「でも、どうやって運ぶんです?」
「知るもんか。パトリオパッツィに丸投げしろ。やつはそういう肉体労働をさせるために狂人を抱え込んでるんだ」




